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島田荘司のデジカメ日記
第69回
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9−11(火)夜、カレー博物館。
日暮れ時、ふらと車に乗り、また横浜に行った。抜け道を駆使し、瀬田から環八に出る。そして第三京浜に乗って横浜に入ったら、ようやく秋の長い陽も落ちた。
紅葉坂から左に折れ、横浜コスモワールドと、ランドマークタワーとの間を抜けた。ワールド・ポータース裏の駐車場に車を入れてから、ぶらぶら歩いて日本丸の横を過ぎ、伊勢佐木町まで行った。伊勢佐木町に「カレー博物館」というものができたと聞いて、これが前から気になっていたのだ。
ラーメン博物館が成功し、便乗してそのカレー版も作ったということだろうから、特に期待してはいなかったが、博物館病の患者としては、行かないでは気持ちが悪い。それで出かけていった。
ラーメン博物館とは違い、カレー博物館は繁華街のど真ん中にある。ビルのかなり上方の階だ。たどり着くにはエスカレーターによってもいいが、専用らしいエレヴェーターがある。インド更紗を身にまとった女性たちがエレヴェーターの前付近にたむろしていて、獲物を捜すような詮索の視線でこっちを見ている。あきらかにカレー博物館組かそうでないかをはかっているのだ。思わずたじっとし、Uターンしてエスカレーターへと思ったが、時すでに遅く、彼女たちにつかまってしまってあれこれと説明を受け、エレヴェーターにと押し込められた。
エレヴェーターのドアが開いたら、作りものの暗い街が眼前にあって、歩み込むと、またしても関係者が寄ってきて、「はじめてですか?」と問う。関係ない話だが、いつか光文社のA井さんと健康診断の話になった時、自分は健康情報までを会社に握られたくないから、会社の健康診断は受けないと言っていた。こちらの事情をあんまり詳しく把握されると、どこか見下げられている感じがするし、封建時代が長かったわが会社日本では、実際にこれを材料にして見下げる人も多い。
人間、自分が知らない相手の部分とか、自分の把握が届かぬ場所に、たいてい魅力的と感じる要素がひそむ。たとえば子供を育てていて、子供の何もかもをすっかり知っているうちはどこか見下げてしまうが、彼らが成人し、親であるこちらが心得なかった力を発揮しはじめると、その子を対等な存在として扱う気になる。小市民とは、どうしてもそうした習性がある。日本庶民は、為政者にとってずっと年端のいかぬ子供であり、この傲慢で気弱な庶民は、革命を起こすこともできず、気分が鬱積するとええじゃないかを踊ってまぎらわせた。
というような日本歴史まで、あんまりしつこくされると思い出す。相手に敬意を払う習慣のある海外では、こういうことはまずない。しつこくしている方は渾身のサーヴィスと心得ているし、これだけしているのだから、多少の見下げ感も許されるであろうと発想する。しかしこれが日本社会のからくりである。このような誠意と道徳観の悪意が、暴走族やスケ番の発生原理だ。たとえば「女の子」というわが表現。言っている側は間違いなく愛情表現であり、見下げているなどとんでもないと心から誓うが、実は見下げていることを自分でよく承知している。20世紀のわがニッポンは、なかなか大した安定、無意識、コンプレックス症候群に到達していた。暴走族など好きではないし、自分は属したこともないが、連中の気持ちはよく知っている。
ジオラマの街は、開国から発展途上中の横浜の表現であるらしい。カレー粉が上陸し、この食べ物がハイカラの象徴として街に出現した時代を模している。交番とか、昔のレコードの蓄音機の再生音を聴かせる街角、小さな神社、公衆電話、カレー粉を売っているらしい店、みななかなか作りが凝っている。よい感じではあるが、ラーメン博物館よりはせせこましい感じがする。狭いビルのワン・フロアに、路地をめいっぱい無理に作ったという感じだ。そういう街角のあちこちに、インド更紗の娘が立っている。
ジオラマは、波止場に接岸した豪華客船と、その前に並んだカレー屋といったコンセプトらしい。しかしスペースがないから、船のデッキのすぐ鼻先にカレー屋の窓がある。どの店に入るべきかと迷ったが、更紗の娘に尋ねるとしつこくされそうなので、こっちで決めることにする。しかし何も情報がない。店はがらスキのものと、行列のものとがある。がらスキの店に入ったらすぐ食べられるし、窓際の席にもすわれるが、せっかく来たのだからおいしいところで食べたい。行列ができているのはおいしい証拠であろうと考え、行列の最後尾についた。
行列の途中、自動販売機で食券を買う。この方式もラーメン博物館と同じだ。行列が進んでから店の上を見たら、「よこすか海軍カレー、ぐーるMAN」と書いた看板があがっていた。その上には、こっちは左方向から「大正商船」とある。ふうん、海軍カレーなのかと思う。なにやら懐かしい響きだ。横須賀は、徳川幕府がフランスの指導で海軍を作り、日本最初の乾式ドックを作った街だ。ついでに言うと、明治になって、全海兵に最初に完全洋式の食事をさせたのは海軍だ。
ようやく順番が来て店内に入り、しかし混んでいるからカウンター席しかない。食券を渡し、引き換えに目の前に来た海軍カレーをと見ると、コロッケが入っていた。ほうと思う。これがまた、妙に懐かしい。肉の塊りは日本人には抵抗があったし、食べ馴れたコロッケが入っている方が安心で、おいしく感じる。それが日本人だった。食べてみると、なかかなかにいけた。だが格別変わった味のカレーではない。ここでないと食べられないというほどでもない。まあこれは、ラーメン博物館も事情は似ているが。
表に出、地上に降りて、夜の伊勢佐木町を歩いていたら、「斜め屋敷」を見つけた。「気まぐれパブ、親不孝居酒屋、ミスターごえもん」、と明かりの入った大型看板にはある。その看板が、震災直後のように派手に傾いていた。しかし、入口もまた傾いている。最初からそのように作られているのだ。中の床はどうなっているのか知らないが、これは面白いと思う。横浜オフ会をまたやることがあったら、二次会はこの店もよい。
車に戻り、横浜をさんざん走り廻ってから帰宅したので、帰りついたのはかなりの深夜になった。部屋に入ってみると、電話機の、「メッセージあり」のランプが明滅していた。ぼくは外出する時、アンサリング・マシンを作動させて出かけるという習慣がない。また日本にあまりいないから、携帯電話も持っていない。ぼくに緊急に連絡をとりたい人は困るであろう。この日は、本当にたまたま、アンサリング・マシン作動のボタンを押していたのだ。
聞いてみると、第一声が「講談社のM澤です」と言った。おやM澤さんがなんだろうと思ったら、
「リンコさんは無事です。さっき偶然電話で話せました。よろしければWS刊のBBSに、そのように書き込んであげてはいかがでしょうか。私は今自宅で、パソコンが手もとにないので、明朝の出社まで書き込むことができません。では、夜分突然失礼いたしました」
なんのことかさっぱり解らなかった。それからも、彼女によるらしい通話が何度か入っており、しかしぼくがいないものだから、そのままむなしくきれていた。
M澤さんは、起こった事態の説明まではしてくれていない。首をかしげなからテレビをつけてみたら、ゆっくりと崩壊する国際貿易センタービルが写った。愕然とした。ぼくにとっての9月11日は、このようにして始まった。
テレビのどのチャンネルに移っても、崩壊するニューヨークの貿易センタービルが写る。飛行機が飛んできて、音もなくビルにぶつかる場面が、繰り返し、繰り返し流されていた。
アナウンサーのメッセージを聞いて、ハイジャックされた2機の旅客機が、2本の貿易センタービルのそれぞれに突っ込んだ、ということが解ってきた。続いてゆっくりと崩壊していくビルの映像。繰り返し繰り返し、これが流されていた。アメリカで、大変なことが起こっていた。表にいたから、まったく知らなかった。
すぐにPCを立ちあげ、WS刊のBBSを呼び出して、「リンコさんは無事です、M澤さんが電話で話したそうです。詳細は明日、M澤さんが書き込んでくれます」とだけ書いた。しかし、これ以上は一行も書けない。リンコさんはどんな様子だったのか、何のためにM澤さんは電話をしたのか、録音されたメッセージだから、彼女からの一方通行だ。M澤さんに電話しようにも、彼女の自宅の電話番号は知らない。
SSKの他サイトを巡ってみると、「リンコさんは無事?」の仲間たちの書込みがあふれている。とりあえず、みんなこれで安心することだろう。しかし、ということは、事件直後はまだニューヨークに電話が通じたということか。
それからまたテレビをずっと見ていた。できるだけ情報を収集したかったからだ。NHKはむろんだが、他のどのチャネルにもいっさいコマーシャルは入らず、事態の深刻さが伝わる。こんな様子ははじめてだ。各テレビは、衝突と崩壊の映像を夜っぴて流し、その合間に、拾えた情報をすっかり伝え続けるつもりのようだった。
ハイジャックは、どうやら4機に同時に起こったらしい。同時多発テロだった。ペンタゴンも攻撃されたようだ。今のところ東海岸ばかりだ。LAではまだ何事も起こってはいない。
ハニーに連絡をとってみたら、無事につながった。何ごともないようだ。LAは平和だという。しかしぼく自身がアメリカに戻ることに、なんらかの支障が出るかもしれない。
しかし、高層ビルとはこんなにきれいに崩壊するものなのか、というのが第一印象だった。衝突間もなく、混乱に乗じてビル下部に爆発物が仕掛けられたのだろうかとも疑った。誰がやったのか、まだ誰も意見を言わない。ぼくがすぐに考えたことは、オクラホマ連邦ビル爆破の犯人だった。
ディノ・デ・ラウレンティスのキングコングが飛び移っていた、高名な2本の、世界の誰もが知る高層ビルが、目の前で繰り返し失われていた。ニューヨークの景観はこれで変わる。日米合作のゴジラが、マンハッタンのビルを破壊して廻っていたが、現実にはこんな壊れ方をするのか。たぶんゴジラも、映画の制作者側も、思ってはいなかったことだろう。
気づけば、21世紀の初頭だ。戦争と難民の20世紀は、まだ終わってはいなかったのだ。こんなふうにして、また新たな闘いの幕が開くのだろうか。
SSKを見ると、「WS刊に、リンコさん無事の先生の書込みがありますよー、みんな見にいってください」との書込みが出はじめている。M澤さんに感謝した。
しかしそれにしてもむしでも報せたのか。今夜に限ってアンサリング・マシンを作動させて出かけ、本当によかった。
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