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島田荘司のデジカメ日記
第58回
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島田荘司のデジカメ日記
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4−16(月)、鮎川賞、選考会。
鎌倉に来た目的は、鮎川賞の長編賞の選考会のためであった。これまでたいてい車で来ていたので勝手が解らず、時間に余裕をもって家を出たら、大幅に読み間違えてずいぶん早くに着いてしまった。そこで若宮大路を散策したり、ミルクホールにも行ってみたのだ。
選考会は、今年は鎌倉の小町通りにある「星月」という、なかなか瀟洒な小料理屋の二階で行われた。これは鮎川先生に審査に入ってもらうためで、われわれが先生の地元の鎌倉まで出張してきた。これは例年のことではない。何故鮎川先生に入ってもらう展開になったかというと、これまでは東京のどこかのホテルで、綾辻行人氏、有栖川有栖氏と三人でやってきたのだが、今年から戸川社長の構想で彼らは短編賞の方に廻ってもらい、長編は折原一氏、山口雅也氏とぼくという話になった。ところが彼ら2人に断られてしまい、そこで急遽評論賞の選考委員である笠井潔氏にこっちに廻ってきてもらって、彼とぼくとの二人でという話になった。しかしそれはあまりに少人数にすぎてまずいので、鮎川先生にも入っていただこうということになったのだ。しかし先生は今体調に自信がないから、われわれの方で地元に出向こうということで会場は鎌倉となり、先生はオブザーヴァー的な参加という形になった。
…ミルクホールでしばし油を売ってから星月に行ってみると、もうみなさん全員が集っていた。事実上笠井さんとの二人なので、これはやっぱりまずかろうという判断で、東京創元者の編集長クラスの方々が何人か、加勢に集まってくれていた。なにやら家内製手工業という雰囲気で、こんな感じはぼくは好きである。
久しぶりにお会いする鮎川先生はお元気そうで、すでに静かにテーブルについていらした。以前に立風書房で、やはりこの街で、先生とご一緒に「奇想の森」などの本格アンソロジーを編んだことを思い出す。この時も先生は、いつも静かであった。
鮎川先生にお会いできるこの賞に関わることは、大いに喜びである。最初引き受けた時、戸川社長に言ったことだが、鮎川先生のため、この賞を日本の本格ミステリーの最高の賞にしたいものと願っている。在位の期間は、そのために全力をあげると決意している。引き受けてからはよい候補者に恵まれ、柄刀一氏、氷川透氏の二人をここから出すことができた。しかしいつものことだが、彼らは受賞者でなく候補作者で、これをぼくが他出版社に紹介したものだ。この二人は、ともにぼくがこの賞の審査委員を引き受けた最初の年に候補者であった。この年は谺建二氏が授賞したが、こういう三人がいちどきに候補にひしめいていて、あの年はまことに当たり年であった。
今年の選考も、この最初の年と同じく難航した。が、あの時とは少し様子が違い、とりあえず多少レヴェルが低いがために混戦になったともいえる。どの作品にも一長と一短があって、これを押しなべると、抜けた頭が見えなくなった。各選考委員の求める美点が異なっていれば、押す作品もまたまちまちに決まってくるといった様子で、しかし結果は、それゆえに最高の状態になったと思う。例年以上によい作品を受賞作として上梓することができた。それはポテンシャルのある作品を、われわれで磨いて受賞作にするという以前よりのぼくの構想が、今年は通ったからだ。このような主張が異色であることはよく心得るが、これだけ賞が多くなってくると水増しも起こっているし、このやり方をした方が長続きのする才能を発見できるし、育てられもするというのが、長いことこういう仕事をしてきてのぼくの結論である。多くのアイデアを持つ者に、一作突出した作品も書けというのは少々酷だ。ともかく今年の選考過程を、以下でちょっと話してみる。
候補作品は「完全なる容疑者」、「シルヴィウス・サークル」、「月見草」、「人を食らう建物」という4作であった。単純な面白さの点では、あきらかに「完全なる容疑者」に一日の長があった。これは文章にユーモアがあり、ちょうど漫画とか、民法テレビのヴァラエティ・ショウを観るようなテンポのよさで、全体をさっと読ませてしまう。笠井氏はこれを授賞に押したし、途中まではぼくも、これで行ってもよいかと考えていた。
しかし本格の構造に着目するなら、細部の詰めが、これでは本格としての条件を欠くのではと思われるほどに杜撰と見えたし、伏線を充分に張らずにどんでん返しが行われるので、作中の者たちはこれを許さないのではと感じられた。名探偵のポジションにある登場人物を持ち上げる筆がいかにも古典的であるし、人間をモノとしてみなして破壊しつくしてしまう殺人のありようなどが、ゲーム世代の冷たい不気味さ、と呼ぶにはすでに類似作品が現れすぎている。
そしておそらくは作者自身、表現上の定型ぶりに飽きを感じて当初の枠組を自ら崩していき、結果本格の構造までを危うくしたと、そういう経過が想像された。しかしこの作品の俗な面白さは、日本の本格の生き延びた先の姿を示しているかもしれず、この作者の柔軟な意識には興味を持った。PC、チャット、カルト、といった今日的な素材も自然に織り込まれていて無理の跡がない。そこで本賞授賞には賛成しないが、出版されることはよいと思った。本格ファンへの問題提起としても面白い。
「シルヴィウス・サークル」は大変文章の上手な作品で、意見を言うために参加してくださった東京創元社の人たちのうちには、これを押したいと考えている人もいたようだった。ぼくもまた巧みな前段の雰囲気から、授賞作の登場かと期待した。30年代の東京の描写も巧みで、脳の側頭葉に、神を感じさせたり、体外離脱を感じさせたりするシルヴィウス溝という部分があるといった蘊畜にも、個人的には大変に興味をひかれた。
しかし脳の医学的な蘊畜ならば、やはり最新の成果を読みたいという思いが勝り、30年代という時代設定に、ややボタンのかけ違いに似た不満を持った。シルヴィウス溝を電気刺激して、これによって幻想イメージを得るというグループが登場するのだが、得られたであろうイメージが、期待するほどには語られないこと、日本初のテレヴィジョンの開発が行われていると作中で語られるのだが、先の脳現象は、この開発とも無縁であったことなどから、どうしても消化不良が残った。
「月見草」は、日本人に有名なある文学作品が、別の花を間違って月見草と描写していて、したがって日本人の多くに月見草が誤って認識されているという点に着目して、これを引き金にミステリーを語ろうとする、起点においては非常に巧みな着想を持つ小説だった。しかし作者が若いことから来ると思われる小説全体の作りの粗さとか、文章表現上の不適切さが目立ったこと、本格の構造に着目しても、突き詰めれば充分な新しさを持っていないことなどから、この若い人には今後を期待しようという結論になった。
「人を食らう建物」は、ビル建築現場が舞台の小説で、ここに本格としての大事件を起こしたいという決意は、4候補作中最も真摯であり、本格としての具体的な要素も、最も数多く持っていた。しかしこれはバラバラ死体、その隠蔽、セメント上の足跡のトリック、密室での人間消失、ダイイング・メッセージと、先人の達成のいずれかに与する性格のもので、意地悪な見方をすれば新しさがなく、減点対象と見えるかもしれないことを心配した。また前段の説明が冗長に過ぎ、親切な読み方をしてあげないと、貴重な美点が現場のセメントに埋もれている観があった。これらの諸要素のため、全員一致でこの作を本賞にというふうにはいかなかったし、タイトルもまた、ぼくを含む多くに首をかしげられていた。
しかし、先の本格諸要素を支える方法のうちの少なくともひとつは、日本のミステリー史に一項目を刻む圧倒的なものに思われて、問題点を改善し、作品を磨いてこれを授賞作としたい自分の考えに、迷いの余地はなかった。そのように述べたら、さいわい鮎川先生もこの作品を押しておられたので、自分の主張が今年は通る目が出たと、そういう経過である。「人を食らう建物」の門前典之さんには後日会い、膝詰めで、具体的に改善の提案を行うつもりでいる。
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