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島田荘司のデジカメ日記
第67回
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島田荘司のデジカメ日記
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9−11(火)昼、「ロシア幽霊軍艦事件」表紙デザインの打ち合わせ。
2001年9月11日、この歴史に残る日、ぼくが何をしていたかというと、例によってまず吉祥寺駅前のルノアールに行き、ランチのセットを食べてから、原書房の石毛氏と会って「ロシア幽霊軍艦事件」表紙の打ち合わせをした。打ち合わせというと、この場合あまり正しくない。打ち合わせはもうすでにすんでいて、この日はできあがったデザインの色校を、持ってきて見せてもらったのだ。
今回、この本は岡孝治さんというデザイナーに装丁を依頼していた。この人は、「眩暈」とか「アトポス」の装丁で、御手洗ファンの間では有名な戸田ツトムさんの事務所にいた人で、仕事ぶりは以前から戸田さんと二人三脚だった。それが最近独立した。現在注目株で、彼への依頼は、高橋さんの強い推薦で実現した。
今回の装丁デザインの考え方も、あの「眩暈」と行き方が少し似ている。水に浮かんだ旧式の軍艦、これは門坂流氏の線画で、この上に透明なセルロイドふうの素材がカヴァーとして巻かれる。カヴァーの裏側にも、やはり絵が印刷がされてある。表に印刷すると頻繁に手が触れるので、消えたり汚れたりの危険があるからだ。
カヴァー裏に印刷された絵は、こちらは白い線で描かれた霧だ。つまりこのカヴァーがかかると、軍艦が白い霧の中に沈んで見えるという計算になっている。このカヴァーは、通常の状態では下の軍艦から少し浮くので、霧はより濃く、つまり軍艦は見えにくい方向にいく。手でカヴァーを押しさげると、霧は晴れ、軍艦はよく見える。三次元的な、巧みなアイデアだ。
かつて「眩暈」の装丁で、戸田さんもこういったことをやろうとした。あれは大きなトレーシング・ペイパーを、ふたつ折りにしてカヴァーに使用していて、これには全面に印刷がされてあるから、トレペの一番上の面、続いて折られて下になったトレペの裏面、最後に一番下のハード・カヴァーの表面、というふうに、都合3つの面が重なって視界に入ることになる。トレペの裏表に印刷すれば、これは5面ともなる。トレペは透明度が低いから、今言った順番に見えにくくなっていく。この場合も、見えやすさ、見えにくさは、トレペを押しつける力加減によって変化する。これもまた、とても面白い考え方だった。
しかしまったく前例のない試みであったために、いろいろな問題点も出た。まずはトレペの透明度が計算以上に低く、一番下の硬表紙に印刷された絵は、カヴァーをかけるとほとんど見えなくなった。下になったトレペへの印刷も、かすかにしか見えない。つまり、一番上になっているトレペへの印刷だけを読者は見ることになり、二つに折ったのは、ただ明るいグレーのカヴァー紙を実現するため、というふうにも見えることになった。ではと、透明度の高いトレペを選択すると、これは大きく静電気が起こるのだった。
さらに、人間の手のひらというものは案外湿っていて、あの重い本を長く持っていると、手のひらの湿気を吸って、トレペの表面がだんだんに波うってきた。こういったことをとらえていろいろと批判をする人はいたが、ぼくは新しい試みが好きなので、大いに満足した。この時戸田さんは、今後こういうデザインをやりたいのなら、新しい材料の開発から始める必要がある、といった意味のことを語った。
そして、まさしく新しい素材が現れていた。石毛さんは、この素材集も持ってきてくれていた。この素材のよいところは自在に印刷ができ、透明度が高く、しかも静電気の量も少ないといったことだ。ただしこれは、アニメの製作にも使われそうな、ガラスのように透明な素材なので、霧という雰囲気を出すことがむずかしい。白い細線による線画なら、よほど線を多く描き込まないと霧にならない。しかし門坂氏のこの線画は、整理された、あまり多くない線で表現したいタイプの絵なので、そう真白くはできない。この方法で霧を表現したいなら、画家の選定がむずかしいところだろうか。今回もカヴァーの素材がトレペなら、何もしなくてもかければ濃霧に見えたろう。しかしこれではちょっと濃すぎる。むろん今回のものは、バランスもほどほどで、充分によい出来であった。
途中から高橋氏も姿を現し、3人で雑談になった。この時、高橋氏の病気の内容も聞いた。簡単に言うとこれは、心臓の斜め上、肋骨の裏側にある縦隔と、その周辺に浸食した腫瘍ということである。非常に珍しい症例だから、論文のもとがやってきたと、医者は大喜びしているそうだ。しかし癌のように転移する性格のものではないから、命に別状はない。ひと安心である。
まもなく、全身麻酔の上で左脇の下を3ケ所切り、左の肺の空気を抜いて、できた隙間に胸腔鏡やモニターを挿入して組織細胞を取る、といった検査手術が行なわれる。その結果を見て、11月には本手術が行われる。腫瘍がもし大きければ、肋骨の中央部の骨を手前に折っておいて腫瘍部を摘出する、というかなり大きな手術にもなるらしい。なんだか聞くだに痛そうで困る。そういう高橋氏も、自分で言うのだが、もし日本痛がり選手権というものがあれば、33位入賞は間違いないほどの痛がりなのだそうだ。
高橋氏は、学生時代から風邪の引き方が解らないというほどの頑健体質で、仕事がのってくれば3日徹夜をしても平気、という調子で仕事をこなしてきた。早い話が今や全国的に絶滅しつつある、モーレツ・サラリーマンという人種である。こういう人間は、ある日突然ガクッと来るんですよ、と本人も言っていた。まあ手術がうまく行き、一日も早く復帰することを祈っている。原書房も、敏腕部長がいないと業務が困るであろう、という意味のことを言ったら、石毛氏は横を向いて窓の下を見ていた。
高橋氏はこのように言う。
「この石毛はですね、前から島田センセーの担当がやりたくてね、最初にここに連れてきて一緒に島田さん待っていたら、向こうから来るセンセーの姿見て、『あ、ナマ島田が歩いてくる……』とか言ってね、感動してたんですよ」
「え、そんなことないですよ」
と石毛氏。
「今回ぼくが手術で入院と決まったらね、こいつ陰でガッツ・ポーズしてたんですよ」
「そんなことないですよ」
まあともかく、代役の石毛氏も非常によくやってくれている。
そんなようなことで、ぼくは彼らと別れていったん家に帰った。この日の昼間に病気の話を聞き、ちょっと緊張したのも、その夜の大事件の、ある種の予兆であったのかもしれない。
(続く)
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