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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第42回
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島田荘司のデジカメ日記
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島田荘司のデジカメ日記
3−15(木)、光文社、シエラザード財団ミステリー文学賞。
14日着の飛行機で成田に戻ってきた。日本は寒いと聞いていたが、まったくそんな様子はなかった。翌15日の、光文社シエラザード文化財団、ミステリー文学賞の贈呈式と、続くパーティに出席するためだ。光文社の穴井則充カッパノベルス副編集長と、もとぼくの担当編集者で、昨年定年退職した竹内衣子氏が出迎えてくれていた。ハイヤーで新宿のホテル・センチュリー・ハイアットへ。光文社の場合たいていそうするのだが、3階の加茂川で食事をし、ビールで再会の乾杯をして、明日の打ち合わせをする。時差ボケがあるので早目に切りあげ、吉祥寺の自宅に送ってもらって就寝。
翌日は午後比較的早くに、また同じ運転手氏の同じハイヤーが迎えにくる。ずいぶんと偉くなったような印象だが、ハイヤーの送り迎えは自分が望んだことではない。こうしていただけるのは大変嬉しいが、まだ若いので、自分の足で歩きたい気はする。自動車というものは、楽なようで案外そうでもない。東京の道は異様に渋滞するので、それを見越してずいぶんと早く出なくてはならないからだ。今日のような日はそうでもないが、前夜が遅かったりすると、睡眠不足になることもある。
現にこの日も、会場の東京會舘はお堀ばた、かつてGHQがあった第一生命のすぐ裏手なのだが、お堀ばたに出ると道が渋滞して、左前方、堀越しに建物は見えているのに行き着けない。あやうく遅刻となるところだった。運転手氏はしきりに恐縮していたが、彼のせいではない。
審査委員の控室にいると、あまりにそうそうたる顔ぶれである。この賞はシエラザード財団というところが主催し、賞はミステリー文学に限っても大賞と新人賞のふたつがある。ぼくの担当はもちろん新人賞の方だが、これに鶴屋南北戯曲賞、劇団助成賞というものもある。結果として審査員の数も大勢になり、大きな控室を用意しなくてはならないほどになる。
勧められた椅子にかけると、隣には都築道夫先生の姿、よい機会なので、こちらから話しかけ、初対面の挨拶をする。やがて審査員仲間、森村誠一、内田康夫、北方謙三の各先生方が登場。握手をかわす。
今回ぼくは選考経過報告のスピーチすることになっているが、これは森村先生の要請から出たことであった。ぼくは来年以降もあと1年か2年残ることなっているから、経過報告は今年去ることになる森村さん、内田さん、北方さんのいずれかから出るものとたかをくくっていたら、油断大敵で、森村さんが、島田さんが壇上でどんなふうに話すか聞きたいなぁ、と言われ、みなさんてんでに深く深く頷いて、多勢に無勢で決定されてしまった。だから今年はパーティをすっぽかすわけにはいかなくなったのである。まあ何といっても前年はすっぽかしているから強いことが言えない。
席に復してふと見ると、左手2、3席向こうに五木寛之先生の姿がある。五木さんとはまだ直接お話をさせていただいたことがない。大学時代、「さらばモスクワ愚連隊」、「蒼白き馬を見よ」、「海を見ていたジョニー」、それから随筆「風に吹かれて」とか「ゴキブリの歌」、愛読したものだった。とそう思うと矢もたてもたまらなくなり、ご挨拶がしたくなった。北方さんに頼んで紹介してもらう。
五木先生は、もうすいぶんなご高齢になられるはずだが、異様なまでにお若い。ぼくが深々と礼をすると、開口一番「いやぁ、こういう方だったんですね」と言われた。「は?」とぼくが言うと、「いや、凝った小説をお書きになる人だから」と、読んでくださっているような言われ方をされたので感激する。
ちょっと車の話になったので、そうだ、車の話ができるなと思い、今は何にお乗りなんでしょう、と尋ねてみる。そう、あれはまだ小説を書いてもいない頃だった。二子玉川の玉川高島屋で「五木寛之展」という催しがあり、いそいそ観にいった。シルヴァーのポルシェ911が会場中央に置いてあり、感動した。むろん5マイル・バンパーなんてものが付く前のナロゥ・ポルシェで、今は別のオーナーの手に渡っているのだが、このオーナーのご厚意で展示していますとあった。かたわらには書斎が再現されていて、彫刻付きの立派な書き物机と、その脇にはバラライカが立てかけてある。執筆に疲れると、五木氏はロシアで買ってきたこれを何となく掻き鳴らす、というような説明が添えられていた。
ういう陳列物に囲まれて暮らしていた頃というのは五木さんの横浜時代で、対談とか打ち合わせがあると911で東京に出てくるというお話で、当時何かのインタヴューで、あんな危ない車で毎日のように高速道路を走っているのだから、いつ死んでも不思議はないというようなことを言われていた。
当時は雲の上の人だったから(今でもそうだが)、感想といえばすごいなぁ、格好いいなぁという程度のものだったが、自分も一応作家となった今、別の意味でさらに感心する。こんな展示を今ぼくもやらされたなら、さぞみすぼらしい印象になることであろう。これだけ様になった事物が身の周りにあるということ自体、脅威だった。
しかし五木さんは、もう今は車には乗っていないのですよ、とぼくに言われた。高齢になられたからであろうか、911の話ができるかと思ったので残念なことではあった。以前は「五木寛之レーシングチーム」なんてのまであって、マカオ・グランプリに遠征したりもしたんだけどね、と笑って北方氏に言われていた。
山田風太郎先生が車椅子で登場される。今回のミステリー文学大賞は、山田先生の功績に対して贈られることになったのだ。五木さん以下、みな一人ずつ山田さんの前に行き、名乗ってご挨拶をする。ぼくもした。それから贈呈式の会場、11階のシルヴァールームに入った。
立派な会場で、舞台上にはひな壇が作られている。並んだパイプ・チェアのシートには名前の書かれた紙が置いてあって、ぼくはどうやら最前列である。すわると大勢の観客と向かい合い、目が合った。五木さんなどもそうで、どうやら喋る人は前の列らしい。
会場に用意された席は見る間に観客でぎっしりとなり、これらはすべて招待の人たちである。出版社の偉い人や編集者、受賞者の関係者などである。テレビ・カメラまで来ている。なかなかの雰囲気で、これがデビュー間もなくの頃であったら、さぞ緊張したであろう。
スピーチは最初が五木さんで、さすがにお上手である。授賞された山田先生の功績を賛え、この判断がいかに正当至極のものであるかということを、とうとうと述べられた。体調が万全でない山田先生にはこの場で賞をさしあげ、すぐに退場していただくことになった。
次がぼくで、何をしゃべったのかすでに忘れたが、なんだか長々と話した。今年は本賞を出せず、佳作が2本で、よっていくらか厳しいことも言わなければならず、少々辛いところである。途中、本格のミステリーの話になりそうになり、「本当は本格についてここで一席ぶちたいところですが、まあ長くなるのでやめます」と言ったら、会場がどよめいてくすくす笑いになった。ぼくはよほど本格屁理屈屋と思われているらしい。「質問などありましたら、後でパーティ会場の方で受けつけます」と言っておいたが、全然なかった。
9階ローズルームに場所を移し、立食パーティになった。これはさすがに財団がバックについているだけあって、盛大なものである。この種のものとしては最大の規模に入るであろう。ロングドレスを着たコンパニオンの女性たちが会場を歩き、ここからは銀座のクラブの女性たちも合流する。あまり銀座などに行く機会もないが、この世界長いのでいくらか顔見知りの人もあり、挨拶をかわす。
今年で審査員を抜ける北方さん、内田さん、そして来年から一緒になる赤川次郎さん、大沢在昌さんなどと話す。ついでに写真も撮る。みなさんきっと見たいだろうから、これをもう公開してしまおう。赤川さん、ずいぶん恰幅がよくなられている。来年からよろしくお願いしますと握手をかわす。みな人柄はとてもよい。
赤瀬川隼さんと、これはもう十何年かぶりに再会し、ご挨拶をする。ミステリー系、冒険小説系の作家の方たち以外とは、あまり会う機会がないのだ。
故高木彬光先生の奥さんと会える。これは大いにびっくりした。高木作品はデビュー前大ファンで、神津ものはみんな読んでいた。カッパノベルスの「寝台特急はやぶさ1/60秒の壁」に、思いがけず高木先生の推薦文をいただけることになって、渋谷のご自宅マンションにお邪魔した。それからも何度かお訪ねした。その時以来である。しかし時間が停まったかのように、全然変わらぬ美しい人である。これはお世辞で言っているわけではない。本当にスリムな美人である。
お孫さんを連れてらしていて、紹介される。彼も純粋そうな好青年で、「ずっと島田さんの大ファンだったんです」と言われてびっくり仰天する。これは20年前、ぼくが高木先生に言ったセリフだ。歴史は繰り返すというか、そのようなことをぼくが言ってもいいものかどうかは解らないが。「それ、本当ですか?」、「え、もちろん本当です」というようなことで、少し話す。「自分ではお書きにはならないのですか?」と問うと、「いや、そういう才能ないから」という返答であった。しかし、才能ありそうな風貌とみた。
このパーティでは、もうひとつ嬉しい驚きがあった。多少恰幅のよい、これも格好よい青年を紹介され、故大藪春彦氏のご子息だという。彼がぼくに頭をさげ、また「大ファンなんです」と言われたので驚く。大変光栄なことに思われる。歴史を作った二人の著名作家のご子息とお孫さんからファンと言われるなど、大変な名誉である。お父上も後年風格があったが、息子さんはその何倍も格好よい。以前大藪さんの小説の文庫解説を書いた時、息子さんが島田さんのファンだそうですよ、と編集者に言われたことがあったが、解説書かせるための方便と思って忘れていた。どうやら嘘ではないらしくて、これは大変に嬉しかった。「ご自分ではお書きにならないのですか?」とこちらでも訊いてみたが、彼もまた「いやぁぼくは……」ということであった。ちょっと残念である。彼もまた、才能がありそうな魅力的な青年だった。 長く作家をやっていると、こんなよいこともある。しかし今これを読まれている人は、いい気な自慢話と思われるであろうか。
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