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島田荘司のデジカメ日記
第88回
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11−9(金)、名古屋へ。
光文社の書き下ろしアンソロジー、「21世紀本格」のための全国行脚(?)で、名古屋に行く。この旅の1番の目的は、森博嗣さんのお宅を訪問することだ。A井さんに訪問する用事があったので、これに便乗参加させてもらった格好だ。森さんに伝えてもらったら、えっ?! とびっくりされていたようだ。迷惑でなければよいがと思う。
午後2時、吉祥寺ルノアールでA井さんと待ち合わせ、サンドウィッチの昼食を食べていざ出発。東京駅から午後3時20分発の「のぞみ75号」で一路名古屋へ。名古屋駅着は午後4時59分。タクシーで名古屋国際ホテルにチェックインする。これは駅前ビジネス街のど真ん中にあって、部屋の窓から、こうこうと蛍光灯の明りをともしたオフィス・ビルのフロアがほんの鼻先に見えた。がらんとしているのは、もうみんな退社したのだろう。
ホテルの1階喫茶店でSSKサイトの人たちと待ち合わせ、みなで食事に行く。エスニック料理の「ヤギヤ」という店だった。これは素晴らしく雰囲気のよい店で、あきらかにインドネシアの雰囲気が再現されてある。店の前には、彫刻が全体を埋めた、インドネシアに特有の壮大な石のゲートが模造され、まるで巨石の割れ目に入るようにして店内に入る。
ぼくのはじめての海外旅行はインドネシアだった。そのはじめてが、思えば1番危険な冒険旅行だった。ジョクジャカルタでアーチスト村を訪ね、若者に頼んでバイクを借りた。そして黒煙をあげる地もとのバスと競走しながら、ボロブドゥールだの、プランバナンだのの石の仏教遺跡を見物して廻った。今振り返れば、よくもあんな危険なことをしたものと思う。しかもノーヘルだった。
バリでは、よほどのインドネシア通でもなかなか行った者のない、ツルニャンという風葬の村を、これもバイクとカヌーで訪ねた。この誰にも勧められない冒険旅行のおかげで、これをそのまま書いたら、ほとんど脚色の必要もなく小説になった。
インドネシアの仏教遺跡は独特で、細かい彫刻がびっしりと巨大石塊を埋める様子は、まったく宇宙を感じさせる。今でぼくは、遺跡のアート性に関してはインドネシアが世界一だと思っている。その規模と、機能構造までを入れれば、アンコールワットが1番だろうが。しかしインドネシアはその後イスラム文化圏に入るので、ボルブドゥールの壮大な仏教遺跡は最近まで土の下に埋もれ、忘れられていた。
ヤギヤの店内は暗く、そして広くて、とても雰囲気がよい。ぼくが訪れた頃、インドネシアは貧しかったから、街全体が暗く、特有の匂いがした。ホテルや、観光客用のレストランなどの高級な場所にはよい香りがして、貧しい地区にはひたすら汗と、揚げ物の油の匂いがした。しかし1番高級な場所は、最も金のかかっていない郊外の野原で、川のほとりに立つと、花の香りや、果物の甘い香りが微風に乗って漂ってきた。それが南の国の姿だ。あの気配は今に忘れられない。
ヤギヤの店内は、ジャカルタのホテルのロビーとか、レストランのような高級な雰囲気に作られている。あの旅でよく食べたナシゴレンはないかとメニューを探したが、置いてなかった。
食事のあと、街を散歩して、名古屋名物のナナちゃん人形を見学する。これは以前SSK内でも話題になっていたが、はじめて見た。商店街のど真ん中に、天を衝くような巨大な女の子の人形が、足を開いて立っているのだった。ちょっと驚き、思わずその前で記念撮影をする。どうして名古屋人は、このようななものを大通りに造ったのであろう。
それからまたぶらぷらと歩いて、ビルのかなり高い階にあったカラオケ・ボックスへと行く。エレヴェーターを出たら、黒人が流暢な名古屋弁で迎えてくれ、導かれて店内に入ったら、耳をつんざく轟音で、A井さんの声が全然聞こえなくなった。フロアでみんな踊っていて、これは間違えてディスコに入ったと確信したのだが、これで正解なのだった。店内の真ん中にディスコ・フロアがあり、そのぐるりにカラオケの部屋がある。だから部屋によっては、というより大半の部屋は、ボックスに入ってドアを閉めても騒音度ではほとんど変化がなく、こちらも負けじとロックをがならなくてはならない。しかしこの夜のわれわれはそこまでの元気がなかったから、係員に言って、部屋を1番すみの静かなものに替えてもらった。それでなんとか人心地がついた。
名古屋にはずいぶん変わったものがある。明日は、いよいよ森博嗣さんのお宅訪問だ。
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