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頑張れ!石岡君
石岡君、舞台役者になる 2 「石岡君、舞台役者になる」2 優木麥 石岡君、舞台役者になる 2

   
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 演劇の稽古には、読み稽古と立ち稽古という段階がある。かくいう私自身も初めて聞いた。まず台本のそれぞれのセリフを読むだけの段階が読み稽古で、次に実際に立って動きをつけていくのが立ち稽古らしい。私が劇団「放心演技(ほうしんえんぎ)」の稽古に参加したのは、公演の1週間前。立ち稽古の段階からだった。
「石岡先生、すみませんね。ご足労戴きまして」
 春木が私を出迎えてくれた。稽古場となるのは、渋谷にある喫茶店内のレンタルルーム。格安で借りられる上に、少々大声を出しても問題ないという。すでに室内には春木を含めて3人の劇団員が集まっていた。
「紹介します。衣装や、メロスの妹役その他を担当している夏美さんです」
 白いジャージ姿の20代前半の女性が夏美だった。私達は挨拶を交わす。
「大道具と、王宮の兵士、山賊役を担当している冬島さんです」
 絵の具の飛沫が飛び散ったTシャツにスパッツ姿の40代半ばの男性が挨拶をする。
「そして、オレが座長兼演出と、ディオニス王役をやっております春木です」
「みなさん、よろしくお願いします」
 稽古場に入った私は、にわかに不安になってきた。本格的に稽古を積んで、当日に賭けている雰囲気がひしひしと伝わってくる。私は足を引っ張らずに無事に舞台を勤められるだろうか。
「あらためて言うよ」
 座長の春木があらたまった口調になる。
「今回の戯曲に『走れ、メロス』を選んだのは、今の日本から消えかけている信実と友愛を伝えたいからであり、表現したいからなんだ。それをみんな忘れないで欲しい」
 夏美と冬島がうなずいている。私は厳粛なムードに身が引き締まる思いだ。そのとき、ふと私は気が付いた。
「あの、春木さん」
「はい」
「メロス役の方はどちらですか?」
 私自身のセリヌンティウス役から見れば、セリフその他で直接からむのは、ほとんどがメロスである。当然、メロス役の俳優と挨拶を交わしておく必要がある。
「それが、ちょっと到着していなくて……」
 春木は渋い表情で言った。
「まだ寝てるんじゃないの」
 夏美が毒気たっぷりに言った。意外な言葉に私は質問する。
「まだって…午後七時ですけど…」
 集まっているメンバーは、役者のみで生活していないため、昼間はアルバイトに精を出していることは聞いている。しかし、いくらなんでも午後七時にまだ寝ているというのは、遅すぎないだろうか。
「夜の仕事をしている人間なんです。秋山って言うんですけど。そのため主演の彼に稽古の時間も合わせてるんですが、よく遅刻を…」
 春木が説明しようとしていると、個室のドアが開けられ、ひとりの男性が入ってきた。
「ゴメン、ゴメン。今日の朝までお客さんに引っ張られちゃったのよー」
 私は男性が入ってきたと称したのは、あらかじめ春木の説明を聞いていたからだ。その予備知識がなく、秋山の姿を見ただけでは、瞬時に男性とは思えない。金髪のウィッグ(かつら)をつけた顔には、アイラインと口紅が塗られている。スパンコールの入った銀色のパンツスーツにサンダルを履いていた。
「アッキー、なによ、その格好?」
 夏美が顔をしかめる。私もあっけにとられていた。
「ゴメン、稽古の後、お客さんとデートを約束しちゃってさ」
「稽古の後に用事を入れるなって言ってるだろ。遅れてきて勝手にケツを決められちゃかなわんぞ」
 春木が厳しい表情で言った。
「だって、しょうがないでしょう。あんなに金離れがいいお客さんは久しぶりなんだし…。あれ、あなたは?」
 秋山が私を見つけて歩み寄ってきた。キンモクセイの香りが漂ってくる。
「ぼくは、石岡和己と言います」
「前に説明したろ。セリヌンティウス役をお願いした作家の先生だよ」
 春木の言葉に秋山が目を輝かせて、体をくねらせる。
「あらー、こんないい男の方がお相手なのー。もうシュージはテレちゃう。ちょっと待っててね。お化粧直してくるから」
 秋山は内股で化粧室に向かった。私は春木に恐る恐る確認した。
「あの方が、メロスを演じる役者さんなんですか?」
「ええ、ウチの看板役者の秋山シュージです」

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 ついに「走れ、メロス」の公演当日を迎えた。その日までに私が稽古に参加したのは、2日間だけだったが、いずれも悪夢のような時間だった。役者経験のない私の不出来のためではない。メロス役の秋山シュージとの絡みがうまくいかなかったからでもない。むしろ、熱が入りすぎたというか、うまく行き過ぎたことが悪夢になったのだ。
 たとえば、メロスが王宮に呼び出されたセリヌンティウスに事情を説明し、無言でうなずく私とひしと抱き合うシーンがある。セリフが一語もないため、私でも何とかこなせたのだが、何度もそのやりとりはくり返された。舞台監督の春木からダメ出しが出たわけではない。メロス役の秋山シュージがダメを出すのだ。
「イケてないわ。今のはイケてない」
 春木がOKを出した後に、秋山は首を横に振る。
「ここは盛り上げどころでしょう。もっと感情を込めて抱き合わないと、場が沈んじゃうわ」
 そう言うと、何度も私と抱き合う。私の思い過ごしか、抱き合う度に秋山はからませた腕に力を入れ、目がトロンとしてきた。
「アッキー、そこばっかりやってもしょうがないから」
 春木をはじめとする団員の意見でようやく次のシーンに移ったのだが、私には何とも複雑な気分だけが残った。さらにもうひとつのメロスとセリヌンティウスの絡みの場面。言うまでもなく、3日後に戻ってきたメロスが自らの過ちを友に告白する屈指の名シーンだ。
「私の頬を叩け。私は一度だけあきらめかけた。叩いてくれねば、君と抱き合う資格はない」
 さらに、セリヌンティウスも同じことを言ってともに抱き合う。ところが、ここで秋山が難色を示した。
「顔を叩くのはナッシングよ。顔は女優の命なんだから」
 なぜ秋山が〃女優〃なのかは理解不能だが、いずれにせよ春木の説得にも頑として応じなかった。密かに私としてはホッとする。舞台の上でのお芝居とはいえ、頬を張られるなんて快いものではない。
「セリフを直そうよ。メロスに叩いてくれと言われたセリヌンティウスが『私には叩く資格はない。なぜなら、私も君を疑ったから』と返せば、張らずに済むじゃない」
「どうだろうなあ。これはみんなが知っている話だし。そこで、頬を叩かなかったら、インパクトが薄れるだろう」
 春木はなかなか折れなかったが、セリフを修正しなかったら出演しないとまで言い出した秋山についに譲歩せざるをえなかった。
 そして、迎えた公演当日だが、私には舞台の緊張感に加えて、もうひとつ別の心配事があった。里美と約束した結婚式でのスピーチである。このリリパット劇場から徒歩5分と式場のTホテルへの距離は問題ない。セリヌンティウス役の私の出番は劇中に2回しかなく、それも最初と最後なので、1度目の出演の後、1時間ほど中抜けしても大丈夫だと踏んでいた。楽屋で夏美や冬島と共に仕出弁当を食べていると、ドアの向こうから春木と秋山が言い争っている声が聞こえてくる。
「ふざけるなよ。もうすぐ幕が開くんだぞ」
「こんなチャンスを逃したくないのよ。念願の自分の店を持てるかもしれないし」
「無茶を言うな。今さら役の変更なんてできるわけないだろう」
 楽屋の中の私達は無言で聞き耳を立てる。どうやら、秋山が春木にメロス役の変更を申し出ているらしい。
「石岡先生と私の役を取り替えるだけじゃない。そうすれば、私は小一時間、外出できるんだから」
 私は飲んでいたペットボトルのお茶をむせてしまう。事態が予想もしなかった方向に動き始めているようだ。
つづく つづく
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