島田荘司 on line
on line top Weekly Shimada Soji top
編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第97回
写真をクリック!大きな画像で見られます。
島田荘司のデジカメ日記
島田荘司のデジカメ日記
島田荘司のデジカメ日記
11−30(金)、桜子さんのアトリエ訪問。
夕刻、石塚桜子さんのアトリエを、WS刊管理人のMatthewさんと訪問した。
三鷹駅から歩いてすぐのマンションで、駅前の大通りを左に折れると、街灯や、沿道の店々から漏れてくる明りで、黒い舗装路がきらきらと輝いていた。舗装剤に、ガラスのカケラでも混じっているのだろうか。
立原エリカとか、宮沢賢治の世界をまた思い出した。駅まで出迎えてくれた桜子さんの案内で行くと、車がほとんど通らず、店内の趣味がよい、洒落たケーキ屋さんなどがあって、雪が降ると似合いそうな道だった。
この道沿いに桜子さんのマンションはあるのだが、そのすぐ手前に、竹の塀の古いお屋敷があって、これは有名な女流画家、桜井浜江さんのお宅なのだそうだ。彼女の作品は、青梅市美術館や、三鷹市にも買い上げられていて、女流らしからぬ100号、200号の大作が多いという。
桜井さんは山形県の出身で、94歳、三岸節子さんという画家が亡くなってからは、日本の女流画家では最長老だそうである。別れた夫が太宰治と東大の同期で、その縁で太宰が三鷹に住んでいた頃、編集者を連れてよくこの家を訪ねて、お酒を飲んだり、自画像を描いたりした。太宰の作品に、「饗応夫人」というものがあるそうだが、これは桜井さんがモデルなのだそうだ。この作品は読んでいないが、字面からは来客のもてなしが上手な、脱日本人的な女性の顔が浮かぶ。
三鷹市は町起こしということで、商工会の有志が「三鷹文学散歩コース」というものを設定し、月に一回、希望者を募って案内している。桜井さんのこのお宅も、コースに入っているらしい。今となっては、生前の太宰を知る数少ない生き証人だ。
桜子さんのお母さんが道で立話しをしたのがきっかけで、今はアトリエを見せてもらったり、いろいろとアドヴァイスをもらえるくらいに親しくなったそうだ。「絵描きの娘さんを持つと大変ですね」とよく言われるらしい。今はお弟子さんに教えていることが多いが、自らもまだ絵筆をとっていらっしゃるという。中尾彬さんなどと一緒に、いつかお会いしてみたいものだ。
太宰といえば、もう記憶が不確かになったが、ぼくがまだ作家デビューする前、西荻のグレルという喫茶店に行っていたことがあり、ここのママが安倍合成という画家と夫婦だったことがあって、この画家は太宰の同郷で、「親友交歓」(だったか? 好きな短編だったが、もう忘れかけている)という作品に登場しているのだが、太宰が安倍に宛てた手紙がこの店に遺っていた。これが印象にあって、デビュー作の「占星術殺人事件」で、安倍合成をモデルにした画家を出した。このあたりの土地には、太宰の足跡があちこちに遺っている。
桜子さんの家はマンションの2階で、親子3人の暮らしだ。お父さんはもう定年退職されているが、武道館内にある、日本武道の雑誌社に勤務している。お邪魔してしばらくしたら、お父さんが帰宅された。
お母さんがぼくの作品のファンだというのは嘘ではなくて、書棚にぼくの著作が、1次出版のもので並んでいた。桜子さんの仕事場はこの隣の部屋で、たくさんの作品が、ずいぶん無造作に置かれていた。額に入れて壁にかけられたりはしていず、重ねられて壁に立てかけてある。
大きな作品は少ないが、実物にはやはり迫力がある。桜子さんはほとんど外出せず、ここで終日創作をしているそうだ。サイトに紹介するということで訪ねたので、これにちなんで彼女が、蜘蛛の巣をテーマにした作品を見せてくれた。Matthewさんがこれを気に入って、デジカメでさかんに写真を撮った。
この日見せてもらった作品群を思い出そうとしてちょっと目を閉じてみると、赤と黒の印象が強い。蜘蛛の巣もそうだった。部屋自体がそういう印象で、ふと、彼女に「ヒロシマ」を描いて欲しい気がした。ヒロシマ−ナガサキ−エノラゲイ−アインシュタイン−ミハエル・エンデ−E=mc2、そんな連想がつるつると浮かんだ。
しかし、それだけではない。彼女の世界には、やはり童話的な匂いも感じる。これは彼女の作品からではなく、桜子さんという女の子の雰囲気からなのだろう。住んでいるマンションの前の、きらきら光る舗装路とか、その道沿いの竹の塀の古い画家の家、その上に覗くいっぱいの竹の葉、可愛いケーキ屋とか、太宰治、安倍合成、そこから浮かぶ雪深い津軽の風景、その雪で作ったカマクラ、そして宮沢賢治。そんな空想の連鎖が勝手に広がってしまう。こちらの勝手な思い入れだが、ぼくにそんなイメージの広がりを与える何かが、彼女にはある。たぶん彼女の、芸術家としての磁場のようなものなのだろう。
ぼくは画家の世界や生活がとても好きで、それも何故か太宰の時代の画家世界が好きで、これを思うとたまらないものがあった。だからデビュー作はそういう世界になった。だから以前よく銀座の画廊を歩いて、そんな思いにひたったものだ。
もうずいぶん昔だが、テレビで戦時中の画家の作品を特集していた。「画家と戦争」といったか。戦時中は芸術の暗黒時代と考えられがちだが、とんでもない。この時代の日本の戦意高揚の具象絵画群には、二度と現れぬ傑作がある。語弊を恐れずに言えば、あれは日本絵画のルネッサンスだった。
外国にもああいうことはあるのだろうか。よくは知らない。あっても日本とは事情がかなり違うだろう。ドイツにはありそうだ。ヒトラーの絵の好みは知っている。彼は具象以外の、たとえばピカソやミロはゴミだと思っていた。ともかく日本はそうだった。あの時代の空気と、真面目な日本の一部の画家たちの性は合ったということだろう。あの時日本人画家は、ようやく理由を見つけたのだ。あの番組をもう一度見たいと思うが、残念ながらもうお目にかかれない。まだ家庭用のVCRも出廻る前の放映だった。だから撮っている人もまずいないだろう。
青山の絵画館によく行った。それはかつてここで、戦意高揚絵画の一部が見られたからだが、最近行ってみたら、もう仕舞われてしまっていた。戦意高揚の絵画群も、もう人目に触れることはない。評価も慎まれる。平和ボケといわれる時代に入り、あれらはすっかり禁断の作品群となった。しかし、あれが傑作群であることは疑いもない。今の絵画が失った力も、その理由も、みんなあそこにある。サロン文化を持たなかった日本人には、裸婦も、シュールリアリズムも、なかなか本物とはなりにくいのだろう。
しかし桜子さんの絵は本物だ。まだ語らないが、彼女にはそうなる理由がある。桜子さんとの出会いは、大事なことをいろいろと思い起こさせる。芸術家の世界には特有の芳醇な空気があり、こちらの感性をよく刺激してくれる。
デジカメ日記 バックナンバー

Copyright 2000 Hara Shobo All Rights Reserved