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島田荘司のデジカメ日記
第47回
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3−27(火)、井の頭公園の桜。
いつもこの時期は日本にいないので、井の頭公園に桜が咲くのがなんだか楽しみだった。日本の桜を見るのは、もう5、6年ぶりにはなるのだ。
東京にいる頃、桜など気にもとめなかったし、花見のシーズン・イクオール酔客の胴間声の襲来で、この季節はむしろ憂鬱だった。ところがアメリカに住むようになって、桜を見ない年を何年も重ねてしまうと、何だか気分が落ちつかなくなる。これこそは日本人のDNAというもので、桜を見ない年があっても別にかまわないが、それが5年も6年も重なっていくと、なにやら世間から取り残されたような気がする。ソーテルのストーナー公園に桜がある、いやエンシノのレイク・バルボア公園には並木がある、などと聞いてはいそいそ出かけたりした。
しかしこちらのものは、桜とはいってもせいぜい日系人のお爺ちゃんが植えた2、3本、アメリカ人が面白半分に植えた1本といった調子で、なんとなく枝ぶりも悪いし、そのしょぼさは、はて、これは梅のつぼみではあるまいか、というようなしろものが多い。桜とはこのようなものではない。自然発生したような大群落、そして何年も年を経ているというようなあの幹の肌触り、枝ぶりの凄みや満開の花の迫力は、アメリカのものにはまるでない。
レイク・バルボアのものは確かに並木と言えなくもないのだが、まだ植えたばかりの子供の桜で、ディノ・デ・ラウレンティスのキングコングに、「おーい油田を発見したぞー、あと一万年もすりゃ立派な石油になる!」とわめくシーンがあるが、この並木の下で花見ができるまでには、まだあと10年がとこの時間が必要と思われた。
吉祥寺にいた頃、駅前に出るにはいつも井の頭公園を横ぎっていたのだが、これが花見のシーズンともになると、ことはそう簡単にはいかなくなる。園内は東京中のカラオケボックスが引っ越してきたような耳をつんざく大咆吟、いつも静かな散歩道は、銀座の歩行者天国のような大混雑、大渋滞。皆が大声でわめく中を、おじさんをかき分け、子供をかき分け、時には犬までかき分けて、中の島の橋までたどりつけば絶望はピーク。狭い橋は、池の周囲を埋めて咲く桜を、ぼうと眺める人また人で微動もせず、動いている人間はといえば、真ん中一人分の一列くらい。仕方がないとこの中に割り込めば、いつもは通過に一分のこの橋が、渡り終えるまでにきっちり20分かかった。
そういえばこの狭いボロ橋にはいろいろと思い出がある。ある年台風が襲来して増水し、橋の一部分が水没した。これはむろん橋が沈んだわけではなく、池の水位が上がったのだが、女性たちは迷うことなくUターン、池を迂回する道を選んでいる。しかしこちらはその時、待ち合わせの時間をもうとっくに過ぎていた。ええいままよと歩み込んだら、何ごともあなどってはいけない、水はくるぶしまでもあり、靴はあえなく水没、ルノアールでの打ち合わせの間中、靴の中の水に足をひたしていた。
ともかくそんな橋なので、花見のシーズンともなると、ぼくは迷うことなくぐると井の頭文化園側を迂回、昔T橋氏が住んでいたマンションの前を通って、彼に出会って原稿くれと言われないかと怯えながら、駅前に出なくてはならなかった。食事などして戻ってくれば、これがまたつわものどもが夢の跡で、散乱した新聞紙とともにあちらこちらに酔っ払いが落ちて−−−、いや寝ており、まだ多少元気の残る者はど演歌を歌いあげたり、池に飛び込んだりしていた。だから寄っていき、
「あのね、この下に自転車沈んでますからね、足怪我しますよ。飛び込むな靴履いたままで行きましょう」
などと注意しなくてはならなかったから、桜が散るまで毎日本当に疲れた。春、桜というと酔っ払いと、山、川、政治、汚職、の合い言葉のごときものがあったので、ああこんな場所にいたら脳が陽に焼けると思い、アメリカに行くことにしたのだった。
しかし、アメリカに行ったら行ったで桜が懐かしくなるのは因果なものである。決して井の頭公園が懐かしくはならないが、そこの桜だけは懐かしい。
ボートの係留場も今や桜の花陰だ。今日は日曜日ではないから、ボートがみんな出払ってはいない。乗り場裏のここにはまだ多く残っているが、しかし人気があるのは足漕ぎ式のようで、オール式が出るはそれらがみんな出払った後だ。
橋にかかり、中途にたたずめば、池の周囲は桜、また桜だ。これはもうこれで満開なのであろうか。それともまだ八分咲きといったところか。こういうダイナミックな光景は、アメリカでは到底味わえない。
橋のとっつきの桜の樹は、もう満開に花をつけた。池周囲の淡いピンクの翳りはもうたわわになって、陽光を柔らかく反射する。桜の花の群落は、陽ざしを柔らかく見せる効果がある。障子の和紙を抜けた陽ざしが、どこかもの柔らかく、優しくなって、女性の肌を美しく見せるのと似ている。こういうものが日本だ。アメリカにいてこれに気づいた。
遠望する井の頭公園のゴジラは、まだしっかりと葉が体にまとわりついてはいず、ゴジラになっていない。あれがゴジラになるのは夏、青葉の頃だ。
この日、日曜日ではないから人は少ない。しかし、この評判の悪かった橋はすっきりとモダンに、そして幅が広くなったから、もう花見のシーズンに大渋滞したり、台風のシーズンに水没したりはしなくなった。のみならず、夜になると欄干に点々と明かりが入り、幻想的な風情になる。
アメリカで、時おりこの橋が懐かしくなることがある。この橋と、公園通りにあがるドナテロウズの石段は、アメリカに住む日本人には江戸的な風景を持っている。特に夕景だ。誰に要求されるでもなくこういう風景を作り出す力は、これも日本人のDNAか。
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