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島田荘司のデジカメ日記
第86回
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島田荘司のデジカメ日記
11−5(月)、元住吉、「異邦の騎士」のアパート。
当日にはまったく何も思わなかったが、振り返れば、2001年10月17日は大変な日だった。重要なメイルが一挙にぼくのPCに飛び込んできた。それらすべては、おのおのプロジェクトになっていくので、いってみれば3つのプロジェクトの種子が、同時にぼくのもとに飛来した。こういうことは、まあ人生の妙味のようなもので、割合ある。何か大事が起こる時、それは五月雨ふうの落ちついたものではなくて、たいてい突風で、なかなかあたふたさせられる。
ひとつは岩波明さんからのメイル、これはのちにサイト「Top Pigeon」の立ちあげ計画とか、さらには「冤罪救済隊」構想、またこのNPO化と、夢がとんでもなく膨らんでいくことになる。
もうひとつは、これとも関連するが、「秋好事件」の第一級の証拠品、「血染めのシャツ」が還付されそうだという報告が入ったこと。これもまた、予期せざる快挙だった。そして残るひとつが、「第7銀河」立ちあげのプロジェクトである。
ことの起こりは、そもそもA井さんとの九州旅行の直前に遡る。SSKリンクの中の「えすえすきんぐだむ」が閉鎖されるという噂が耳に入った。正確な理由は忘れたが、ともかくゆん犬氏が降りるそうだというので、九州旅行中に福岡で彼と会った。場合によっては引き留めようと考えていたのだが、訊いてみるとその必要はなく、彼は続けるという話だった。
ところが10月になって、やっぱり辞めるという。ただしサイトは閉鎖せず、新管理人を募集するのだという。そこでこの頃よく「WS刊島田荘司」BBSに書き込みをしてくれ、連絡もくれるようになっていたフィットネスクラブ・インストラクターのえいこさんに、書き込み仲間であり、会社の同僚でもあるHさんは管理人をやれないものだろうかとメイルで相談した。
当時Hさんにはまだ会ったことはなかったが、彼女と一緒に時々「WS刊島田荘司」に書き込みをしてくれていたし、「えすえすえきんぐだむ」にも一緒に登場していた。だから彼は「えすえすきんぐだむ」の内部もよく知っているはずだし、えいこさんの話では彼はPCが趣味で、詳しくもあり、いつか自分のHPもやりたいと話しているという。
しかし尋ねてもらったら、自分にはちょっと荷が重いと、そんなような回答であったのであきらめていた。そうしたら10月17日、Y教授からの返答とか、「WS刊」サイトを経由しての岩波さんからのメイルに混じって、Hさんからのメイルもまた入っていた。
WS刊のBBSに登場させてもらっているHです、はじめまして、の挨拶に続いて、「えすえすきんぐだむ」の管理人、やってもいいですよ、島田作品をまだあまり多く読んでいないので恐縮なんですが、それでもいいのなら、ということだった。ではお願いしましょうかねとなり、ゆん犬氏に打診してみたら、もう「よしかず。」さんにほぼ内定したと言う。確かに「えすえすきんぐだむ」のカラーには、よしかずさんの方が合っているかとも思い、帰国して吉祥寺で会った際にこの事態を報告して、「そういうことなので今回は残念でした。いっそSSKに新サイトでも作りますか」と言ったら、「ああいいですね」と彼は言う。
そこで二人で相談し、サイトの名前は「第7銀河」、「Seventh Galaxy」にしようということになった。これはSSKにはもっか6サイトがあるから、7番目に登場した新サイトという意味と、むろん「疾走する死者」で演奏されるチック・コリアの同名曲のタイトルに引っかけたものだ。
Hさんがハンドル・ネームを考えてくれと言うので、銀河にちなんでsiriusとした。これはもちろん「最後のディナー」に登場する、横浜ランドマーク・タワー最上階にあるカクテル・ラウンジの名前でもある。
やがてミーティングにはえいこさんも加わるようになり、3人でコンテンツのアイデアを出し合った。えいこさんは以前からやりたいことであったらしく、ずいぶんたくさんのアイデアを持っていた。特に、「外出する石岡君、着せ替えコーナー」の提案には度肝を抜かれた。これまでにない、ユニークなサイトになりそうだった。
siriusさんは、ぼくの作品に関してはえいこさんに強制的に読まされている最中なのだが、「異邦の騎士」はしっかりと読み、とても好きなのだと言ってくれた。そこで、じゃああの元住吉のアパートに行ってみましょうかということになって、ぼくの運転で出かけた。この日、11月5日が、言ってみればsiriusさんを管理人、えいこさんを副管理人とするSSK新サイト、「第7銀河」の発足日であったろうか。
siriusさんは、良子と敬介のアパートの写真を撮り、「第7銀河」のどこかに使いたいのだという。ぼくも久しぶりでアパートを見てみたくもあったし、ここはなんだか最近有名になって、サイトのみんながよく見物に出かけているらしいから、まだあることは知っていた。
シリウスさん、えいこさんとの3人で吉祥寺をスタートだから、敬介氏のトラックのコースとはかなり違うが、成城学園を過ぎ、万年渋滞の世田谷通りを横切る頃からは一緒になる。世田谷通りの直前、左方向にうねりながら下っていくこの坂は、元住吉のアパートに遊びに通っていた時代にはまだ工事中だったと思う。右手は、「網走発遥かなり」の中一編、「丘の上」の舞台にしたあたりだ。右手の高台の、さらに右は低地になっていて、そこは喜多見地区になるが、ここを流れる野川という川あたりからの視線で描いたのがあの小説だった。そんな話をすると、えいこさんは読んでいるからふうんと言った。
二子玉川を過ぎ、道が多摩川の土手の上に出ると、二人ともああここかと思うらしくて、なんとなく感慨深げにしていた。途中、良子、敬介が車を停めて多摩川の川原に降り、「一目惚れって信じるかい?」と敬介が問う場所があり、停めてちょっと降りてみようかとも思ったが、後続車もあったのでやめておいた。
これがちょっと面白いのだが、「三浦和義事件」中、アニマルズのコンサートを観るために保土ケ谷の少年院を脱走し、トラックに忍び込んで逃げる主人公が、運転手が公衆電話に行くために停まった車から脱出するのも、どうも同じ場所らしい。土手上の道で、わずかにだが空き地があるのはここだ。
交番のところで右折して多摩川を渡り、綱島街道を行くことになる。しばらく行き、八角亭という焼肉屋の角を右に曲がれば、道はすぐに陸橋にかかって東横線を越える。陸橋の頂上にさしかかると、左手眼下、線路のすぐ脇にセピア色の板壁のアパートは見える。陸橋を渡りきるとすぐに左折、またすぐにもう一度左折をしたいのだが、これも無理のようなので、そのひとつ先を左折し、多少難儀をすると、なんとか「異邦の騎士のアパート」の前に出られる。
アパートは、変わらずにあった。外壁は焦げ茶色に塗られていて、ペンキの気配はそう古くないから、たぶんこの数年のうちに塗替えられたのであろう。ぼくがここに遊びにきていた頃、考えてみればそれはもう20年以上も昔だが、建物の背中、つまり線路側は薄緑色に塗ってあった。
友人がここに引っ越してきた時、友人たちの引っ越しの際はたいていそうしていたのだが、ぼくはトラックの運転手だった。この土地にトラックで乗り入れた時の印象はまだ憶えていて、あちこちの建物が薄緑色をして、これが何故か貧しく感じられた。中央線の沿線とはだいぶ様子が違っていて、なんだか貧しい地区に入り込んだような不遜な印象を持った。まあ実際にはそんなことはなかったのだが、今来てみると、緑色はもうどこにもない。やはりあの色は不評だったのだろう。
友人の荷物の運び込みが終わると、引っ越し手伝いのお礼に、友人のおごりでさっきの八角亭で焼肉を食べた。なにしろホームレスと紙一重の貧乏人たちだったから、家財道具など何もない、引っ越しなどすぐに終わった。この頃友人の引っ越しというと、運転くらいしか取得のなかったぼくだから、みんなのトラックを運転してやった。それで友人とか、遊びに行くアパートの数を増やしたが、彼らの結婚のおりは全員の招待をすっぽかしたので、みんなきれいに縁が切れた。
ついでに余談を言うと、それから間もなく慈恵医大の学生ともつき合いができ、部屋に遊びに行く機会があった。彼の部屋は田園調布の、玄関の画像が部屋のテレビで見られるマンションで、今何もないんだけど、と言って台所の大型の冷蔵庫を開けるのを見たら、ホテル・オークラのシチューとか、ニューオータニのスープといったレトルト食品がどんどん出てきたので仰天した。では「ある時」はどうなるのであろうと思った。
もう一人医者のタマゴの部屋に行ったら、これは中庭に点々と彫刻が立っている大きなマンションで、酒井和歌子の隣りの隣りの部屋だと言っていた。なんとまあ日本という国は、貧富の差の激しい国かと感心したものだった。
元住吉のこのアパートの前には、彫刻の立つ中庭の代わりに、陸橋下の小公園があり、これは友人がいた当時からあったが、あの頃は砂場があった気がする。見るともうなくなっていた。
友人の部屋は2階だった。ところが、2階にあがるためのドアの前には綱が張ってあり、ドアノブに触れてみたらロックがされていた。2階はもう人を入れていないのもしれない。友人の2階の部屋に毎週あがっていた経験から、良子と敬介の部屋も階段をあがってすぐ脇にした。つまり友人の部屋もそこだった。今ウプサラにいる御手洗さんも、この貧しげなアパートに来たのだと思うと、なんだか面白い。
やはり処女作の時期は、まるきり未経験のことは書けないものだ。あの小説に出てくるそのままが、まだここにあった。ついでに言うと、その友人の名前はF山敬三といい、敬介の一字は、たぶん彼の名前から取ったものであろう。カメラマンで、当時有名だった繰上和美さんという写真家のアシスタントをしていたから、その縁で、原宿のセントラル・アパート内のこの繰上さんのスタジオにも遊びにいった。そこで浅井慎平氏にも会ったことがある。
今気づいたが、石岡和己の「カズミ」も、この繰上さんの名前からの連想なのであろうか。どうも記憶がはっきりしないが、適当に思い浮かべたつもりが、この人の名を思い出していたのかもしれない。
そうしてみると、モデルにしてはいないが、良子の名前もまた、あの石川良さんの影響があるのかもしれない。そのように書けばなんだか無責任な話だが、書く側の気分というのはそんなものである。ぼくに関しては、場所は直接舞台にしても、知人を登場させることは、少なくとも中心人物はまずない。だから御手洗さんも吉敷さんも、友達のうちにはいない。
siriusさんとアパート外観の写真を撮っていたら、えいこさんは大胆にも中に入っていく。出てきてから言うには、住人の初老の人が出てきたので、20年前にこのアパートに住んでいたので、懐かしくてやってきたんですと言ったら、20年前なら俺、もうここにいたけどなと言われて焦ったそうだ。
えいこさんが聞いた話では、大家はこのアパートをもう以前から壊したがっているのだが、こんなに安いところはほかにないから、自分は出ていけないのだと彼は語り、浮いた金では釣りなどしながら、悠々と暮らしているのだという。ということは、どうやらヌシともいうべきこの人の頑張りで、この一部には有名となったアパートは存続しているということだ。
これは支援をすべきかもしれない。以前にここをひと部屋借り、SSKのオフィスにしようという動きがあったが(?)、資金難から挫折した。かくなる上は、SSK有志からの出資を募り、「篭城支援の会」など立ちあげた方がいいのかもしれない。彼が出ていけば、ここは即刻取り壊しである。
ともかく、自由に見ていいと彼は言ってくれたそうなので、1階にあがらせてもらって、廊下の写真を撮る。考えてみれば、1階廊下を見るのは生まれてはじめてである。先のF山氏の部屋は2階だったからだ。やはりずいぶんと古くなっている印象で、狭い廊下を荒々しく歩けば、アパート全体がゆさゆさとするような、これはまあ錯覚かもしれないが、そんな印象だ。すぐ脇を毎日電車が通ってるせいもあるのだろう。
トイレは共同、風呂なしの木造アパートで、これはかつてはやった「神田川」の世界だ。すなわち、「異邦の騎士」もまた、一部の人には「神田川」世界の小説として読まれているのであろう。この国の一時期に間違いなく存在した、貧しさが終わりかけるあの時代、せつないが懐かしい世界だ。
F山氏はしばらく高円寺に住んでいて、ここにもよく遊びに寄ったが、そこからここに越してきた。理由はと問うと、ステンレス製の東横線に毎日乗りたいからだという。彼は北海道は北見出身の道産子で、ぴかぴか光る東横線が、えらくハイカラに見えたのであろう。
高円寺のアパートがまた、壁を押せば揺れるような掘っ立て小屋で、最近行ってみたら、もう跡かたもなかった。廊下はセメント張りで薄暗く、突き当たりの薄いドアの部屋だったが、この入口に、彼は大きな布を画鋲で留めてぶら下げていた。元住吉のここに来ても、真っ先にそれをやって、この布の内側いたら、こんな貧しいアパートの一室でもなんだか落ちついた。あの様子は雪で作ったカマクラの中とか、山で見つけた秘密の洞窟の隠れ家のようで、あんな気分を今の若者たちも味わうのかどうか知らないが、やはり巷の人情が悪く、毎日傷つくことが多くて、こんな貧しい場所でも落ちつけたのであろう。思い出してみると、こういう細部はみんなあの小説に書かれていて、赤面ものである。
今はもうこんなところには間違っても女性は住まないだろうが、当時は若い女性もけっこうこういうところにいた。あの時代の貧しさは、しかし今思えば、夢の香りがしていた。これは仮の住まいであり、自分はこんなところに一生はいないという、そんな確信があったからだ。巷の人情はなかなか悪かったが、それでも1日80人の自殺者が出るほどではなかった。
廊下の突き当たりに、洗濯機が置かれていた。これは、あるいはさっきの住人のものかもしれない。とすればこの建物は、今や彼の専用物となっているのかもしれず、この建物全体が自分の家なら、これはけっこう悪くない環境だ。
あれから20年、ぼくもF山氏も、なんとかこの手のアパートからは脱出したが、彼はあの当時からずっとここにいて、どうやら生涯居続けるつもりのようだ。えいこさんに、明日は病院に行き、どこかの手術をすると語ったそうだ。そうなら、手術がうまく行き、無事にここに戻ってきてくれるよう、「異邦の騎士」の愛読者のためにも祈らずにはいられない。
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