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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第74回
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9−17(月)赤坂、白碗竹楼(ばいわんずうかいろう)
この日、ぼくは日本の運転免許証の更新をした。ずっとアメリカにいて、日本では車をあまり運転しないので、このところは違反が全然なく、府中や鮫洲に行かなくてもよい。新宿警察で短時間の更新ができて、これは大変ありがたい。次の更新も、是非またこうありたいものだ。
しかし思えば友人の秋好さんが、何だったかの罪で捕まって、ここの留置場に2、3日入ったことがあったはずだ。などと思いながら写真撮影の順番を待っていたら、カウンターの中にいた恐そうな婦人警察官がフロアに出てきて、つかつかぼくの方に近づいてきたので、逮捕されるのかとびびっていたら、「島田荘司さんですか?」と問われる。「はあ、そうですが」と言ったら、満面の笑みになって、「『奇想、天を動かす』は素晴らしかったです。これからも頑張ってください」と言ってくれ、たいそう嬉しかった。
府中試験場でも、どうしたわけかぼくを知っていてくれる人が多かったが、警察官は、割合推理小説を読むものらしい。この人は、やや威圧的な顔が、笑顔になると一転、大変よい顔になる人であった。
それから赤坂に出て、講談社勢と合流、中華料理を食べた。メンバーは、かつての文芸第三部長、今は補佐役に退いた宇山日出臣氏、替わって第三部長の椅子にすわった唐木氏、その下でぼくの担当である秋元直樹氏。そして新文庫部長の堀山和子氏、その下でぼくの担当である、これはもうご存知M澤徳子氏。そして週刊現代の藤谷英志氏、という陣容だった。まさしく講談社の誇る、精鋭頭脳集団の一角である。ただしこの時、秋元氏は「突発性難聴」発病で緊急入院、この席は欠席となった。
これは電話で彼自身に聞いた話だが、左耳がまったく聞こえなくなった。廊下を歩くと、熱のない高熱者のように、ふらーりふらーりとして真っ直に歩けない。上に報告したら「おい、またかよ」と言われたそうだ。編集者に、今この病気が大変多いらしい。
これだけの人材が一堂に会し、ぼくを夕食に誘ってくれたのは、二人の新部長の、就任のご挨拶だった。唐木氏は京大ミステリ研の出身。あの京極夏彦氏を見いだし、業界に大いに名を馳せた人で、部長就任は妥当な線であろう。念のため付言しておくが、「またかよ」と秋元氏に言ったのは彼ではない。
一方文庫は講談社の屋台骨といった観があるので、女性の堀山部長はたぶん大抜擢なのではあるまいか。小泉内閣を見ても、今日本もそういう時代なのである。もの静かな中にも冷静な頭脳を感じさせる、大変優秀そうな人であった。
唐木氏と会うと、京極夏彦氏と最初に会った日のことを思い出す。どういう理由で会ったのだったかはもう忘れたが、場所は中野で、綾辻行人氏も一緒にいた。あの頃の京極氏は非常に寡黙な印象で、あまりしゃべらなかった。この時に彼がぼくに言ってくれたことは、たぶん初対面のお世辞だろうから本気にしてはいないが、今となってはけっこう価値が出た。
昔書店をぶらついていたら、平台にあった四六の本で、帯に「不可能犯罪」という漢字5文字が並んだ本を見つけた。この漢語の仰々しさがちょっと異様に思え、目にぱっと飛び込んできた。それで思わず買ってしまい、読んだら面白かった。そこで自分も小説を書く気になり、最初の作品ができた時、あの「不可能犯罪」の本の会社にしようと思って、いきなり講談社に電話をした。その時電話に出た編集者が、通常はつべこべ言うものだろうに、すぐに会って読んでくれ、しかも何の実績もない者に対して非常に誠意的な、しかも素早い対応をしてくれた、そんな話をしてくれた。この素早い対応をした編集者が唐木氏で、「不可能犯罪」の本は、ぼくの「御手洗潔の挨拶」だった。
京極氏は、あちこちでいろいろな話をしているので、以上のものはたぶん完全な事実ではないのだろうが、もしもこの話に多少の真実があるなら、ぼくは京極夏彦氏を講談社に引き入れる、何分の1かの理由にはなったわけだ。この日、そのお礼もあって、文三はぼくに中華料理を御馳走してくれたのであろうか。
白碗竹楼は、不思議な趣がある店だった。「上海酔眼」という本を思い出した。これは村松友視さんの本で、子供の頃住んでいた上海の家を捜し、とうとう尋ね当てるまでを、随筆と写真とで追った本だった。当時たいそう気にいり、「上海レディ」という小説を書くヒントにもなった。あの本のように、赤坂一ツ木通りあたりでちょいと一杯ひっかけ、酔眼をもって露地裏をたどり、店に入れば、魔都上海の幻がたち現れたような佇まいを感じることであろう。
路地を少し行き、一ツ木通りの喧騒が届かなくなる頃、唐突に門柱が現れる。これを入り、庭の敷石をたどって行くと、法の目を逃れ、日夜狂乱が奥で続いているといったふうな、怪しげな建物の玄関に着く。中に入れば、狭い廊下に異国ふうの家具や小物が並び、東洋ふうの薄明かりに導かれて階段をあがれば、狭い廊下がさらに続いていって、板敷きの大広間に行き着く。ここには小豆色の桟に、大きな曇り硝子が填まった窓があって、手前には晩餐の大テーブルがある。壁には、中国のどこかの裏路地が描かれた大作がかかっている。
アトポスに現れた上海、福州路のフランス宮殿ふうの娼館「鴻元盛」とか、満州国、王道楽土の理想に背を向けてハルピンに存在したといわれる、背徳の「大観園」なども、もしやこのような雰囲気であったのかと思わせる。こんな場所に、講談社勢は勢揃いしていた。ビールや老酒で乾杯し、酔いが進めば、別室の喧騒がにわかに遠のいて、酔眼に、魔都の香りはますますたちのぼる。
もともとここは風呂屋だったのだそうだ。大げさな佇まいの銭湯もあったものだ。赤坂は、そもそも軍人の街として発達した。このような御屋敷ふう銭湯を考えると、そういうこの街の素姓にも思いが走り、それと何かの関わりがあったのだろうか、というような心持ちもしてくる。
江戸の頃、このあたりは雄大な溜め池のほとりで、観光の名所だった。明治の御代になってからは、このちょっと先で、要人大久保利通が暗殺されたりした。殺した者は、そういえば名を島田一郎といった。
この店は、藤谷英志氏の紹介なのだそうだ。なかなか雰囲気のあるよい店だ。しかし会食の席での話題はそんなようなことではなく、ニューヨーク・テロの話とか、日本の自然主義近代文学のまとった性格と、本格のミステリー小説との位置関係といったようなことになった。こんなテーマでは、編集者諸氏はうかつなことは言えないから、ここはせいぜいぼくがしゃべっていた。
現れてくる料理も、なかなか凝っていてうまかった。話が一段落した頃、隣の宇山氏が、近く子供向けのミステリーのシリーズをやりたい。だから島田さんも是非何か書いてらえないかと言った。店が異国の魔都の気配や、古き赤坂を想起させ、さらに思いは乱歩的な世界、上野や浅草あたりをさまよっていたので、酩酊にも背を押されて、つい引き受けてしまった。さすがに講談社で、絶妙の店を選んだものだ。
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