島田荘司 on line
on line top Weekly Shimada Soji top
編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第82回
写真をクリック!大きな画像で見られます。
島田荘司のデジカメ日記
島田荘司のデジカメ日記
島田荘司のデジカメ日記
9−29(土)、関内オフ会。
鮎川賞パーティの翌日は、横浜関内でSSKオフ会があった。これにも金田さんは興味を示してくれていたので、誘って一緒に行くことにした。そして今回は、吉敷竹史生みの母である、光文社の竹内衣子女史も、オフ会なるものを一度体験してみたいと言われるので、誘うことにした。
ちょっと余談だが、この「女史」という呼称も女性差別心の現れだから使用自粛すべしという説があるが、「女の子」は解るが、ここまで言うのはもう賛成しない。この種のことは、あまりやりすぎると、なんだどれも口にできないのかとなって結局もとの木阿弥、現状が維持されて改革は頓挫する。日本の人情を考えたら、こういう見下し意識がにじまない言葉というものはないといってもよい。民という文字も使えなくなる。
テレビ人、芸能人を、わが民は知らず家来のように感じているし、ホステスさんたちの、何時間か店にすわるだけで何万円も出してくれる狂的善意のお客さんを把握する陰の会話は、完全に部下に対する上司のそれとなっている。これも彼女たちには完全な無意識で、当然のことと心得られているから改善はむずかしい。日本語とはそういうものなのである。これは身分制維持の小道具なのだ。だから対抗的ホステス蔑視もまた解消がむずかしい。したがってホステスさんの意識もまた変化しない。イスラエル問題のようなものである。このようなことは日本には山ほどあって、回り回って人をどんどん自殺させているが、優先順位発想を持ち、問題とする順番を決めなくてはならない。女史などずいぶんと後方になるであろう。
ともかく竹内さんはもう定年で退職し、悠々自適の身だから、参加すると会の平均年齢を一挙にあげてしまうと恐縮する。そんなことはないですよとA井さんと二人で説得する。
会は、まずは馬車道裏通り、十番館すぐそばの中華料理屋が一次会であった。われわれのグループは、東京で待ち合わせたり、関内駅前で落ち合ったりして、ずいぶんと膨れあがった。光文社勢以外にも、南雲さん、南雲堂社員の星野さん、ビートニクス弁護士、えいこさん、えびちゃん、007氏に金田さんという陣容だった。
金田さんをともない、われわれ一団が会場大部屋に入っていくと、金田さんの参加は伝えてなかったので、すでに揃っていたみんな、ずいぶんびっくりしていた。
席につき、タックさんの司会で会が始まると、ここでぼくは連夜のご挨拶、続いて特別ゲストの金田賢一さんも挨拶をしてくれて、乾杯の音頭をとってくれた。
金田さんは、「開け! 勝鬨橋」の映画化のための挑戦を今やっているということ、そしてやくざグループの代貸は自分がやるから、これはほかの役者さんの名を言ってもらっては困るけれど、それ以外の配役、特にカーキチのご老人たちに関して、こんな役者さんがいいなというようなご意見があったら、是非聞かせて欲しい、参考にしますから、などと話した。
乾杯の後、みなさん一人一人の自己紹介となり、竹内衣子さんの番になったら、
「私は吉敷の生みの母なんていつも言われて、とっても嬉しいのですけれど、なんだか私ばっかり歳を取ってしまって、吉敷はいつまでも若々しくて、ちょっと悔しいです」と言った。
彼女は、SSKの若者たちにの人柄にはとても感動していて、みんな本当に人柄がいい、こんな若者がまだ日本にいたのねー、と何度か言った。これはまことに同感で、ぼくも常々そう思っている。このメンバーの、才能や力だけではなく、人柄がよいことこそは誇りである。人柄こそは、志の容器だ。
いわゆる力があるというのは、たいてい暗記力テストの結果のことで、能力が低い教師が短時間で大勢のテストをしたければ、思いつくのは地図や教科書に穴ぼこを開け、文字を埋めさせることになる。そんな程度の評価法でよい点がとれても、それは記憶力に関してだけの話で、それを何に使うかが思いつけなくては何にもならない。
受験用点取り技術の延長発想で、難問はすべて先送り、金のかかった受験費用回収のための省庁汚職、先送り難問は当然焦げついているから、これを国民の目から隠すための組織腐敗、ぼくらは毎日毎日、うんざりするほどこのパターンを見てきた。教育の現場で、ひたすら現状が維持されるなら、こんな様子は未来永劫続く。日本でいう優秀さとは、ぼくに言わせれば日頃用いる人の脳の力の、せいぜい100分の1程度を計った結果にすぎず、創造力など、その存在すら教師は知らない。そんなテストの数字を見て、落ち込んだり自殺したりするのは馬鹿げている。
SSKの人たちは、そういう意味で、日本を底辺からじわじわと変えられる可能性を秘めている。こういう潜在能力を持つ人たちが、日本にもっと増えてくれればいいと思う。だからこれからもオフ会があれば、時間が許す限り出るし、SSKサイト発展のために、全力をあげたいとも思っている。むろんみんな生活があるから、期待しすぎてはいけないが。
思いがけない人との再会があった。HNロニーという人で、福山出身で、もう10年以上前になるが、信仰心と受験とで悩んでいて、会って話したことがある。これから北海道あたりを放浪するつもりと言っていた。それがとても立派な印象になり、落ちついた青年になって、しかもSSKのメンバーとして現れてくれたから嬉しかった。
パロサイ・ホテルの執筆者とも、ここではじめて顔を見て話すことができた。中川淳一さんは、作中に登場した若いマジシャンそのもので、物静かでとてもよい感じだった。青田歳三さんは、これから漫画の原作を書くと言っていた。プロ世界進出、かなり有望らしい。
北川浩二さんは、金田さんの大ファンということで、いきなり会えて感激しきりだった。香乃瀬たくみさんが女性だったのにはびっくりした。
安藤さん、あさなぎさん、菅原さん、矢部さん、江馬さん、小島さん、角田さん、みんな集まってくれていて、顔が見えたから嬉しかった。今もし名前が落ちている人がいたら、それは当夜ぼくが酔っぱらっていたせいで、個人的にメイルをいただければ、本にする際には訂正します。
幹事は例によってタックさん、そう、いつか書こうと思っていたのだが、この「タック」という言葉は、今御手洗さんがいるスウェーデンでは「サンキュー」である。いつも幹事を引き受けていただき、まことに「タック」だ。
そして今回は彼の補佐役として、音楽評論家でカレー評論家、しゃくてぃ・カレー侍氏がついてくれていた。彼も人柄がよいので、早く弁護士となって、秋好事件解明に協力して欲しいものだ。
二次会にと場を移し、会はいよいよ盛り上がってきたら、リョウさんこと船引さんが大阪から新幹線で到着した。彼は相変わらずの喜劇役者的立ち居振るまいで、一座の関心を引く。しばらくうろうろしていたが、すわる席がないと言ってぼくのそばに来たら、何故か007号も彼方からふらと遠征してきて、二人で漫才となる。この二人、似ているのは長身というくらいで、あとは何から何まで違っているのだが、何故か気が合うらしい。
さてそろそろおひらきという頃合いとなった時、それまで静かであった金田さんが、やおら大声で発言した。その内容はというと、以下のごときものである。
「タックさん、あなたをSSK永久幹事に任命します!」
そして会場は盛大な拍手に包まれ、金田さんじきじきともなれば、気の毒にもこれは決定事項となったのであった。
デジカメ日記 バックナンバー

Copyright 2000 Hara Shobo All Rights Reserved