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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第33回
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12−26(火)、麻布のキャンティ。
ぼくはフランス料理というものにはまったく無知で、いや考えてみれば料理というもの全般に知識がうとい。小説の中に料理が出てきたら、それは都度参考書を眺めて書いているにすぎない。社交ダンスのようなもので、何故だか夢中になれないのだ。
だから麻布の高名な高級レストラン「キャンティ」に、ディナーに繰り出した夜のことを思い出して書いている今など、まことに困っている。写真を見ても、はてこの料理の名前が何であったかがちっとも思い出せない。何故そういうことが起こるかというと、メイン・ディッシュは当然のようにそうだが、前菜とデザートの種類がここはすこぶるつきの豊富さで、これが売りのひとつになっているからだ。とてもではないが憶えきれない。それら綺羅星の調理品の中から、ウェイターの説明やらこちらの目で選んで、その日食べたいものを皿に取ってもらう形式になっている。
アパタイザーの段階で、すでにウェイターがワゴンで、目もくらむほどの大量の皿を運んできてわれわれの眼前に並べる。皿のひとつひとつを手で示して料理の名を言い、調理の方法について講釈を垂れる。ピラミッドか富士山の模型みたいに、大皿の上でうず高くなったものもあり、これを切り崩してはこちらに分けてくれる。講義を受けたのちの数分間は料理の名とか食材も憶えているが、食べはじめ、ワインを飲んだらもう忘れてしまう。つくづく自分は料理の才能がない。いや、皿に取ってもらう時でさえもう忘れていて、だからたいてい、じゃああれとこれと、それからあっちというふうに、幼稚園児のごとく指でさして要求する。
しかしこのキャンティのディナーをぼくは大層好んでいて、帰国するたびたいてい一度は行く機会を持つ。けれどぼくが要求したことはなく、おそらく編集者諸氏も好きなのであろう。この夜は、光文社のお偉方たちとの会食になった。カッパノベルス編集長の多和田氏、この時点ではまだ週刊宝石の副編集長だった穴井氏、その後彼は、週宝が休刊となったのでカッパノベルスに移ってきて副編となり、ぼくの担当にもなった。彼もいずれは編集長となる予定である。それからもとカッパの副編で、長いことぼくの担当であった竹内衣子女史、彼女は今年定年を迎え、悠々自適の生活に入ったが、ぼくとの食事というとたいてい出てきてくれる。それから光文社文庫の担当者の竹林氏、そんなようなメンバーであった。
霧雨が六本木の舗道をほどよく濡らす夜で、明かりをともしたタクシーたちは、ワイパーを動かしたり停めたりしていた。われわれがかけた席は大人数用の大テーブルで、かなり奥まった位置にあったから、窓を濡らす雨は見えなかったが、湿った夜の気配はずっと感じていた。
さて何を食べたのだったか。アントレは憶えている。チキンを食べて、少々失敗だったかなと思ったからだ。こういう店ではチキンのような平凡なものは食べない方がよい。イカ墨のスパゲッテイと、クリームのスパゲティも取ってみなでシェアして少しずつ食べ、これはとても良かった。
アパタイザーには確かさよりがあった。それから温野菜のマリネとか、しめじ、ナスの料理、鮭の蒸したもの、などなどがあった気がする。ムール貝とか鯛、鴨などもあったかもしれない。これらにそれぞれ調理法を示す名前が付いていた。
この夜はぼくより年長の人がいたが、いずれぼくがこういう席での最年長者となる。するとあのワイン・テストのお鉢が廻ってくるであろう。しかしみなに先んじてひと口ばかり飲んでも、ワインの味など解らない。だからこういう時「けっこうですな」と言うほかなくなり、こんな儀式の担当になるのは気が進まない。
けれど考えてみると、最近あのワイン・テストなるもの、やらなくなった。今気づいたが、この夜もなかったように思う。実際あれは意味などない。ソムリエに訊いても、これは困るさげてくれと客に言われることなど一生のうちに一度くらいだと言う。ひどく酸っぱくなっている危険のあるワインなら、気をつけていれば最初から店の者には解るのではないか。
それにしてもこのような高級西洋料理店にしても、むろん日本料理店にしても、日本のレストランの味はデリケートでおいしい。アメリカのものなど、肉料理などはかなり大ざっぱで、どちらかというとざらりとした舌ざわりだ。日本の味は全体に柔らかく、口に優しい。そしてまあ全般的に少々甘口で、無難にできている。
もっともパリの生牡蠣などは独特の風あいがあって、こういう鮮度のものは日本の得意領域と思うのだが、何故かあの感じが日本では出せない。ビールやブランデーと日本酒との違い、それともチーズと切り餅との関係に似ていると思うことがある。辛口の酒といっても、日本酒は本来的に舌に甘いことを意識して作られる。そうした中で、甘さを押さえる発想で作られたというにすぎない。これはいわば砂糖の甘さだが、こういう物差しが日本人の舌にはすでに存在してしまっているから、これをすっかり捨てて別の基準を見つけることができない。
砂糖を発想に入れない甘さとか味というものに、たぶんわれわれの舌はまだ伝統がない。さらには店に入ってくるまでの街の気配とか、パンやバターの塩気、そしてワインの酸味の舌への残り方、フランス料理の味覚とは、たぶんそういったものの醸す総合効果であろう。だからパリのレストランでは、ペリエを飲んでも味が違って感じられる。フランス料理の魚のスープなど、何杯でもおかわりが呑めるような特有のこくを感じるが、この深みは甘さとは根本的に無関係だ。
やはりフランス料理には、日本人の気づかない特有の物差しがあって、これがフランスの味を作っている気がする。西欧人や中国人の味覚はわずかに四種で、日本人の舌が感じる味の方向はもっと数が多いという話を以前から聞く。それはたぶんそうなのであろう、反論はしないが、物差しの数が多くても、どうも甘さという物差しは日本人の場合一本だけ突出して太い。その証拠に、日本の高級レストランは、デザートにこそ本領を発揮している様子がある。日本人は、甘い食べ物が大の得意なのだ。
ま、ともあれキャンティは、そういう日本ふうの西欧料理の中にあっては間違いなく国内の王様クラスであろう。味だけでなく、種類、発想が豊饒だ。そしてここのデザートは、これも特筆ものにおいしい。まあそれだけの値段もしているが。
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