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頑張れ!石岡君
石岡君、舞台役者になる 3 「石岡君、舞台役者になる」3 優木麥 石岡君、舞台役者になる 3

   
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 私がメロスを主演する。そんな大それたことは想像の埒外である。しかし、運命が扉を開けて入ってきた。楽屋にいる私を見つけた秋山が真剣な目で寄ってくる。
「石岡先生、お願いがあるの」
「ダメです。嫌です。不可能です」
 私は即座に拒否した。セリフがひと言しかないセリヌンティウス役ですら心臓が破裂する寸前なのだ。開幕寸前の今、メロス役にチェンジなどされたら、全身がバラバラに飛散してしまう。
「このシュージの一生のお願いでも、ダメなの?」
「勘弁して下さい」
「私の出資者になってくれるかもしれない、その人はね。あと一時間で成田に出発してしまうの。そしたら、もう五年以上、海外暮らしなの。それも政情不安定な国だから、私から訪ねることはできない。今日の今しか時間がないの。お願いよ、石岡先生」
「他のことでしたらともかく……主役へのバトンタッチはお断りします。本当にゴメンなさい」
 頭を下げる私を悔しそうに見つめていた秋山だが、やがて笑顔になった。
「ううん、いいの。私がワガママだったわ。メロス役は私がやり通す。約束するから」
 楽屋を出て行く秋山の後ろ姿を安堵して見送る私だったが、夏美が漏らしたひと言で再び不安を募らせる。
「アッキーのあの目は絶対に何かをたくらんでるわね」

                             ●

 夏美や私たちの心配は杞憂だったかに思えた。幕が開いてからの秋山は滞りなくメロス役を演じていたからだ。やはり、役者としての誇りを持っているのだろう。そうなれば、私が心配すべきは自分自身の演技であり、出来である。本来、他人のことにまで意識を回している余裕はなかったのだ。
「さあ石岡先生、出番ですよ」
 市民役から上手に戻ってきた夏美が私にウインクした。舞台の袖で出番を待ちながら、すでに私の両膝はガクガクと震え出している。舞台では、王宮の兵士役の冬島に捕らえられたメロスとディオニス王とのやりとりが始まった。私の出番まであと一分を切っただろう。
「リラックスして。大丈夫。楽しめばいいのよ」
 夏美が私の肩をほぐしてくれた。気を使ってくれる彼女に感謝する。
「ありがとう。頑張ります」
 舞台でディオニス王が「では、そのセリヌンティウスとやらを呼ぶがいい」と叫んだ。ついに出番である。夏美が「レッツゴー」と私の背中を叩く。まるで深海の底を潜水服で歩むように、私はどうやって足を上げて、前に進めたのかわからない状態で舞台に出て行く。兵士役の冬島がサッと私の脇についてくれた。
「いよいよですね。落ち着いていきましょう」
 小声でささやかれて、私はウンウンと頭を振った。初めて観客席にチラリと目をやると、見なければよかったと後悔する。ギッシリとお客の顔が並んでいたのだ。リリパット劇場の収容人員数は300人と聞いていたので、それだけの人の視線にさらされていることになる。額に汗がにじむのは、照明のせいだけではないようだ。
「セリヌンティウス、聞いてくれ」
 秋山が私の両肩に手をおいて話し始めた。その表情はキリリと引き締まり、あまりの真剣さにこちらがたじろぐほどだった。楽屋でオンナ言葉で話していた秋山とは完全に別人に見える。
「……ということで、妹の結婚式を見届けずに私は死んでも死にきれない」
 秋山のセリフに私はウンウンとうなずく。本当は「私の身代わりになってくれ」のセリフに一度だけ力強くうなずく段取りだったが、ただ相手の話を聞くというのは苦手なのだ。
「だから、セリヌンティウス。君が、妹の結婚式を見届けて3日後にここに戻ってきて欲しい」
 うなずきかけた私はハッと顔を上げる。今の秋山のセリフはどこかおかしかった気がする。「君が…見届けて…」と聞こえたのは聞き違いなのか。
「な、何を申しておるのだ。メロス」
 ディオニス王役の春木がうろたえた声を出した。やはり私の違和感は正しかった。なんと秋山は自分がスポンサーと会うために外出する時間をひねり出すため、メロスではなくセリヌンティウスが「妹の結婚式」に出るようシナリオを強引に変えようとしているのだ。
「本来そうあるべきだと思います。王様」
 秋山は勝ち誇ったように春木に言った。
「私が王の命を狙ったのです。その罰を受けねばなりません。妹の結婚式はセリヌンティウスに見届けてもらい、その話を聞けば、刑に服しましょう」
「ちょっと…待つがいいメロス…」
「さあ、行ってくれセリヌンティウス。友である君の命を危険にさらすわけにはいかない」
「困ります」
 思わず私は声をあげてしまった。いくら舞台の上とはいえ、このまま話が推移したら取り返しのつかないことになる。私にとってはセリヌンティウスのまま妹の結婚式に出るのなら、メロス役をやるのとまるで変わらない。そんな事態は絶対に避けたいのだ。
「あなたが行くはずなんだから、行くべきです」
 私の言葉に秋山は表情を変えずに首を振った。
「頼む、友よ。このメロス最後の願いだ。妹の結婚式を見届けてきてくれ」
「勝手に言わないでください。ぼくだって結婚式に出なきゃいけないんですよ」
 事実だった。セリヌンティウスの出番が最初と最後しかないからこそ、私は里美に友人の結婚式に出てスピーチすると約束しているのだ。観客席から笑いが漏れた。それはそうだろう。事情を知り、無言で抱き合うはずのシーンなのに、メロスとセリヌンティウスがお互いに妹の結婚式に行けとなすりつけあっているのだ。
「メロスが行ってください」
「いや、君が行くべきだ。セリヌンティウス」
「何を醜い争いをしているのだ!」
 ディオニス王の、いや座長である春木の怒号が響き渡った。あまりの剣幕に場内にピーンと空気が張り詰めたほどだ。春木が怒鳴るのも無理はない。世の中に消えかけている信実と友愛を伝えるために「走れ、メロス」を公演しているのに、肝心の見せ場でストーリーがヨレヨレである。考えてみれば、秋山と私は自分の都合ばかり主張し、この公演の成否が頭に入っていない。私は自分を恥じた。
「どちらが行くのじゃ。もはやどちらでもよい」
 睨みつける春木に「私が行きます」と静かに言った。秋山が私の目を見て頭を下げ、ようやくひしと抱き合った。

                           ●

「あーきやまはどこだーー!!」
 舞台の袖に引っ込んだ春木は角材を片手に、憤怒の表情で歩き回っていた。その姿はまさに暴君である。もちろん、私は彼に同情を禁じえない。あれほど思い入れを込めて実現した公演が破綻しかけている。セリヌンティウスが妹の結婚式に出て、メロスが人質になる「走れ、メロス」など聞いたことがない。それでは「走れ、セリヌンティウス」ではないか。
「アッキーはもう行っちゃいました。一時間で必ず戻ってくるからって」
 ふてくされた様子で夏美が言う。すでにメロスの妹の扮装に着替えている。
「ヒドイ話ですね。無責任きわまりない」
 温厚な冬島も声を荒げている。春木は「ちくしょう。あいつはもう帰ってくるもんか」と角材で床を殴った。最悪の雰囲気だ。私はこわごわと口を開いた。
「いえ、帰ってくると思います」
「えっ、石岡先生。秋山のことを御存知ないんですよ」
 春木が吐き捨てた。だが、私は舞台の上で秋山の目を見た。あのときの瞳には謝罪と誓約の意思が強く宿っていたと思う。
「セッティング終了です」
 大道具のスタッフが舞台から戻ってきた。今は暗幕を下ろして、場面転換をしていたのだ。次は山間にあるメロスの家のシーンである。
「秋山のバカのことは今はいい。こうなれば石岡先生、あなたにおすがりするしかありません」
 春木に言われた私は口をパクパクさせた。ストーリーは激変した。セリヌンティウスはこれから舞台に出ずっぱりになるのだ。その恐怖と不安が私の全身を駆け巡っていく。
「何か問題はありますか?」
 もちろんある。数え切れないぐらいある。しかし、もう舞台に出なければならない。里美の友人の結婚式の問題も大きいが、この公演は結婚式より30分早く始まっている。どちらも約2時間なのだから、順調にいけば結婚式の終了より30分早く公演が終わる。式場のTホテルとの距離は徒歩5分。走ればもっと早く着く。何とか間に合うはずだと私は計算していた。それよりも、目の前の危機に対処しなければならない。
「セリフに関してはカンニングペーパーで何とかしましょう。この際、ひとつふたつセリフが飛んでも、そのままいく。ナツミ、フユさん、石岡先生のフォローをバッチリ頼むぞ」
「任せといて」
「よろしくお願いします」
 私が舞台でやると言ったのだ。できるだけの責任は果たさなければならない。春木が右手を差し出した。
「仕切り直すぞ。最後まで気を抜くな」
 夏美、冬島、そして私が春木の手の上に手を重ねていく。
「1、2、3、ほうしんえんぎ!」
 四人の手が上に上げられる。そして、第二幕は開けられた。
つづく つづく
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