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島田荘司のデジカメ日記
第84回
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島田荘司のデジカメ日記
島田荘司のデジカメ日記
10−19(金)、一筋の光明。
Y先生からの否定的な返答が戻ってきた10月17日、その直後に「WS刊島田荘司」サイトを通じて、こんな転送メイルも飛び込んできた。

島田先生。
はじめてお便りいたします。私は現在42歳で、大学病院の精神科に勤務しています。私は子供のころからのミステリのファンで、先生の作品も愛読しています。
(中略)冤罪事件を扱っている先生の「涙流れるままに」を手に取りました。恥ずかしい話ですが、読んでいる間中、特に後半は泣けて泣けてしかたがありませんでした。加納通子の悲しい運命にも涙せずにはいられませんでしたが、冤罪事件をめぐる人々のあり方にも、心打たれるものがありました。
(中略)島田先生は、「秋好事件」をはじめとして、現実の冤罪事件に取り組んでおられます。私は畑違いの人間ですが、もしも冤罪の問題について、何か先生のお手伝いができることがあれば、教えていただきたいと思い、ペンをとりました。ぶしつけな話かもしれませんが、国立大学の教官という立場で、何らかのお役にたてることもあるかもしれません(また専門分野の精神医学に関連することなら、どのようなことでもお手伝いできると思います)。最後になりますが、これからもたくさん作品を書いて、私たちファンを喜ばせてください。

東大の、精神医学科助教授、岩波明さんという人からのメイルだった。淡々とした文体の中にも心打たれる筆致で、一読、あまりのことにしばらく放心したほどだった。東大病院とはまた、願ってもない立場の人からの協力志願だ。東大の精神医科であれば、東大の法医学者を紹介してもらえるのではないか。これ以上ないポジションの人からの、もったいないほどの言葉で、こんな地位の人から、こんな言葉が自分に向かってかけられるなど、今まで想像もしたことはない。強力な助っ人の出現で、ぼくは小説というものの持つとてつもない力を知って、感動した。
そうしていると、翌日の10月18日、九州の安部弁護士からこんなメイルが入った。11月中は非常に忙しく、とても大阪に行くことはできそうもない、もし3弁護士ともに揃う必要があるなら、12月の初旬なら自分はなんとかなる、そういう内容だった。しかし続いて、こんな驚くべき文面があった。

飯塚支部に保管中の押収物の件ですが、裁判所の押収物主任官の藤原さんに電話で確認したところ、「還付してもよいのではないかという結論になりそうですが、もう少し(1〜2週間)検討させて下さい」とのことでした。結論が出たら藤原さんから連絡していただくようにしています。
秋好氏のカッターシャツ、丸首シャツ、ズボン、パンツ、靴下は、当然秋好氏に還付されることになるのでしょうが(それはそれで実現すれば好ましいことと思いますが)、少し気になるのが、他の押収物(封筒、通帳、T・M氏の領収書、家計簿、請求書、OSリースのメモ、白色スリップ、ネグリジェ)が、他の所有者に還付されることになります。特に白色スリップ、ネグリジェについても、それでよいのでしょうか。

安部弁護士の口調は淡々としていたが、これがまた、一瞬目を疑ったほどに信じがたい朗報だった。地裁飯塚支部に保管中の第一級の証拠品、事件当時秋好氏が着用していた血染めのカッターシャツが、もしかするとわれわれの手に戻ってくるかもしれないというのだ。期待していなかったのみならず、もう存在さえしないと思っていた第一級の証拠品だ。見果てぬ夢を描いた「涙流れるままに」だが、あれにもなかったような、予想外の好展開だった。
これさえあれば、法医学者さえ見つければ再鑑定を依頼できる。東大の岩波先生が協力を申し出てくれた翌日、血染めシャツが戻るかもしれないという報が入った。これを天の配剤と言わずしてなんというのであろうと思う。
だが、喜びすぎないようにすることだ。まだ決定したわけではない。相手の気が変わる可能性もある。
続いて堀弁護士からメイルが入る。

本日書記官から電話があり、何か書面を提出する予定はあるか、という問い合わせがありました。いろいろ探ると、どうも裁判所は、年内に結論を出すつもりのようです。一応、年内には書面を提出する予定であると答えておきました。書記官は、それでは予定がずれ込むが、裁判官に伝えるということでした。
従来の枠内であれこれと書面をまとめることは、そうむずかしい作業ではありません。ただ、裁判所の予定も踏まえて、大阪行きの件についての意思統一を、明確にしておかなければなりません。

続いて光文社のA井さんからもメイルが入る。

島田荘司先生。
いま安部先生から、私の携帯の方に電話をいただきまして、還付請求についての裁判所の感触につきまして、以下のようなご連絡がありました。「秋好さんの衣服類などの証拠物件が、還付できるかどうかの裁判所の判断は、あくまでもまだ検討中であり、決定ではありませんが、裁判所内のいま現在の議論の大勢としては、もう還付してもかまわないのではないか……」という方向とのことです。「いずれにしても、来週か再来週には結論が出るでしょう」、と安部先生が接触されている裁判所の方は言っているそうです。希望はもてる状況ですが、まだ楽観はできない……、といったことでしょうか。上、とりいそぎまして、ご報告のこと。

あきらかに、事態が動きはじめた。光明が一筋見えはじめている。この機を逃さないようにしなくてはならない。しかしあせることはさらにまずい。機を読み、目前の因子をうまくつなぎ合わせて、取りこぼしなく、過不足のない動きを心がける必要がある。そして10月19日、ぼくは岩波先生に手紙を書いた。

岩波明様。
メイルいただきました。大変嬉しかったです。ありがとうございました。読ませていただき、いろいろな意味で、感慨深いものがありました。岩波さんに言われ、私も「涙流れるままに」を久しぶりに手にとり、再読してみました。やはり涙が出ましたね。よくこういうものが書けたなと、びっくりました。
それは、自分が書いたものにこんな力があったという満足などではなく、何ものかが、そうする理由があって私にこれを書かせのだと、そんな確信を得たので驚いたのです。これにはきっと何かの意味があったのだと、今はそう思います。
個人の力でできることには限りがあり、ストーリーは、常に誰かに空中から与えられるものですが、いつまでもその誰かに、ストーリーを与えられ続ける存在でありたいと願います。こうして岩波さんにメイルをいただいたことにも意味があり、現実の事態も、天の何物かの意思で動いていくのでしょう。
むろんそんなふうに考えすぎることは、これもまた選民意識であり、慢心の範疇ですから、やりすぎないようにはしますが、「秋好事件」は今、なかなかにむずかしい局面にさしかかっています。しかし昨日、絶望的な中にも一条光明が見えました。すると、それとまったく時を同じくして、岩波さんからのメイルも舞い込んだのです。これにはどうしても暗合を感じてしまいます。
どういうことかというと、「秋好事件」は、被告が犯行時に着ていた白カッターシャツに付いた血液というものが、最重要の証拠になっています。しかしこの証拠品は、もうわれわれが手に取ることがかなわず、ために鑑定書は、過去にこれを見た経験を持つ専門家にしか書いてもらうことができませんでした。そして日本の司法は、こういう専門家の書く文書しか考慮しません。ということは、この1人2人の専門家が心変わりしたなら、もう被告を助ける手だてはなくなるということです。
実際にこの通りのことが最近起こり、われわれは絶望的な壁に直面していたわけです。鑑定書が駄目となればこの先をどうするか、われわれはこのところ、これで悩んでいたわけです。
光明というのは、このカッターシャツを、もうそろそろ被告に還付してもよかろうと裁判所が言っているという報告を、昨日弁護士から受けたことです。これは、まったく期待していなかったよいニュースでした。もし証拠品の還付が実現するなら、新たな鑑定人を探して立てるという作戦も可能になります。
まあ、あまりこんなことばかり書いていてもいけませんからやめますが、私としては、できることなら岩波さんと一度お会いして、お話ができればと願っています。
10月31日に光文社の新人賞の審査会があり、東京に帰ります。11月いっぱいは東京にいる予定です。その時、もし岩波さんにお時間がおありでしたら、こちらはいつでもお合わせし、お近くまでうかがいます。以前、養老先生とおつき合いがあったおりは、何度か東大のそばに行きましたし、「涙−−」の担当編集者で、「秋好事件」の活動にもつき合って下さっている光文社のA井担当編集者は、東大文学部の出身です。
「秋好事件」の現状について、もし何かご質問をいただけましたら、何なりと喜んでお答えします。もしも岩波さんが、この事件にご協力してくださるということがありましたなら、私としては百人の助っ人を得た気分です。それが可能でしたら大変嬉しいですが、そうでなくとも、お話を聞いていただけるだけでも満足です。
(中略)ではメイルをありがとうございました。よろしければまたメイルさせていただきます。
島田荘司。

すると岩波先生から、返事がもらえて嬉しい、是非お会いしたい、今「秋好事件」を読んでいます、という返事がすぐにきた。「秋好事件」に関わって以来、最大の光明を感じた。何かが始まりそうで、小説というものの力を、そして自分にそれを産み出す力があったことを、神に感謝した。
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