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島田荘司のデジカメ日記
第75回
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9−20(木)、鹿児島で最もよいもの。
光文社、カッパノベルスのA井さんの立てたスケジュールに沿い、羽田空港を午前11時30分発のANA623便で発ち、鹿児島に向かう。鹿児島には13時10分に着く。空港駅前のトヨタ・レンタカーでカローラを借り、鹿児島の街に走りだす。
これは別に光文社が予算をケチったわけではなく、最初はマーク2を予約してくれていたのだが、ぼくが頼んでカローラに変えてもらった。というのも撮影の予定があったからで、道端に停めてちょっと写真を撮るというような場合、小さい車の方が楽だからだ。写真というのは「吉敷竹史攻略本」のためで、吉敷の一連の事件のうち、主要な一編「灰の迷宮」はここ鹿児島が舞台だから、ここの写真が撮りたかったのだ。鹿児島飛来の最大の目的はそれだ。その写真をコート紙に印刷して、この上に「灰の迷宮」からの一節を引用するとか、この地に取材して、新たにエッセーを書くなどしたいと考えた。
まずは「灰」の大もと、桜島の遠景を写したかった。するとこれは、城山公園からというのが定番なのだそうである。A井さんのナヴィゲートで車を走らせ、城山公園に登って駐車場に車を停め、展望台まで歩いて手摺り前まで行ってみれば、なるほど「その時歴史が動いた」の大久保利通編、「歴史発見」西郷隆盛編でお馴染みの光景が待っていた。おとといは東京、大久保利通が死んだ場所近くで食事をしたが、今日は九州、彼が生まれ育った場所に来た。
百数十年の昔、この南の果てからいでた維新の獅子たちは、この湾とあの火の山を眺めながら、決起と明日の国作りを相談したのであろう。近くは60年の昔、あの山と麓の湾を真珠湾に見たて、わが海軍はハワイ奇襲を徹底練習した。あの山とこの地は、何故かわが歴史とよく関わっている。
今日は煙はまったく出ていない。桜島の上空には、白い大きな雲がかかっているばかりだ。だから鹿児島の街も、今はまったく清潔だ。デジカメと、フィルムのカメラで桜島を撮る。
車に戻り、スタートして城山を下り、港に行って、桜島に渡るフェリーに乗る。出向後、車から降りて甲板に発ち、強い潮風に吹かれれば、桜島が徐々に近づいてくる。雄大で、確かに人の気持ちを大きくする山だ。
桜島に着き、車で上陸、走りだす。右に曲がると、すぐに桜島の博物館があった。ミニチュアを駆使した貴重な展示に加え、噴火の記録映画まで時間ごとに上映しているのに、がらんとしてまったく人けがない。観客はわれわれ2人だけ。東京では、どこに行こうとこんなことはまずない。噴火の記録映画を、A井さんと2人だけで観た。終わったら、上映してくれたおばちゃんにお礼を言った。非常に性格のよい人だった。
桜島は、山裾に沿ってぐるりと一周できる。左廻りにドライヴしていく。途中に展望台があり、あがってみると、火山弾の荒涼とした瓦礫の原がひらけた。道に、点々と噴火時の避難所がある。セメント造りで、トーチカのようだ。桜島は、なかなかに男性的な光景を持つ島だ。
周回路途中の土産物屋で、お土産用の焼酎とか漬物を買う。ここのおばちゃんがまた性格がよかった。日本では、なかなか性格のよいおばさんというものにお目にかかれないので、A井さんと2人、いたく感動する。明るくにぎやかで、しかも威張った感じがない。実に脱日本的な様子である。これが鹿児島人気質なら、本当に大したものだ。
桜島はもともとは島であったが、近年の噴火によって溶岩で陸と繋がり、車で鹿児島に戻ることもできる。フェリーなら最短距離というだけだ。
鹿児島に戻り、鹿児島東急ホテルにチェックインする。荷物を部屋に置き、少し休んでから、夜の天文館通りに夕食に出る。
天文館通りというものは鹿児島一の繁華街で、観光を別とすれば、夜の歓楽関係のすべてがこの周辺にあるのだそうだ。この道は、「灰の迷宮」では確か荻野恵美という女性が、下着姿で堂々と歩いてきた道だった。そこで天文館通りまで行き、写真も撮る。天文館通りというのはアーケード街で、人けが消えた深夜の吉祥寺サンロードに似ていた。皎々と明るいこんな道を、若い娘が下着だけで歩いたら、それは男たちが何ダースもくっついてくるであろう。
この荻野恵美という人は、女性読者に評判の悪い女性キャラクターが多いぼくの小説でも、とりわけ不評の一人で、だいたい死んだ女性はまず悪く言われないのが通常なのだが、この人だけはけっこう悪口を聞いた。吉敷ファンだというある酒店経営の女性から、「吉敷は、あんな荻野恵美なんと女と鹿児島で会って、鼻の下を長くして」うんぬんという長い手紙をもらった。吉敷は、ずいぶんと恵美を拒絶し続けていたと思うのだが、それでもこんなことを言われるのでは、いったいどうすればよかったのであろうと、ずいぶん悩んだものだった。
それからA井さんの案内で、天文館通りをちょっはずれ、一兆という料理屋に行った。これはA井さんの編集部の同僚に鹿児島出身の人がいて、よい店はということで、彼に教えられたのだそうだ。小川のほとりにあり、大久保や西郷が猪牙で乗りつけて会談しそうな、なかなか風情のよい店である。
「すすきのの冒険」で一躍人気を博したA井さんであったが、当人によれば、「あのままではですね、社内的にちょっとヤバいんですよ」と言うことなので、ここは彼の汚名を返上するため、立派に描かねばならないであろう。彼は東京大学の出身で、スケジュールだての天才なのである。彼の立てたスケジュールに沿って行動すると、全体の行程が5分と狂うことがない。この日もそうであった。であるからこの夜、一兆のお座敷のテーブルについて、われわれがまずやったことは、このA井さんの緻密なスケジュール立ての能力への乾杯であった。すると彼は、すすきのでのようなことがないよう、ビールを一気に飲み干すようなことはせず、半分がとこを静かに飲んで、ゆっくりとグラスを卓に置くのであった。
一兆の魚料理がまた、この夜のA井さん以上に特筆ものであった。鹿児島に行くことがあれば、是非行かれることをお勧めする。ただしちょっと高そうな店の構えなので、個人では入りにくい。
非常に珍しい魚が連続して眼下に現れ、しかもすべてをおいしく食べさせてもらった。まずはキビナゴの刺身。これは酢味噌で食べた。続いて出てきたのは、キビナゴの骨の唐揚げだった。次はカワハギの一種で、ツノコという魚の薄作り。それから鹿児島名産の、首折れ鯖(さば)の刺身。これは首を折って血抜きをした、鹿児島の海の珍味ということである。
こういったことを、女将の西田幸恵さんが横についてくれ、細かく説明をしてくれる。魅力的な女将の説明は、いつしか料理から大きく逸脱し、鹿児島で一番良いものは何かという話になった。われわれが、さあなんでしょうねと言っていると、鹿児島は日本酒が作れない数少ない土地柄なのだが、その代わりにこれが日本一よいんです、と言って、小指を立てて見せた。
鹿児島の産物で最も上等のもの、それは女性なのだそうだ。鹿児島の女は情が厚く、ひたすら男に尽くし、働き者なので、男を駄目にするんです、と幸恵さんは自信満々で断言する。ふうんとわれわれは感心し、一度駄目にされてみたいものですね、と感想を言った。
聞けば一兆の西田さんは、鹿児島の花の天文館通りに咲く、トップ・クラスの社交クラブ、スナックタイプのクラブ、キャバクラ・タイプのクラブなどを、姉妹血縁で総括的に経営する、一大コンツェルンの総帥ともいうべき人物なのであった。そういう人が、ご案内しますよとさかんに勧めるので、われわれも次第に、取材を兼ねて一度くらい鹿児島の夜を探訪するのもよいかなと思いはじめた。A井さんも、今宵はどうやら大丈夫そうである。
幸恵さんが、まずは一軒自分のお店を紹介してくれ、先に行っていてというからお代を払い、われわれは先にそのクラブに行って飲んでいたのだが、えらく安いとA井氏が首をかしげている。東京からすれば3分の1の値段だという。あとで幸恵さんが合流したので訊いてみたら、われわれが好みのタイプだったから、思い切って半額にしたのだという。まったくきっぷのよい女性で、われわれは次第に鹿児島女の伝説を信じはじめた。
それからの幸恵さんは、文字通りわれわれの手を引き、天文館中の自分の関係のお店に、片端から連れていってくれた。さらにはおいしいラーメン屋にまでつきあってくれ、望めば朝まで、いや翌日も翌々日も、案内は果てなく続きそうであった。おかげでわれわれは、わずか一晩で、夜の天文館通りというものをすみずみまで把握したのであった。これほどにパーフェクトな取材は、これまでに経験がない。
なるほど、鹿児島の女性は確かに面倒見がよい。働き者でもある。ついでに酒も強い。このようにして男は駄目になるのかと、かなりのところ、実感ができた。しかしくだんの女性読者がこの日記を読んだら、島田荘司は幸恵なんて女と鹿児島で会って鼻の下を長くして、とまた手紙をくれるであろうか。それはま、くれるであろうな。
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