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島田荘司のデジカメ日記
第87回
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11−6(火)、岩波明氏との会見。
この日、いよいよ東大の精神科助教授、岩波明さんと初会見ということになった。大学の仕事が午後7時くらいまでかかるので、8時くらいには外で会えるという。岩波さんは高田の馬場にお住まいということだったから、大学や馬場からそう遠くない場所ということで、御茶ノ水の山の上ホテル、ロビーにした。
ここは作家がよく缶詰になるホテルとして有名で、ホテルの方も心得ていて、そういう場合、アットホームな雰囲気を作ってくれる。もう記憶が不確かになっているが、ぼくも以前、角川の「消える上海レディ」を確か、このホテルで書いた。この時、表にお茶など飲みにいってホテルに戻ってくると、よく話しかけてくれるので閉口した。ぼくはどうも喫茶店や飲み屋と馴染みになり、「ああ、例のヤツね」などと言いつけることにとんとヒロイズムを覚えないたちなので、こういう時はひたすら放っておいて欲しいのである。
しかし、御茶ノ水アパートなど、乱歩的な気配が遺るこの界隈はとても好きで、以降もよく歩いた。のちに「ドアX」という短編を書いたおりなど、この山の上ホテルの体験がよく思い出されて役だった。あの頃日本のホテルにはどこもBGMのチャンネルがあり、これを選ぶと、各ホテルが特有の選曲でイージーリスニングを聴かせていた。「消える上海レディ」を書いている時、山の上ホテルで聴けたBGMがあんまり上海レディのミステリー・シーンにぴったりだったから、ホテルを出てからまた電話して、あの音楽は何だったのかと尋ねたりした。それで、日向敏文という音楽家を知ったりした。
この夜は、7時にまず講談社の秋元編集者に会い、「最後のディナー」の講談社ノベルス用のゲラに、朱入れしたものを戻した。そして秋元氏と別れ、岩波さんと、光文社のA井さんの到着を待った。
岩波さんの第1印象は、非常に若く、ハンサムな青年だということだった。もう40代だから、青年という言葉はあたらないが、雰囲気がそうだった。若い頃の沢田研二とか、巨人の今の原監督とか、そんなような女性が騒ぎそうなメジャー感があり、もの静かだが、あきらかに片隅にいる人ではない気配があった。
ホテル内の天麩羅屋で食事をしていると、同い年のA井さんと岩波さんは、大学時代同じ心理研究会のメンバーであることが解って、びっくり仰天していた。A井さんが意外にも固いクラブに入っていて、実はこちらも驚いていた。当時のA井さんは、これも驚いたのだが吉祥寺に下宿していて、髪は腰まで伸ばし、丸い坂口安吾型のサングラスをかけ、チョッキに下駄履きという、要するにゲゲゲの鬼太郎スタイルでサンロードを闊歩していたらしい。これで吉祥寺の焼き鳥屋でバイトして名物になったり、そのまま中央線にうち乗って東大に通ったりしていた。だから、A井さんの方は岩波さんがすぐに解ったが、岩波さんは短髪にスーツ姿のA井さんを、あの時のゲゲゲの鬼太郎と判別するまでにはかなりの時間がかかり、ずいぶんして、ああ! おーうおうおう、とようやく解った岩波さんと、2人は固い握手を交わしていた。
岩波さんは、これはかなり本気の本格ミステリー・ファンで、光文社文庫がやっている本格短編の企画、「鮎川哲也の本格推理」に、小波涼のペンネームで応募して、2編ほどが活字になっている。今も、そんなに力を入れているわけではないが、本格ミステリーの作家としても活動したい希望を持っており、しかし私に近づいたのは別に推薦して本を出して欲しいからではなく、秋好さんの境遇、そして冤罪救済活動の必要性を強く感じたからであり、この方向からの日本改善を考えたからであった。であるから、どのような協力も惜しまないと言ってくれたので、秋好事件の現状を説明し、血染めの証拠シャツが戻ってきそうな状況にあるので、新しい鑑定の専門家が必要であること、それが東京大学の法医学者なら、司法としても文句はなかろうから、願ってもないことなのだと説明した。岩波先生は了解してくれ、では東大内の知り合いの先生をあたってみると言ってくれた。これは最高の展開になったと、この時は単純に喜んだ。しかし事態は、そう簡単には行かなかった。
岩波さんは、これから学会で、まもなくサンディエゴに行くことになるという。サンディエゴはLAの南、ぼくも車で行ったことがある。1週間程度で帰るので、動くのはそれからになるということだった。むろんこちらに異存はなく、待つことにした。
食事を終えて、御茶ノ水の町に出た。まだ時間は早かったので、どこかでもう少し話の続きをということになった。ぼくは「秋好事件」とか、冤罪救済活動について続きを話したかったので、ではホテルの静かなバーなどで、と意見を言ったのだが、そうなら別に道に出てくることはなかった。しかしタクシーを停めたA井さんによってぼくの意見は却下となり、東大スタイルで行こうという話になったらしい。
タクシーは夜の東京をひた走り、着いたところは怪しげなクラブで、入ってみたら背の高い金髪、栗毛の女の子がひしめいていたからびっくり仰天した。どうもA井さんの最近の行きつけらしい。みんなロシアとか、ルーマニアから来たそうで、一応英語も話すが、女の子同士の会話はロシア語が中心だった。佐川一政クンなら病みつきになりそうな店である。
しかし中には日本語が異様に上手な娘もいて、この状況に興味があったから、彼女たちの東京での住環境、ここに来た理由などについて、せいぜい取材していた。
ボックス席の背後の壁にはロシアの大地図が貼ってあったので、ウズベキスタンやカザフスタン、トルクメニスタンの位置について勉強しようと思って尋ねたら、なんと彼女たちも知らないのだった。ウクライナや、ロシアから来た子たちが多く、ロシア人もそういうものなのかと知った。ついでに言うと、ウクライナはアメリカでは通じない。ユウクラインである。しかしロシア人、ウクライナ人は、ウクライナと発音していた。そんなことがいろいろと勉強にはなったが、冤罪救済の話など、すっかりどこかに飛んでいった。しかし秋好事件の今後は明るくなってきたので、これでよしとすべきであろう。
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