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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第43回
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3−16(金)、渋谷の追憶。
渋谷の夕景には何故かノスタルジーが湧く。井の頭線を終点渋谷で降り、地下鉄銀座線に向かう通路は、ハチ公の交差点の上空を通る。黄昏時で、空はまだ青く、しかし人で埋まる道は暗く、ネオンはすでにともりはじめていた。ガラス張りの通路の端に寄り、しばらく眼下を眺めてみた。
この道の彼方左手には、山手教会とかジァンジァン、パルコに向かってあがる坂道があり、ぼくの小説では「消える上海レディ」の発端とか、吉敷もので、女子大生時代の通子が自動車に轢られたりしたあたりだ。
どうしてあのあたりを舞台にしたかといえば、やはり印象深い場所だからなのだろう。友人のバンドが出演したり、ちょっとした有名バンドが出るというので、ジァンジァンにはよくきた。あの頃ジァンジァンは、ギターを弾く若者にとっては憧れの場所のひとつで、それからロフトとかルイードができたが、ジァンジァンは別格で、それらよりずっと以前からある老舗だった。もともとはシャンソンの店だったと思う。
坂のもっと上には渋谷公会堂があり、ここにはビル・コナーズがまだいた頃のリターン・トゥ・フォーエヴァーを聴きにきた。
その右手の住宅街にはアラビアというアラビア料理のレストランがあり、これは時代がぐっと最近だが、今LAで一緒にレストランをやっているエジプト人のハニー・アルフセインが働いていた。
その先のNHKには作家になる前、NHK・FMの放送台本を書いて何度か出入りしたし、作家になってからも何回か、これは出演のために入る機会があった。
バンドをやっていた頃、メンバーの家が代沢にあり、ここで練習をした後は毎日のように道玄坂に出て、ムルギーというカレー屋で卵入りムルギー(カレー)を食べた。そうでない時は駒場東大前のアジャンタという、インド音楽を聴かせる喫茶店に行った。ここは一時大ヒットした「同棲時代」の漫画家、上村一夫氏の仕事場近くだったらしく、上村氏の姿をここで何度か見かけた。この店は今はもうなくなったが、エスニックな小物が多く飾られていたので、彫金好きの通子の物語の舞台にした。
小学校時代は学芸大学、ついで都立大学に住んだので、親に連れられ、渋谷にはよく出た。当時東横デパートは、一階や地階が大々的な、今思えば東南アジアふうの騒然たる食料品売り場となっていて、何故だがいつもマーガリンの匂いがした。当時は貧しかったせいか、庶民はみな、パンにはバターでなくマーガリンを塗って食べていた。
この百貨店の食料品売り場では、マーガリンを秤売りしていた。グラム幾らだかで買うと、竹の皮を模した太いベルトの先をぐると巻いて止め、そこに食料を押し込めるように工夫した容れ物にマーガリンを入れ、包んでくれた。たぶんそのような買い方が安かったのであろう。
今のようにヴィニール袋というものが普及していず、だから当然マーガリンの脂分が包装紙の表面にまで浸み出す。買物カゴ(当時の女性たちはみんな、そういうものを持って買い物に出かけた)はマーガリンの匂いでいっぱいになり、だから印象が強いのだろうが、当時はこの食料品売り場全体に、そして入口前の往来までも、マーガリンの強い匂いがただよっていた。
しかしこれは、嫌な匂いではなかった。少し気取って言えば、切ないような、追憶の渋谷が持つ匂いだ。貧しかったが、そういう感傷のゆえだけでない、ある甘さも感じる。それは思えば自分自身の姿とも重なるのだが、これからどのようにでも成長できるという、そんな夢が持つ甘さだ。今はもう夢の実態を知ってしまった。だから貧しくはないが、どこかが渇いた。
今この街には、求めてどんな路地に分け入ろうと、マーガリンの匂いなど陰もない。今の渋谷は宗教団体が勧誘に精を出し、コンピューター関連のヴェンチャー企業がひしめくIT都市で、だいたいデパートの一階や地階から、食料品売り場自体が消え失せた。
今のパルコの方角に、松竹食堂といったか、ずいぶん大きな大衆食堂があって、ここでよく母親とラーメンを食べた。父親がどこかで聞き込んで、餃子といううまくて珍しい食い物を教えてやろうと連れてきてくれたのも、道玄坂のどこかの店だったし、ねぎの酢のものという中華料理の作り方を教わってきたのもこのあたりの店からだ。これは父親の大好物だったが、みじめなほどにおいしくなく、それからたびたび食べさせられて閉口した。
こうしてみると、ぼくの子供時代はまことに渋谷と縁が深い。新宿には何故か思い出というものがない。これはたぶん、逆の人の方が多いであろう。作家になってから「秋好事件」という本を書いたら、このあたりにあったリキ・スポーツパレスとか、駅前の街頭テレビや蛇屋が出てきたのでいたく懐かしかった。
そう、そういえばこんなことも思い出すが、作家になり、銀座に連れていかれるようになって、美人がいるような店ではないのだが、上海お春と呼ばれるお婆ちゃんがやっているスナックが泰明小学校の方にあって、これが気にいったことがある。お春さんは娘時代渋谷に住んでいて、電車を降りて改札を抜けるたびに駄犬が寝ているから、邪魔だなと思いながら、跨いだり蹴飛ばしたりして通っていた。
それから中国に行き、上海で暮らした。するとアパートの窓の下に古本屋があって、ここの親父がよく往来まで古本を持ち出し、ぺちぺち叩いて埃を払っている光景を見た。渋谷に帰ってみたら、いつも跨いでいた駄犬が銅像になっていたから仰天した。犬がハチ公という名前だったことをその時に知った。続いて上海に戻ったら、今度は古本屋の親父が銅像になっていた。こっちは孫文という名前だった、というような話をしてくれた。ああいう歴史そのもののような人材がいる頃は、銀座もそれなりに面白かった。
この日も銀座に出た。光文社の穴井さんと会い、友人の山下弁護士をまじえてフグの大隅で食事をした。大隅は、ブツ切りでなくオーソドックスな、大皿に華のように薄切りの刺身を並べる例のスタイルである。ここにはもう20年来行く機会があるが、大変おいしいと思う。突き出しから始まり、刺身、そして最後の雑炊まで、すべてが一級のうまさとぼくは思う。
思うのだが、原書房T橋氏に言わせるとぼくは味音痴だそうだし、こことの比較ができるほどによそでフグ料理を食べているわけではない。よってこれは自信をもって保証しているわけではない。プロに言わせればたぶん別の意見もあり得るだろう。しかしこの日記は「万国うまいもの食べある記」ではないから、まあこの程度の感想でよいのではあるまいか。
山下弁護士とはずいぶん久しぶりだ。食事をしながらもっか審議中の司法改革の問題、その進行状況、結果の予想、陪審制度の問題、参審制度の問題、とりわけ参加裁判員の人数の問題などについて雑談をする。彼は司法の専門家なので、こういう雑談もまことに勉強になり、ありがたい。
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