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島田荘司のデジカメ日記
第71回
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9−13(木)、大船観音と廃モノレール。
光文社のA井さんと落ち合い、大船に行く。一番の目的は、作家の響堂新さんに会うだめだった。響堂新さんは、関西国際空港の検疫官の職を辞し、作家専業となってから、東京にほど近い横須賀に越してきた。とはいってもまだずいぶん距離がある。毎回東京に出てきてもらうのも申し訳がないから、たまにはこちらも動いて、中間地点で落ち合おうということになった。普通に考えればそれは横浜ということになりそうだが、いつもそれでは芸がないので、ぼくが大船を提案した。ここは、響堂さんの自宅からも割合便がよい。
何故大船にしたかというと、近頃この土地にひかれるからだ。ここは横浜新道を戸塚警察で左にそれ、鎌倉へ行く抜け道の中途にあたる。だから割合通る機会があるのだが、そのたび見える大船観音が妙に気になっていた。車道から見え隠れするこの白い巨大な観音像は、予想しないでいるとかなりぎょっとする。山の向こう側に迫ったゴジラのようだ。ちょうどそのくらいの大きさである。
一度この山にあがり、観音さまのそばに寄ってみたいものだと思っていた。そしてニューヨークの自由の女神のように、これがもし中に入れるものなら入ってもみたい。しかし車で来ている限りは、どう頑張ってもその方法がないのだった。観音像は山の頂きに立っている。しかし車ではこの山にあがれない。かといって近くに時間の駐車場はいっさいない。ではと調べてみると、周辺の車道はどこもすべて狭すぎ、おまけに大型バスが通るから路上駐車はできない。コンビニとか、郊外レストランの駐車場しかないが、ここは日本で長時間は無理であろう。つまり大船観音に上るには、電車で来る以外にないのだった。そこで、電車で来ることになったこの機会に、大船を提案した。
響堂さんと大船の駅の改札口で落ち合い、A井さんと2人に無理に付き合ってもらって、ニューヨーク・テロの話とか、クローン臓器、キメラの話などしながら、大船観音に向かった。観音様は、ふもとの寺院に入ってから、境内奥にある石段をあがるかたちになる。石段の左右には、「南無観世音菩薩」と朱地に白く文字を染め抜いた旗がたくさん並ぶ。
ニューヨーク・テロがあってから、また宗教に敏感になった。ひと握りのムジャヒディン(イスラムの戦士)が、強大な軍事力と経済力、また同盟国家群を持つアメリカに、負けると解かっている闘いを挑むのは何故か。日本人も含めて誰もが馬鹿げていると感じる。理由は、神が味方だと彼らは信じるからだ。つまり強烈な信仰心の故である。
今の日本人には信じがたいことだが、60年の昔、日本人もオサマ・ビンラディン(彼がNYテロを画策したとすればだが)と寸分たがわぬことをやった。アメリカの空爆を夢想し、そして世界中がこれを理解できなかった。当時の日本のファシストの指導者たちにも、オサマと瓜二つの事情があった。つまり狂的な信仰心があったのである。このことは、現在の日本人一般にはもう知られていない。この宗教が、日本人大衆が叩き込まれた神道とはまた別であったためだが、ここではもうそれまでは述べない。人間他人のことは解っても、自分のことは解らないということ、そしてこのキーワードが「南無妙法蓮華経」という言葉であったとだけ言っておきたい。食料略奪、女さらいなどがなくなってから、戦争とは信仰故の正義心が起こすのだ。
「南無観世音菩薩」に現れている「菩薩」とは何かというと、解脱を解いた原始仏教において、ゴータマ・シッダルタ、つまり釈迦は、解脱して仏陀になった。この仏陀とは如来(にょらい)ともいうが、この如来になる前の、人間でも仏でもない、中間的な状態をいう。
仏教について少し語ると、そもそも現在の日本の寺と、釈迦のひらいた原始仏教とではまるで別もので、天動説と地動説、キリスト教とイスラム教以上の隔たりがある。釈迦は出家し、悟りをひらいて解脱することを目的とした。つまりは自分一人を高度な存在として完成し、救済することを目的とした。これはオウムの考え方とも近い。というより、オウムがこのあたりの原始的な仏教思想を取材し、これに日本式の行儀道徳、説教虐め主義を取り込んで作りあげた、近代日本型仏教といってよい。このサディスム体質が、鬱病日本人に強い説得力を持った。
これに対し、救う対象が自分一人というのはおかしい。信者のすべてを出家させるのは現実的でないし、まして解脱など、釈迦以外の誰にもできないのに、これを信者にあまねく勧めるのは矛盾だ。仏教とは無数の一般大衆をこそ救うべきだとして、新しい仏教が興った。前者を小乗仏教、後者を大乗仏教と呼ぶ。一人しか乗れない自転車のような仏教と、大勢が乗れる、バスのような仏教という意味である。だから前者は蔑称でもある。
そもそも釈迦は天地万物の創造者ではない。そこがキリスト教やイスラム教と異なる。ゆえに仏教は一神教とはなり得ない。宗教世界に大勢の尊い存在が現れ、このそれぞれがみな信仰の対象となる。仏教が大乗にコペルニクス的転換を果たした時、如来の手前の菩薩もまた、衆生を救う存在として強い信仰の対象となった。これが観世音菩薩だ。観音様もそうであり、地蔵菩薩、いわゆるお地蔵さんもそうだ。これらはみな同列の尊い存在である。
すぐ目の前にした大船の観音様は、白くて、圧倒的に巨大で、非常に奇麗な姿だった。なかなか、今ふうのお姿である。このような顔の女性が、今割と吉祥寺を歩いている。鎌倉の大仏を前にして、与謝野晶子は「大仏は、美男におわす」と詠んだが、「美女におわす」と言いたいところである。これは、昭和30年頃にできたのだそうだ。
予想したことだが、観音は胸像のみで、下半身はない。下は地面に埋まっているように見える。そして体の中には入れなかった。われわれが形を知る小さなものが巨大になれば、それはシュールだ。来たかったが来られずにいて、ようやく目の前にできたという思いもあり、なかなかに心打たれる。
観音様の眼下のベンチで、響堂さんとテロの話をし、宗教について語り、子宮内のキメラ卵胞の話とか、臓器移植の話をしていた。そして話は、「21世紀本格」アンソロジー中の響堂さんの「神の手」の、修正提案にまで及んでいっだ。石段を下り、大船駅ビルの喫茶店に入ってからも、それは続いた。今回のアンソロジーに響堂さんは、「神の手」という医学専門家らしい力作を寄せてくれており、ぼくはこれが大変気にいっていたから、徹底して磨いて、さらにさらに傑作にしたいと考えていた。だから何時間もかけ、徹底的に考えを語った。響堂さんも好意的に受けとめてくれ、すべてその線での修正を約束してくれた。
むろんそればかりではなく、ぼくもまた例によって医学上の疑問点、知りたい点を逐一彼に質した。さらには、「秋好事件」解明のための血液の付着実験の内訳についても、医師である彼に相談した。しかしこの点に関しては、残念なことに大きな障害が確認された。凝固防止剤が入った期限切れの輸血用血液を使って血液の付着実験をしようとするわれわれの計画は、8月25日の日記で紹介した。ところが凝固防止剤が入っていると、自然な状態の血液とは態様に大きな隔たりがあるのだという。大量になると血液は、人体から注射器で抜いている段階ですでに針が詰まりはじめるらしい。そのくらい凝固しやすい液体だから、医師は血液を抜くとすぐに細いガラス器に入れ、撹拌をする。これはあらかじめ入れておいた凝固防止剤に血液を足し、急いで混ぜ合わせることをしているのだという。それほどに血というものは固まりやすい。実際外傷時を考えれば、血液がそういう性質を持っていなくては命に関わるであろう。
となると、血液凝固剤入りの本物の血液で実験をすることは、秋好被告に不利に働く面も考えられる。血液はいつまでもさらさらのままなので、時間の経過に関係なく他所からの血の転写は起こり得ることになり、凝固しかかった血を押しつけることによって起こる、転写された側の布の「かすれ」もなくなってしまう。また血が付着した物体を勢いよく振れば、いつまでも血がしぶきになって飛ぶことが考えられ、そうなれば飛沫痕跡も増す。われわれの実験は、凝固という現象とも大いに関係する。凝固防止剤が入っている血を使う限りは、付着実験は事態の再現にはなりづらいということだ。これには、また振り出しに戻らされる思いだった。
しかし非常に有意義で、楽しい時間だった。思えば、ぼくはこういう時間の過ごし方が一番好きである。貧乏性なのか、何もしないでいると不安で落ちつかない。かといって誰かに用意された一般的なエンターテインメント、たとえはそれはディズニーランドに繰り出すといったようなことだが、これはどうもうまく楽しめない。何かを作っている時が一番の娯楽なのだ。感性をスローに運転して、これならさほど疲れないし、創作中枢を錆びさせないでいられる、そう思えて一種の安心感もあるらしい。
表に出てみたら、薄暗くなっていた。霧雨が降っていたのだ。ちょっと待ってくださいと言って、A井さんがヴィニールの傘を3本買ってきてくれた。これをさして、雨の中に出た。この街に来た理由が、もうひとつぼくにはあったのだ。それはモノレールのものらしい、軌道の廃墟を見たいということだった。車でこの街を過ぎる時、必ずこの軌道の下をくぐる。しかし車ではゆっくり見物ができない。だから一度徒歩で寄っていって、これを間近に見たかった。
ぼくは、どうしたものか廃墟に問答無用に感受性が動く。表面に苔が浮いたような黒ずんだ古セメント肌、亀裂の奥に覗く錆びた鉄筋などを見ると、無性にそばに寄りたくなり、どんな素姓を持つ構築物なのか知りたくなる。
2人にまた無理につき合ってもらい、霧雨の中、かなり道に迷ってから、ようやく廃線の下に出た。見あげるとセメントの構造体は、雨に濡れて黒ずみ、鉄製部分は茶色に錆びている。空中の軌道は大船駅のかなり手前で切れており、しかし駅の方を向いているから、このモノレールは、昔は大船駅に乗り入れていたのであろう。
細い道の上空での中断は唐突で、真下に立つと、意味不明のモニュメントにも思われる。この華奢で頼りなげな細いセメントの上に、大勢の人を乗せた巨大な電車が跨って驀進していたとは信じがたい。見あげ、その像をイメージすると、それは奇妙にSF的な幻想だ。
柱の足もとは駐車場になっていた。軌道の後方を目で追うと、空中でゆやるやかに左にカーヴしながら川を越え、民家の軒近くをかすめて、彼方の山かげに消えている。
この線は昔、横浜ドリームランドと大船とを結んでいた。しかし大きな亀裂が発見されて、60年代に廃線になった。ところがダイエー系のD開発で、復興の計画もあるという。しかもその新車両は、磁気浮上型をとるというからほとんどSFだが、D開発がそのための準備を行っている様子はまったくなく、40年という歳月がいたずらに流れているらしい。
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