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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第51回
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島田荘司のデジカメ日記
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島田荘司のデジカメ日記
4−4(水)、弁慶堀ニューオータニから新宿へ
午前中から赤坂見附のニューオータニに出かけ、仕事で上京中の瀬名秀明さんと昼食をご一緒する。
地下鉄の階段をあがると、弁慶堀ばたにも桜が咲いている。ここは江戸の昔から遊興の名所で、ここから霞が関の特許庁のあたりまでは大きな溜め池があった。現在の地名は、その頃の名残である。おそらくその時代から、ここに桜は咲いていた。
ついでに言うと、ここから青山通りを渋谷方向に行ったあたりの村には、江戸の頃には星灯篭のお祭りという習慣があった。高い竿の先に提灯をくっつけて立て、そういうものを何本も並べた下をみなでそぞろ歩く。上空の無数の提灯が星のように見えるという、いたって素朴なものだ。
そういえば大川、つまり隅田川の花火大会も、江戸の頃は今のようなしだれ柳だの、大輪の菊だのといった派手なものはなく、ヒュルヒュルという上昇音もなく、ただ火の粉の塊が炸裂するだけの、ごく素朴なものであったらしい。知らないうちにわれわれは、ずいぶんと贅沢になっている。
瀬名さんだが、彼が「パラサイト・イヴ」をひっさげて文壇に現れた時、その専門のフィールドから推しても、この人こそは日本のミステリーを前進させ得る人と直感して、講談社文三の宇山氏に、この人になんとか本格寄りのミステリーを書いてもらいましょうと働きかけたものだったが、当時の宇山氏の回答は、瀬名さんは本業が忙しくて、もう小説は書かないそうですよ、というものだった。残念だったが、これはありそうなことなので、あきらめるよりほかなかった。
昨年末だったか、光文社の鈴木編集者が、オリジナルの本格アンソロジーを考えている、ついてはその責任編集をやって欲しいともちかけてきたので、以前から暖めていたコンセプトを話した。この内容は、最近あちこちに書いているので繰り返さないが、簡単に言えばモルグ街の原点に戻ろうという提唱である。とはいえそれは、石造りの本当の密室に戻ろうとか、真の遠隔殺人を今こそ起こそうとか、そういった類のものではなく、原理を解体確認して、これを新世紀の今日の科学事情にあて填めてみようとする、いわば実験である。
現在、モルグ街の時点から見るなら、科学は完全に当時のSF的発想を達成している。あの時代の感性を原点においた本格の作家が、目を見張る21世紀の現状にまるで無関心なのは、考えみれば異様なことである。これは傲慢とも不勉強とも怠惰とも、いかようにもそしりのストーリーを作れるから、なかなか危険なことではある。それをやりそうな側が少数派なので、たまたま命拾いをしているというだけだ。とはいえむろんこのような実験をやれば、これをそしるもっともらしい道徳風味のストーリーもまた、いかようにでも作れるのだが。
本格があの時点のルールを守るのはよいことだが、材料までもあの時代のままで変化させなければ、ジャンルはゆるやかに時代に遅れていく。ただし例によったテンション型に、すべてを新しいものに切り替える必要はないし、古いものを嘲笑排除する必要もない。一部新しいものも取り込む必要があるということだ。幽霊譚的殺人事件に、当時の最新科学をもって対したものがモルグ街なら、もう一度幽霊譚的殺人事件に、21世紀の最新科学をもって対処する事件を描いてみてはどうかという提案で、大成功はできなくても、この発想は現在きわめて貴重であり、発展性を秘めるはずである。
この企画を依頼すべき人として真っ先に頭に浮かんだのが瀬名さんであった。しかし彼は今のところSFホラーの人であるし、本業もお忙しいであろうから、承諾してもらえるか否かは五分五分と思っていた。が、このたび思いがけず快諾という返答で、大変に嬉しかった。これで何年越しかの念願がかなったということになる。光文社も、瀬名さんとはこれまでおつ合いがなかったので、こちらからも大いに喜ばれた。
今日の会食は、これを皮切りに執筆者の全員に会ってみようという計画のスタートである。みなさんに東京に出てきてもらってもそれはよいのだが、心苦しいし、こちらもたまには日本の地方を旅をしてみたいから、こちらで出向くむくことにした。関東在住の人たちとは、今夜会食をする。その後ぼくは品川のホテルに泊まり、明日は北海道に向かう。札幌の柄刀一さんに会うためだ。瀬名さんだけはもう今夜用事が入っているから、こうして個人的に昼食を共にする話になった。
ニューオータニの中華レストランの、丸テーブルで相対した瀬名秀明さんは、明るくて、まことにはつらつとした好青年であった。専門は免疫学であったと思うが、現在世の関心を引いている分子生物学とか遺伝子操作の分野にも当然詳しい。そこでついつい日頃の疑問の質問会になってしまう。瀬名さんはこれらに快く答えてくださり、知らないことは、それは知りませんと歯切れよく言った。瀬名家は代々学者家族なのだそうだ。
瀬名さんとの初会見は、昼食をはさんで、そう長いものではなかった。ホテルのエレヴェーターの前でお別れし、ぼくは光文社に廻って著作にサインをした。新築の応接間でお茶を飲みながら、長いつき合いになる文庫の浜井部長としばし話す。彼は部長というだけでなく、もう重役にもなった。知り合いがみんな偉くなる。
その夜は穴井さんと、新宿のしゃぶしゃぶ「牛屋」に繰り出して、光文社「21世紀本格のアンソロジー」執筆依頼者たちと、顔合わせを兼ねて夕食となる。この時のメンバーは、響堂新さん、氷川透さん、霧舎巧さん、松尾詩朗さん、それにカッパノベルス副編集長の穴井則充さんにぼく、という顔ぶれであった。しかし考えてみるとこの人たちには、これまで御手洗潔攻略本とかパロディ・サイトの執筆で大なり小なりご協力をいただいているので、割合気心は知れている。この中では唯一霧舎さんが、パーティで紹介されただけなので、初対面に近かった。
ビールで乾杯したのち、今回の企画についてぼくがひとくさり説明をして、今夜は細胞工学、遺伝子工学などの実際を、響堂新さんに訊く勉強会だと言ったら、横で響堂さんがのけぞっていた。響堂氏は岡山大学医学部を卒業後、大阪大学の研究室で細胞工学の最前線にしばらく身を置いた。以降は検疫官医師として、関西国際空港に勤務。これらの前身を生かした作品が認められて(と書いたら思い出したが、認めたのは小生であった)一昨年専業作家となり、横須賀に引っ越してきた。分子生物学の原点であるところのワトソンとクリック、このクリック博士が岡大に講演に来た時、彼の横ほんの3メートルの位置で話を聴いたという経験も持っている。ミーハー的心理から言うと、これはちょっとうらやましい。
響堂さんとしては、勉強会の講師は寝耳に水の話であったが、われわれの無遠慮な質問に対し、彼は非常に丁寧に答え、詳細な説明をしてくれたので、しゃぶしゃぶもうまかったし、この夜は非常に充実した会となった。この時の話を刺激に、よい作品が生まれてくれれば、ぼくも光文社も言うことはないのであるが。と、人ごとのように言ってはいられない。ぼくも書く約束になっている。
松尾詩朗さんが、タダでこんなにいろいろ訊いちゃって申し訳ないすねと言ったが、まさしくそんなふうである。もっぱら質問をしたのは小生と彼であったが、その松尾さんは仕事が忙しく、のちにこの企画を降りることになってしまった。タダで最新科学の話を訊いたうえ、しゃぶしゃぶまでタダ食いとなった。
食後、持参のデジカメで記念撮影をする。松尾氏はかつて演劇研究所にいて、役者の経験もあるから写り馴れている。格闘技の経験もある彼は、大喜びでさまざまなマッチョマン的ポーズをとっていた。逆に氷川透氏は、これまで著者写真というものをいっさい公開していないので、デジカメ日記に載せるなら、ぼくの顔は必ず消してくだいという固いお達しである。冗談かと思ったら本気らしい。そういうことであるから、T橋氏が氷川透氏の顔にはフタをしておいてくれるであろう。彼の顔は、この時のメンバーだけが知っている。
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