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島田荘司のデジカメ日記
第53回
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島田荘司のデジカメ日記
4−5(木)、連続迫真ノンフィクション「すすきのの熱い夜」中編。
すすきのの大通り舗道には、客引きの青年たちがかたまってたむろしていた。数が多勢なので、その様子はなかなかに不気味なのだが、彼らは決して性格は悪くない。どちらへ? 今日はどちらへ? などと丁寧語で訊いてくる。難は、やたらにしつこいことだ。ワン・ブロックずっとくっついてくる者もいる。しかしぼくに訊かれても解らない、案内役の穴井さんにただついて歩いているだけなのだ。
とはいえ、その穴井さんがすすきのに格別詳しいかというと、そういうわけではない。彼はここから遥かに離れた、九州は福岡の出身である。しかも彼は、もうかなりできあがっている。多少不安なわれわれを導き、彼が着いた場所は大通りに面したビルの1階の、がらんとしたスペースだった。
一歩足を踏み入れ、われわれは相当にぎょっとした。地下鉄の構内の一角のように、ソファも椅子もないその広いスペースには、風俗店の宣伝らしい、大幅に体を出した若い娘たちの写真が、壁の高いところから足もとまでをびっしり、ほとんど4面ともを埋めていたからだ。
写真の裏には明かりが入っているから、まばゆいこの部屋にいるだけで、酒池肉林の気分が味わえる。これがすすきのなのか? 穴井氏はいったいどこにわれわれを連れていく気であろうと、ぼくも柄刀氏も顔を見合わせたのだが、穴井氏としては別にすすきのの風俗を探訪しようという気はないようだった。今回は週刊宝石の仕事ではない。そんなことをした日には、真面目な柄刀氏は、光文社には永遠に原稿を書かないであろう。
穴井氏は、このスペースのカウンター席につかつかと寄っていき、そこにいた男性にいろいろと尋ねている。彼のこの行動がどういう意味を持っていたのか、それからしばらくして了解した。それを説明するには、東京と開拓地札幌との都市論的な構造説明から論を起こさなくてはならないのであるが、まあこのさいだから、これをやってしまおうかと思う。
いずれ別所にてと思っていたことであるが、東京は遊興地の質的な棲み分けというものが、江戸の昔からできあがっている。都心にあった吉原を、江戸の発展につれて今の新吉原に追い払ってから、浅草北が遊興の中心地となり、それを追うかたちで下谷、柳橋、深川、そういったあたりが幕末頃の花柳界の華であった。あとは生真面目なものか、そうでないならいっそ岡場所の系統を引く、生々しい性産業であった。
しかし薩長革命政府の要人は、田舎者ということで吉原では楽しく遊べなかった。だからちょっとばかり傍流に位置し、多少戦闘的でもあった川向うの辰巳芸者とか、新橋芸者ばかりに相手をしてもらっていた。明治政府による新日本語の女性言葉は、だから辰巳芸者が使っていた言葉が下敷きになっているという説まである。
為政者が変わることで、新橋、よし町、あるいは日本橋や天神町などが台頭してきて、明治16年の「東京事情」という風俗研究書には、東京の花柳界は新・柳、つまり新橋と柳橋が中心だと記載されているようである。誇り高い吉原は徐々に凋落し、今のようなソープ街に向かい、新橋は政府と密着して、要人の妻を出したりしながら、どちらかというとインテリ・ホステスの街となって現在の銀座にいたる。
ちょっと脱線するが、内務大臣西郷従道(つぐみち)の後妻は、新橋芸者の桃太郎である。明治新政府の要人は、もともとは決起盛んな憂国の青年たちだから、彼らの妻は芸者あがりが多い。木戸孝充の妻松子、陸奥宗光の妻おりゅう、伊藤博文の妻梅子、いずれももと芸子である。
有名なものでは新橋芸者の小清(こせい)がいる。これは現在写真も残っているが、今でいうと(もう少し古くなったが)シンクロナイズド・スイミングの小谷実可子似の絶世の美女で、明治の頃には江戸の名残で草子絵といういわばブロマイドがまだ出廻っていたのだが、彼女はこれに描かれ、草子絵屋をしこたま儲けさせた。のちにこの娘を、「板垣死すとも自由は死せず」の板垣退助が愛人にひいたのだが、美人薄命で、すぐに死んでしまった。そうしたら板垣退助は深い衝撃を受け、何日も奥の間で布団をかぶって、家から一歩も出なかったそうだ。
日清戦争前後からは軍部の相手をして、赤坂という田舎町が台頭してきた。だから今でも軍があれば、軍人は赤坂で飲んでいるであろう。
ともかく東京は、このような歴史経過をたどって、女性遊びに地域色が育った。だから今でも政治家や実業家。まあ作家もだが、こういう人種が遊ぶなら銀座、新橋、会話の質は気にせず、若者が格好よく遊ぶなら六本木、直接的に性的享楽を求めるならば新宿、というふうに東京は、目的に応じて歓楽街の棲み分けが完了している。だから目指すところに応じ、客は訪れる街を選べばよい。これはすなわち、先にあげた花柳界はそれなりの格式を得ていき、それ以外の場所は岡場所的性産業に流れやすいということである。その親玉が新宿で、赤坂、六本木はまた別方向から、よいイメージを獲得したということだ。
ところが札幌ではそうはいかない。銀座ふう、六本木ふう、新宿ふうが、ごった煮スープの具のように、すすきの地区に平等に点在する。喫茶店の横にソープランドがあり、その横にはレストラン、その隣にはファッション・ヘルスがあるといった調子で、土地の人によれば、ついでに小学校まであるらしい。こういう混沌こそは開拓地の魅力である。何故なら、東京型の棲み分けとは、どこかで封建身分制の影響を引くものだからだ。
ともかくそんな調子であるから、東京のように素人が遠方からやってきて、行き当りばったり、適当な店に飲みに入るというわけにはいかない。そんなことをすれば、そこがどんな店であるかは出たとこ勝負となり、いきなりズボンを脱がされるかもしれないからだ。そこでもと週刊宝石の副編集長穴井氏は、週刊誌時代に取材で顔見知りとなった人物に、店の情報を事前に仕入れることにしたのであった。
混沌の札幌では、店の斡旋紹介が立派なビジネスとなっており、全国規模の会社ができている。今われわれが入った場所がそのオフィスのひとつで、社名は「札幌満足ニュース」という。名を聞けば業務内容がすぐ解る、まことによい命名である。もっともこの会社、本社は新宿にあるそうだから、やはり東京資本ではあるらしい。客はここに来て、自分がこの街で本日求める内容を告げる。すると、これにぴったり応えるであろう店を、ここがすみやかに紹介してくれるという寸法だ。ついでに店に電話も入れておいてくれる。これで会社にリベートも入るのであろう。
しかしそうなると、たいていの客はより濃厚なサーヴィスをする、しかも質の高い美人のいる店、という要求に傾きがちではあろう。われわれのこの夜の要求は逆で、できるだけ猥雑さのない、落ちつける上品な店、あとはまあ同じで、インテリで質の高い子がいる店を紹介して欲しい、と穴井氏は言った。いや言ったはずである。ざっと見廻したところ、風俗系の店の方が遥かに多そうだから、上品なクラブなど、確かにその道のプロに尋ねなくてはどこにあるのか解らない。
そして紹介を受けて行った店が、すすきの1というふれこみの、「ニュークラブ・カメリア」という店であった。これは確かに少々驚くくらいによかった。女性たちのスタイルがみんなよく、店内のインテリアもモダンで格好がよい。華の銀座にも、今はもうこれだけの店はなかなかないかもしれない。もっともそれは、ぼくがあんまり銀座の超一流店というものを知らないせいでもあるが。感動のあまり穴井氏は、「これからは『すすきの』ですよね? ね? 先生、ね? ね?」と酔いにまかせて何度も言いつのる。これは彼が酔った時の口ぐせで、酔えば「すすきの」の場所に、横浜でも、博多でも、埼玉でも、何でも入る。しかし飛行機代を使って飛んできても、銀座に1回行くのと料金はほぼ同じであるらしい。まあホテル代は余分にかかるわけだが。そうなるとこれは、確かに銀座にこだわる必要も特にないのではと思われた。そのくらい銀座は高いということだ。
カメリアにスタイルのよい娘が多い理由について、ぼくはこのように考えた。これはあくまで外観についてのみの考察であるが、外観のよい女性が立身のために上京をしたとする。するとタレントになったりモデル・クラブに入ったりで、東京では分散してしまう。残った一部分がクラブ世界に入ってきても、これまたそのうちの多くは六本木に流れる。その中の一部分が銀座に来ても、銀座には店が多い。というような事情で、東京では徐々に分散、水増しが起こってしまうということであろう。すすきのでは、クラブの絶対数も、ライバル世界も少ないから、美人の子たちが多く一個所に集まって、質が維持できるのではないか。
カメリアで穴井氏はいよいよできあがり、さあもう一軒行きましょう! と叫ぶ呂律も怪しくなった。札幌満足ニュースでもらってきたコピーの束を手に、ふらふらと大通りを行く。次に入った店は十代の子が多く(自称ではあるが、嘘ではなさそうであった)、さっきのカメリアが銀座ふうなら、ここは六本木ふうだ。
このあたりでのことは、あまり書くべき内容もない。穴井氏がどんどん酔っぱらっていったというだけのことだ。次の店も下品な様子はなかったから、東京で素面の時に考えたのであろう穴井氏の札幌満足ニュース作戦は、少なくとも半分は成功した。
表通りに出たら、もう穴井氏はまっすぐ歩けない。一滴も飲んでいない柄刀氏は、当然ながら素面であるから冷静で、もう地下鉄も終わるからぼくは帰りますと言いはじめた。しかしこれが聞こえない穴井氏は、じゃ、ラーメンを食べにいきましょう!
とばかりにタクシーを停めてしまった。仕方なくわれわれもしたがい、乗り込んでドアを閉め、「ラーメン横丁!」と穴井氏が元気よく命じたら、5メートルほど先を指差し、あそこですよと言われる。
仕方なく歩くことにして、柄刀氏にこのタクシーで帰ってもらうことにした。タクシー代を払っておいてあげましょうとぼくが言ったのだが、もう穴井氏は財布の札入れ部分をぱっくりと開けても、3センチほどに目を近づけないと、中にある紙がお札かレシートかも解らない状態。お札らしき紙を何枚かシフト・レヴァーの脇に置いていたが、あれははたして金であったものか、どこかの割引クーポン券ではなかったろうか。柄刀氏は、はたしてあれで無事に家まで帰れたのであろうか。
さて、それからがいよいよ問題の行動であった。思えばこんな心神喪失状態の編集者に、黙ってついていったぼくも悪いのであるが、もう穴井氏、完全にまっすぐは歩けない。話す日本語もただの音で、意味は消滅した。ラーメン屋とかいっていた話はどこへやらで、もう一軒行きましょう、もう一軒、とさかんに主張する。そして札幌満足ニュースでもらってきたコピー紙の束を再び両手で掴み、これに目いっぱい顔を近づけて熱心に読みながらすすきのを行軍する穴井氏は、さながら二宮金次郎の風情である。
そしてまずいことに彼は、さっきの客引きの青年たちのどまん中にと歩みいったのであった。さらに最低のことにはこの二宮金次郎氏、道が解らないものだから、しばらく往っては引き返し、客引き青年のただ中を突っ切り、しばらく行くとまた引き返して客引きに合流という案配である。これでもかこれでもかと言うように彼らのど真ん中を往たり来たりするのだから、彼らが声をかけないわけもない。彼らにとっては今夜、いやここ一週間を入れても、これほどにネギをしょったカモは、まずほかには通りかからなかったのではないか。これで彼らが声をかけなければ、私が彼らの雇用主でもクビにする。
今日はどちらに? と言いながら数人の客引き青年が、磁石に吸い付く砂鉄のごとく穴井氏にくっついてきて、横をぞろぞろと歩く。中の一人が手を伸ばし、あ、これ、こう見るんですよ、とコピーの地図入り書面をさかさにする。千鳥足の穴井氏、どうやら資料をさかさに見て歩いていたのであった。
いや××なんだけどさ、と穴井氏は、目指すクラブの名前を力なくつぶやく。すると中の一人が、あ、だったらこいつ、その店のやつなんです。今電話入れて、席開いてるかどうか確かめさせますから、と言う。みると小肥りの彼は、いそいそと携帯電話をプッシュしている。そして、今いっぱいなんですって、一時間ほどで空くそうですが、と言う。本当かいなと思うが、目的地にたどり着けないのでは確かめようもない。
あのー、それでですね、同じ傾向の店で、今開いてるとこがあるんですけど、経営者同じで、こっちも女の子粒揃いで、よろしければそちらで一時間ほどどうですか? と言葉たくみに誘う。だけどお触りとか、そういうのはなしですよ、とも言う。 最後の言葉が穴井氏のめざましい信頼感を呼び、ああ、じゃま、案内してよ、と言っているではないか。これが、いよいよその夜の冒険の開幕ベルなのであった。
(続く)
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