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島田荘司のデジカメ日記
第80回
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島田荘司のデジカメ日記
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9−24(月)、神田、ガンガサガ。
石川良さんと神田駅構内で落ち合い、彼女のお兄さんが経営するカレー屋、「ガンガサガ」に行く。神田駅からほど近く、歩いて数分、ビジネス街のど真ん中で場所もよい。以前にやはり彼女と行った居酒屋「葡萄舎」の、神田駅をはさんで点対称の方角にあたる。
大通りに面していて、横断歩道を渡り、近寄っていくと、黄色いテント看板に、インド料理屋「Ganga Sagar」と書かれていた。
ランチ・タイムだったのだが、2時頃なので客足がちょうどひけたところか、店内はそんなに混んではなく、落ちつけた。柔和そうなインド人のコックが二人カウンターの中にいて、こちらに笑いかけてくる。雰囲気は、掛け値なく本格派のカレーといったところだ。セルフサーヴィスなので、お櫃からご飯を皿にとり、銀の四角い容器に何種類ものカレーが入っているから好みのものをかけ、テーブルに持ち帰って食べる。チキン・カレー、キーマ・カレー、野菜カレー、シーフードカレーといった調子で、ナンも用意され、サラダも、スープもある。デザート用に、白いヨーグルトまであった。至れり尽せりで、しかも食べ放題のようだ。これはこのあたりの土地柄、あたるのではないか。
味もよかった。ぼくはまだインドには行ったことがないので、まあ行っても街でカレーを食べるなど危険だろうから、本場との比較は永久にできないが、LAを思い出した。あまり知られていないが、LAにはインド人が大変多く、けっこうカレー王国といった趣きがあるのだ。ご飯があって、これにカレーのスープをかけるという構造は日本と同じだが、味がかなり違う。LAのカレー屋は、料理人からウェイターまで必ず全員がインド人なので、おそらくは本場のものにごく近いか、そのものなのであろう。ご飯も味が違う。そして必ずナンとピクルスがある。
神田ガンガサガのものは、そういう日米の中間という感じで、しかしやはりLAの方に近い。こくがあって、独特の油分が感じられる。これは言葉ではなかなか表現ができないが、インド人の体質の味、それとも鍋の味とでも言いたくなる。以前にここに書いた渋谷の「ムルギー」の味などとも、これはまるで違っている。あれは一種枯れた味で、なんだかわがわびさびふうだ。
店長の石川さんが近くにすわってくれ、あれこれと講釈をしてくれるので、食べながら話す。店には、SSKサイトからPattyさんなど、何人かが食べにきてくれたという。石川良さんとは、途中十年もの中断はあるが、思えばずいぶん長いつき合いになる。しかし、こうしてお兄さんと会うのははじめてだ。
ここはもともと石川さんのご一家が、「珈琲館」という喫茶のチェーン店をやっていた場所なのだそうだ。お父さんが亡くなったのを機に、カレー屋にした。カレー屋は、もうそろそろ3年になるという。お兄さんに言わせれば、70年代頃、喫茶店もよい時代があったのだけれど、だんだんに儲からなくなったので、商売替えをしたのだそうだ。
カレー屋は、オープン当初は大いにあたったが、だんだんにここも不況の風にあおられ、ランチ時はまずまずなのに、夜に客が入らなくなった。これはハニーのスター・ファラフェルと同じだ。この辺はオフィス街なので、場所がよすぎてかえって客が来ない。日が暮れれば、このあたりの住人は揃ってベッドタウンにと移動してしまい、帰宅を思い留まって入る店は、アルコールを出す店だけという話になる。そこでここもアルコールを出すことにしたのだが、カレーを食べながらアルコールを飲むという日本人は、どうもあまりいないらしい。
6、70年代といえば、フォークグループ、ガロの、「学生街の喫茶店」などという歌が大いに当たっていた。高田馬場あたりの喫茶店をイメージして聴いていたが、この店もそうだったかもしれない。当時猫も杓子もギターを下げて歩いていて、コードをかき鳴らしては曲を作った。吉田拓郎なんて人がそんな群れから抜けて浮上したスターで、ぼくも石川良さんも、あの頃はせいぜいギターを弾いて歌を作ったものだ。そしてわれわれは、互いにギターを抱えて大橋のポリドール・レコードで出遭い、その頃彼女のお兄さんは、ここで喫茶店をやっていたというわけだった。
あれから時代は移ってぼくは作家になり、ふと周囲を見れば、今は猫も杓子もキーボードを叩いて小説を書いているような気がする。はて、これは気のせいなのであろうか。自分はまことに、みんながやるようなことばかりやってきたような気もする。
この店の名前「ガンガサガ」は、インドの川からとったのだそうだ。マハラジャだのデリーだのは、あんまりありふれていて嫌だったのだとお兄さんは言う。かなりこだわりのある人で、ナンを焼く釜も作ったという。
店長が、このヨーグルトは、このリキュールを入れて飲むとうまいのですよと言って、カシスだか、フランボワーズだかをどぼどぼと入れてくれる。飲むと、確かにこれもおいしかった。さらにはマハラータに、キングフィッシャーという名の、インド産のビールも出してくれた。ビールには警戒したのだが、これもまったくおいしかった。
何故警戒したかというと、LAで日本食を食べにいくことがある。ビールを選ばされるので、日本のキリンだのサッポロだのが懐かしくなって、注文する。するとこれがたいていうまくない。ビールの干物となっているのだ。
ビールは生もので、新鮮でないとまるでおいしくない。長い距離を旅してくる日本産のビールは、時間がたち過ぎていて、味が落ちているのだ。だからLAでは、もうあれこれ迷わず、土地のライトビァを飲むことにしている。それが一番安全なのだ。
この場合はインドだから、日本に来るまでには赤道も越える。当然干物になっていないかと警戒したのだが、これがそういうことがなかった。充分に新鮮で、おいしかったのだ。
また石川さんにはよいお店を教えてもらったと、すっかり満足して店をあとにしたら、それからしばらくして、お兄さんはこの店を閉めてしまった。よい借り手希望者が現れたので、自分の店はさっさと畳んでしまったらしい。そういえば、次は上海で、フカヒレスープやペキンダックを安く食べられる中華料理の店を出したいと、彼は夢を語っていた。
ふうん、では中国か、とそう思っていたら、また石川さんから最新ニュースで、中国はやめて日本で中華レストランを開店する運びにしたという。スタッフは全員中国人なので、もっか日本人のウェイトレスを探しているらしい。そういうことなら、オープンしたらまた食べにいかなくてはなるまい。
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