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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第81回
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島田荘司のデジカメ日記
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9−28(金)、鮎川賞のパーティ。
鮎川賞のパーティが、飯田橋のホテル・エドモンドである。今年は金田賢一さんを誘って出席する。
このパーティは、この日記でもずっと経過をお伝えしてきた候補作「人を食らう建物」に本賞、第11回鮎川哲也賞を与えるパーティである。これはタイトルを「建築屍材」と改め、ぼくなども一緒になって作者、門前典之さんと磨いてきた。今回はこういう経過や、鎌倉での選考会の様子、また受賞作の美点などを、ぼくが壇上でスピーチすることになっているから、出席しないわけにはいかない。同時に、第8回創元推理短編賞の受賞者と、第8回創元推理評論賞の受賞者にも、それぞれ賞が授与される。
パーティ開始1時間ほど前に、ホテル1階玄関脇のティールームで、まずは講談社文三の唐木部長と会う。「Pの密室」ノベルス版に挿入する図版を見せてもらい、修正部分の指摘などして、最終的な打ち合わせをする。これは秋元さんが突発性難聴で倒れたので、新部長が自ら彼の代わりをやっているというかたちである。聞けば、秋元さんの経過は順調とのことだ。
そうしていたら金田さんが来たので、彼を唐木部長に紹介する。やがて穴井さんもやってきて合流、会場に入室後は、ぼくは壇脇の審査員席にすわらされることになり、金田さんの相手ができなくなるから、これを穴井さんにお願いする手筈にしている。唐木さんもパーティには出席するが、図面の版下を持っていったん護国寺に帰社し、これを印刷所に入れてから戻って、パーティに参加する。したがって彼は、パーティは始まってから参加することになる。
唐木さんを見送ってから、しばらく金田さん、穴井さんと話す。頃合いになったので、会場に入る。
料理の準備が中央のテーブルで進んでいる、がらんとした会場を横ぎり、審査員席まで行くと、鮎川先生はすでにいらしていて、いつものように、静かに椅子にすわっていらした。奥さんもご一緒だった。ご挨拶して、お隣りにすわる。この日、笠井さんは欠席である。やがて短編賞審査委員の有栖川さん、綾辻さん、加納さん、それに評論賞の権田萬治さん、巽さん、法月さんも現れ、みんな審査員席にすわる。準備完了、すると正面の大扉が開けられ、大勢の招待客たちが入場する。マイクを通じて司会者が開会を宣言し、授賞式が始まる。
この時客たちは、何故かこちらの壇にはあまり接近せず、会場の後方半分あたりにひしめいて立つ。授賞式が終わり、立食パーティが開始されるまで、ずっとこのままだ。いつものことなので、ぼくは審査員席にすわったまま、不真面目にもデジカメで写真を撮る。さすがにストロボはオフにする。
長編の鮎川哲也賞は授与式のメインなので、門前さんが紹介され、彼がお礼の言葉や決意を述べると、たちまちぼくの出番となる。大きな会場で、高い壇の上に立てば、こちらに向けられた煌々たるライトで客席の人の顔が全然見えないことがあるが、このくらいの規模のパーティならそんなことはない。壇も大して高くないから緊張感もほどほどで、まことにありがたい。こういうところにあげられても、もうあがることはなくなったが、まったく緊張しなくなるのは一番困る。適度に緊張が来るという状態が、喋る時も、歌を歌わされる時も、最もよい仕事ができる。
この時話した内容は、鎌倉の選考会の日の日記に書いたようなことだ。圧倒的な作品がなく、選考が多少揉めたかわりに、作品を磨いて世に出すという、前々からやってみたかったことが今回は行え、大変満足している。結果として、作品の完成度は例年以上の水準になっていると思う、そんなようなことを話した。
席に戻り、続いて短編賞の授与式になったので、壇上で選考経過を話す有栖川さんの写真を、審査員席から撮ったりした。
授与式が終わり、立食の歓談タイムになったので、ぼくは綾辻さん、有栖川さんを誘って金田賢一さんの前に行き、紹介した。金田さんは、彼ら新本格系の作品もよく読んでいるので、彼らとの話ははずんでいた。
会場のすみに立っていると、たいていサインをして欲しいとか、一緒に写真に写って欲しいとか、読者の方に言われる。この夜は赤坂の書店の経営者という人もいて、この人とは思わず固く握手をしてしまった。光栄なことと思っている。ぼくなどでよければ、サインくらいいくらでもする。こんなふうにして、荻須夜羽さんとも知り合った。
なんだか自慢話めいて嫌だが、特にこの賞のパーティでは、考えてみればぐるぐると会場を歩いたことがない。一個所に棒のように突っ立っていると、次々にいろんな人が周りに現れ、話をし、サインをし、写真に写り、相談を受けしていたら、あっというまに螢の光が流れ、会はおひらきになるのだ。料理も、誰かが気をきかせて小皿を持ってきてくれない限り、しっかり食べた記憶がない。しかしこの夜は金田さんもいたから、女性たちは彼の周りに集まりがちだった。
受賞者の門前さんも来て、挨拶してくれる。それから短編賞、評論賞の人たちも現れ、一応挨拶をしてくださる。さらには、長編賞の候補者の方々も、全員集まってくれる。編集者が遠足のようにみんなを引率してきて、どうぞ直接お言葉を、などと横で言われる。どうもぼくは貫禄がないらしく、いつでも候補者の人たちの相手を長々させられる。ほかの選考委員の先生方は、こんなことはしていないように思う。時には受賞者に、島田さん、ぼくの作品がイチ押しではなかったそうですね、などと言われたりしてまいる。
こういうことが続くので、ぼくは選評にあまりきついことが書けなくなった。それをやると、こういう場でバツが悪いのである。しかしぼくはもともときついこと、威張ったふうの書き方が嫌いなので、こういう席は嫌ではない。ぼくがもし多少なりとも強い言い方をしたとしたら、それは、そのようにしたら必ず作品が良くなるという自信がある場合だ。だから自分に対する批判でも、作品を良くするための具体的な提案が目的なら、それがどのようなきつい言葉によってなされていても、ありがたいと思うだろう。むろん当たっていればだが。しかし自分の場合を考えてみても、そのレヴェルの力が発言者にあれば、言葉は必ず包容力を伴う。ぼくは、威張りたいがための、否定のための否定など、生涯することはない。
思えばぼくは、まさにここでこうして二階堂さんと会い、西澤さんを見つけ、氷川さんを見つけ、柄刀さんを見つけた。新潮社では響堂さんを見つけ、松田十刻さんを見つけた。古くは、これはここではないが、今審査員席にすわっている綾辻さんを見つけた。だから、こういう時間はありがたいことだと思っている。本選考に落ちた人たちが、気安くぼくの前に来てくれるから、今までにこういう仕事もできた。
本賞に落ちた時の挫折感を、ぼくはよく知っている。だから、こういうパーティ会場でぼくのような人間を目の前にすることは、落ちるなど、嘆くには値しないのだという気分につながるならいいと思う。しかし、ぼくによってすくいあげられる人の複雑な気分もまた。最近はよく心得るようになった。むずかしいことだが、ぼくがもう少し老人になれば、たぶんすべては解消するだろう。
会場で、思いがけず井上夢人さんに会った。それから二階堂黎人さんと、評論家の野崎六助さんにも会った。井上さんは、なんとなく恰幅がよくなっていた。そう言ったら、ただ太っただけ、言っていた。
会場には、秋好事件の3弁護士の1人、高橋健一氏も来ていた。これが面白いのだが、彼は剣持鷹士というペンネームで「あきらめのよい依頼人」という短編を鮎川賞に投じ、見事短編賞を授賞している。
パーティが引けてから、彼高橋弁護士と金田さん、それに穴井さんとの4人で下のバーに降り、秋好事件の今後についてのミーティングを持った。
内容は、金田さんの従兄弟が、大阪で臨床の医師をしている。彼が自分の恩師の法医学者を紹介すると金田さんに言ってきてくれていた。そこでこの先生に、秋好事件の証拠のシャツの血液痕についてまず意見を聞いてみる。そしてもしも有望なら、この先生ご自身に再鑑定依頼についての打診をしてみる、この日取りをいつ頃とするか、そういったあたりまでを、この夜は相談した。
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