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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第55回
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島田荘司のデジカメ日記
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島田荘司のデジカメ日記
4−8(日)。 マジソン郡の橋。
石川良さんと、赤坂のACTシアターへ、舞台「マジソン郡の橋」を観にいく。これは友人の金田賢一さんが出演していて、もしお時間あったら観てくださいと彼に言われていたためだ。石川良さんも言われていて、それなら一緒に観ようという話になった。
赤坂は久しぶりだ。20代の頃、TBSに友達がいたので、この街にはよく来た。当時の目的は、放送で使用済みになったオープン・リールのテープをごっそりもらうためで(放送局は音質を気にするため、一度使用したらテープを棄ててしまう)、このテープを使ってFMの録音をしたり、サイマル・シンク付き(録音ヘッドと再生ヘッドをシンクロさせる機能)の4チャンネル・テープデッキで、一人多重奏の音楽を作ったりしていた。編集室に入って友人のテープ編集の手際を見たり、あれこれ手伝ったりして、こうして深夜放送の裏方の仕事内容を知ったり、当時人気DJだった林美雄さんと知り合いになったりした。
そんな縁で、ナイターの雨傘番組の脚本も書かせてもらった。これは、東京ドームなどない時代だから、雨が降ればたちまち野球中継が中止になる、その時間の穴埋めに流される音楽中心の単発番組のことで、ナイター・シーズンが近づけば、これを大量に作ってストックしておく必要があった。それほど重要ではない番組だから、多少洋楽に詳しいなどと触れ込むと、誰にでも割と簡単に本を書かせてくれた。
そうしていたらポリドールでレコードが作れたので、林さんのオーナイト・ニッポンに、ミュージシアンとしてゲスト出演もしたから、考えてみると深夜放送の裏表をひと通り見ることになった。この経験は、のち作家になってから「糸ノコとジグザグ」を書く時に大層役にたったが、「死聴率」だの「消える水晶特急」だの、今すぐには思い出せないが、直接でなくても、多くの作品にモティヴェーションをもたらしてくれた。
TBSの周りは、当時とはすいぶん様子が変わった。その頃はACTシアターなんて劇場はなかったと思う。この劇場は、旧TBSの裏手の山といった位置になる。
地下鉄赤坂見附駅の出口で待ち合わせて劇場に向かう。ACTシアターの造りはちょっと変わっている。表の壁は濃いブルーに塗られて奇麗だが、壁材は波状の板で、全体が簡易住宅のような簡素な造りになっていて、歩けばフロアはボコボコと音がする感じだ。とりあえず今はこうしておいて、そのうちに立派な劇場を建てるつもりなのだろうか。しかしこんな様子も、なかなかモダンでいいものだ。
席は八千円のものだったが、やはり舞台上の人物は米粒みたいになってしまう。席はぎっしり埋まっていて、人気の高さがうかがえる。熟年の女性客がやはり多い。
主演の二人は十朱幸代さんと古谷一行さん、金田さんは、十朱さんの息子という設定。お母さんの死後、お母さんの不倫を知り、妹と二人で嘆いたり怒ったりするといった役どころ。
ストーリーの行き方は、クリント・イーストウッドとメリル・ストリープの同名の映画とほぼ同じ。違いは、家の裏手、屋根の上に、例の屋根付きの橋が見えていることと、古谷一行演じるカメラマンが、死ぬ間際まで行っていたというジャズ・バーのマスターが出てきて一曲サックスを吹き、彼の思い出話で最後を締めるという趣向くらいか。危なげなくよくまとまった舞台で、十朱さんの熱演が光っていた。ヴェテランの彼女が全体をよく引っ張り、というより、大声で笑ったり泣いたりする彼女に全体が依存しているような印象で、安心して楽しめた。
芝居が終わってから石川さんと楽屋の裏口に行き、グルピーよろしく壁に持たれて立って、金田さんが出てくるのを待った。周囲がひっそりしてから彼が出てきたら、三人でぶらぶら一ツ木通り沿いのスパゲティ屋に行き、生ビールで乾杯してから、軽く食事をした。
うちの舞台、よく廻るでしょ? と金田さんは言った。舞台の家は、大きなターンテーブルに載っていて、これを表側にすれば家の中のキッチンが見え、裏側にすると手押しポンプのついた井戸とか、勝手口のドアがある。表が十朱さん演じる不倫ドラマの舞台、裏側が生前の母親を偲んでの、金田さんたち子供たちが演じるドラマの装置、というような構成になっていた。金田さんは、家の裏側にだけに現れるのだが、そういうことだから、この家全体が頻繁に半回転する。金田さんはそのことを言っているのだ。あれは手動で、裏方さんが毎回押して廻しているのだそうだ。
この舞台は、何といっても十朱さん、古谷さんの二人が中心の芝居だから、金田さんなどは力の見せどころがないかもしれない。芝居の後にこうして会っても、それほど疲れているような印象は彼にはなく、いつもとまったく同じだ。友人としては、もっと金田さんが中心になって熱演している舞台を観てみたい気はする。この赤坂での興行がはねたら、彼はこの芝居でもってこれから全国行脚の旅に出るのだと語っていた。
この時ではなかったかもしれないが、作中の話になった時、彼が、母親は不倫の痕跡など死後に遺さないで、黙っていて欲しいものですねと、劇中の息子と同じ発言をしていたのが面白かった。
以下のぼくの感想は、この時はまだ持ってはいなかったが、後日ヴィデオを借りてクリント・イーストウッド監督の映画を観て、これが、良くできた個所をたくさん持つ傑作であることを知って、のちのものだ。死後に見つかる母親の手紙の文面、もう正確ではないが、「私は家族に生涯を捧げました。死後の亡骸は彼に捧げさせてください」と言って、火葬した自分の灰を、思い出の橋の上から流れに撒くようにと要求した一節、「自身の行った行為を恥じる気持ちは、歳とともに薄らいでいくものです」という表現の説得力、土砂降りの雨の中、前方で信号待ちする彼の車に向かって飛び出そうかと激しく迷う彼女の、ノブを握りしめる手、などに感動した。ただひとつの難点は、イーストウッド氏演じるカメラマンの過去が、作中で主張されるような穏やかなものではなく、どうしても拳銃を撃つような強持てのものに思われてしまって、感動に向かってゆるやかに傾斜する心に、わずかに水がさされる心地がした。これは致し方のないところなのだろうが。しかしふと思うのだが、同じ性格の役者でも、ハリソン・フォードであればこれが少ない心地がする。この違いは、いったいどこから来るのであろう。
金田さん石川さんと別れて吉祥寺に戻ってきたら、大変な人込みだった。みんな花見帰りで駅に向かう人たちらしい。マルイの前で、その群集の中に、見た記憶がある顔を見かけた。はて誰だったかなと思いながらすれ違ったのだが、大変な人波の中なので、向こうはこちらに気づく様子がない。すると彼女の後方には、見た記憶のある顔たちが何人もしたがっているのだった。
あれあれ、この集団はなんだったっけな、と思いながらすれ違い終わった時、かなり遅れた人物が一人、最後をやってきていて、そのために彼は駈けだしていたのだが、なんと彼は、器用にも走りながら眠っているのだった。アルコールが入っているのであろうか。彼はまず右前方に走り、次にこれを修正のために左前方に走り、していた。まるでスキーでもやっているようで、この曲芸のために周囲のみなが彼を見ていた。近頃、オフのあるところその人ありとして名をはせているタックさんであった。
それでこの集団は、SSK軍団・井の頭公園お花見オフご一行であり、ちょうど帰りの道すがらであったと知った。追いかけようかとも思ったのだが、この時すでに集団はかなりの後方になっていて、マルイ前の横断歩道をぞろぞろと渡っていくところだった。角に立ち停まり、少しの間見ていたが、今から追いかけても信号に邪魔されそうだった。タックさんが走って追いついたあたりに、さっきは解らなかったが、真洸さんらしいポニー・テイルの後ろ姿が見えた。
今頃これを読むと、この時のみんな、あれまあとびっくりすることであろうか。こちらは気づいていたのですよ、みなさん。
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