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頑張れ!石岡君
石岡君、舞台役者になる 1 「石岡君、舞台役者になる」1 優木麥 石岡君、舞台役者になる 1

   
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「セリヌンティウス役にふさわしいのは、石岡先生だけです」
 春木万治は、ソファから立ち上がって熱弁を振るう。
「今の日本のどこに信実と友愛の心根を持った人物がいますか? 打算まみれですよ。自由とは、ただ己の権利のみというエゴイストばかりが目に付く」
 まるで私のリビングが舞台の上であるかのように、春木は大げさな手振りをしながら、目の前を行ったり来たりする。
「そんな泥の沼にも、大輪のハスが咲いていました。石岡和己というハスがね」
 思い入れたっぷりの目でこちらを見られても私は戸惑うしかない。春木は劇団「放心演技(ほうしんえんぎ)」の座長である。彼の劇団は来月末に渋谷の小劇場で「走れ、メロス」を上演する予定だという。原作は、言うまでもなく太宰治の小説。元々、詩人シラーの「担保」という詩からモチーフを得ているらしい。そのシラーの詩自体もダーモンとフィジアスというギリシアの古伝説によっている。
 念のためストーリーを簡単に説明しておこう。結婚する妹の買い物で市に出てきたメロスは、圧政で苦しめている暴君ディオニスに怒る。命を奪おうと憤るメロスだったが、あっけなく捕まる。死刑を宣告されるメロス。しかし、王に「妹の結婚式が終わるまでの三日間の猶予」を願い出る。そして、人を信じぬディオニスのために、親友である石工のセリヌンティウスを身代わりで置いていくことを提案。こうして妹の結婚式に出たメロスは紆余曲折がありながらも、期限内にディオニスの前に戻ってくる。
 話を現在に戻そう。その舞台で春木は、なんと私にセリヌンティウス役をやれと依頼してきたのだ。
「石岡先生の客演なしでは、この舞台は成立しないと考えております」
 春木は真っ直ぐに私の目を見つめてきた。しかし、その期待に応えられないのが残念である。
「申し訳ありませんが、お電話で何度も申し上げた通り、ぼくは舞台に立つ資格などない人間です」
「これはご謙遜をおっしゃる」
「とんでもない。華々しい舞台で人様に何かを披露するなんて、ぼくにはあまりにも足りないことが多すぎます」
 私は激しく手を振った。小学校のとき、クラス毎の出し物で「村一番の大きな木」という童話の演劇をした。私の役は舞台を上手から下手に通り過ぎるだけの町人だったのだが、緊張するあまりに登場と同時につんのめって転んでしまった。村一番の大きな木を切る切らないで都の役人と、村側の代表者が熱く議論している場面だったため、観客の笑いを誘ってしまい、バツが悪かった。さらに、恥の上塗りだったのは、私は思わず「ゴメンなさい」と声に出してしまったことだ。シリアスな雰囲気は何もかもぶち壊しだった。そんな苦い経験がある以上、舞台の上で何かを演じるなんて私には考えられない。
「足を運んでいただいたのに、誠に恐縮ですが、ご勘弁ください」
 私は立ち上がって深く一礼をした。春木は引き下がらない。
「先生、ウチの劇団員はみんな、プロじゃありません。新聞配達や飲み屋で働いて生計を立てながら、舞台をやっているんです」
「はい…」
 私にも何となくイメージできる。華やかに見える世界だが、役者一本で生活している人はほんの一握りなのだろう。
「いい大人がいつまで夢を見てるんだとお思いかもしれませんが…」
「いえいえ、そんなことは…」
「でもね、オレ達は舞台の上では自分にウソをつきたくないんです。誰が何と言おうとそこだけは譲れない」
 春木は両方の拳を握って振り回す。私はその迫力に圧倒されてしまう。
「春木さん、落ち着いてください」
「伝わってしまうんです。わかりますか、石岡先生。舞台の上で演じられているのは、確かにお芝居です。でも、そこから必ず何がしかのナマが観客席に伝わるものなんです。そう信じるからオレたちは舞台に上がりつづけるんですよ」
「え、ええ……」
 完全に理解できたわけではないが、私は春木を刺激しないようにうなずいてみせる。
「だから、オレ達、役にのめりこむんです。公演期間は、役が自分そのものだと思えるほどにね。ホステス役の女優は本当に水商売を経験したり、ボクサー役の男優はジムに通ってカラダを鍛えるのは珍しい話じゃありません」
 語りつづける春木の目からは涙が溢れ出した。
「偽りたくないんですよ。舞台の上で、口先だけで演じたくないんです。わかってください石岡先生。先生でなければ、信実と友愛の好漢セリヌンティウスのナマが伝わらないんです」
 必死で訴えられても私には正直ピンとこない。しかし、春木の熱演は確実に私の頑なな心を溶かしつつあった。
「あらためてお願いします。セリヌンティウス役を演じてください」
 春木は腰から90度の角度で上半身を折った。その一礼のまま不動の姿勢で私の返事を待っている。彼には聞こえないように私はため息をつく。自分が信実や友愛の持ち主だと思ったことはないが、もはやそんなことを論じても意味がない。それでもせめて残弾は撃ち尽くしてみよう。
「でも、みなさんのせっかくの舞台を台無しにする危険があるんです。ぼくは演技なんてまったくできませんし…」
「関係ありませんよ」
 体を起こした春木は手を大きく左右に振った。
「劇中でセリヌンティウスは磔にされているだけですからね。ほとんど演技らしい演技は要求されません」
「ウーン、でもセリフはあるんでしょう」
「ひと言だけです。出番は2回だけ。最初に王宮に呼ばれる場面なんてセリフはひと言もないんです。メロスと無言でひしと抱き合うだけですから」
 春木の説明を受けるうちに私はやってもいいかなという気持ちに傾いていた。そして、その私の心境の変化を彼には見抜かれていた。
「不安な点はすべて解消されたと思いますが…」
 畳みかけられたが、私にはすでに反撃する弾は残されていなかった。

                              ●

「3月25日は前からお願いしてあったじゃないの」
 受話器の向こうの里美は怒っている。私が悪かった。3月25日に彼女の友人の結婚式に出席することをすっかり忘れていたのだ。先日引き受けてしまった春木の「走れ、メロス」の公演日は同日だった。
「石岡先生には、スピーチをお願いしてあったわよね?」
「う、うん。もちろん」
 そうなのだ。渋る私を何時間も説得する里美についに根負けする形でスピーチを承諾していた。春木の依頼は最初から断るつもりでいたので、日時の問題などまったく念頭になかった。なにしろ私の日々のスケジュールは空いている日のほうがはるかに多いため、用事がバッティングする可能性を気にすることがない。
「どうするの。その舞台をキャンセルするんでしょう」
 里美の意見はもっともである。とはいえ、あれだけ熱心に誘われて、その要請を受けた形なのに、今さら他の予定が入っていたからと断るのは、客観的に見てとってつけたような印象を与えるだろう。頭を悩ませた私だったが、結婚式の招待状を眺めていて、ふととんでもないことを思いついた。
「里美ちゃん、結婚式場の渋谷のTホテルってさ。公演が行なわれるリリパット劇場と徒歩5分ぐらいの距離なんだよ」
「へえ、そうなの……って、石岡先生、何を考えてるわけ」
「しかも、『走れ、メロス』のほうは午後1時開演で、結婚式は1時30分からだよね。これは何とかなると思う」
「どういうことなの」
「ぼくの役はセリヌンティウスなんだ。知ってるでしょう、メロスの友人で身代わりとなってずっと磔にされている人。その役というのは、序盤でメロスの依頼を受けた後は、最後のクライマックスまで出てこないわけ」
「まさか、石岡先生…」
「その通り。まずセリヌンティウスの最初の登場をやった後、すぐに結婚式場に移動すれば、小一時間は出席していられるんだ。そして、スピーチをしたら、またクライマックスに出演するためにリリパット劇場に戻る。これは時間的にも、物理的にも十分に可能だよ」
 我ながらよくもこんなウルトラCを思いついたものだと感心する。
「何か売れっ子タレントそのものねえ」
 里美も私が提案した解決策に納得してくれたのか、怒りの鉾を収めてくれた。しかし、実際には、地獄のような一日になってしまうことを、まだ誰も予想できなかった。
つづく つづく
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