島田荘司 on line
on line top Weekly Shimada Soji top
編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第288回
島田荘司のデジカメ日記
島田荘司のデジカメ日記
島田荘司のデジカメ日記
島田荘司のデジカメ日記
島田荘司のデジカメ日記
島田荘司のデジカメ日記
島田荘司のデジカメ日記
島田荘司のデジカメ日記
10−5(木)、光文社でインタヴューと、新宿で「犬坊里美の冒険」完成打ち上げ
この日は雨だったが、傘をさして池袋西口に出る。駅付近のホテルのバーで、東京創元社のI垣さんと打ち合わせをするためだ。
降りしきる雨の中、ホテルの玄関口で傘をたたんでヴィニールの袋に挿し入れ、エスカレーターで2階に上がって、バーの厚いカーペットを踏みしめながらお茶を飲むのは、なかなか心地がよい。
バーの内装は、中世欧州ふうにできあがっていて、こういう時、何故だかいつも芥川の「魔術」を思い出す。あの時代には、東京にもこうした欧州模倣の建物や室内が、たくさんあったのであろう。そういうクラシカルな場所には、何故だか雨がよく似合う。
主たる話題は、創元社のミステリーズに次の連載を、というお話である。これはむろんやりたいと思っている。「摩天楼の怪人」の仕事は充実していた。しかしあちらこちらからのプレッシャーが強くて、なかなか体が開かない。
終えて、I垣さんがタクシーで護国寺の光文社まで送ってくれた。光文社の玄関前に着き、お出迎えのA井さんと合流したら、I垣さんが「島田荘司全集」を持っていたとのだ知り、それではとロビーのテーブルにすわって銀色ペンでサインをする。遅れてしまったのにまたお待たせして、とI垣さんはしきりにA井さんに恐縮していた。
I垣さんとはそれで別れ、A井さんの案内でエレヴェーターに乗り、カッパノベルスの編集部に向かう。A井さんに誘われるので、理由をよく理解しないままにやって来たが、どうやら今日は、カッパノベルス「犬坊里美の冒険」の完成と、9月に刊行した書き下ろし短編の「電車最中」を含む文庫、「光る鶴」の、「完成御礼」合同打ち上げ会ということであるらしかった。
しかし「犬坊里美の冒険」は、まだ見本もできていない。これで完成御礼の打ち上げというのも奇妙ではある。あるいはA井さんらしいということかもしれないが、「犬坊里美の冒険」では、友人の現職弁護士、山下幸夫先生に最終ゲラのモニタリングをやっていただいた。また山下さんには、「光る鶴」の巻末解説も書いていただいたので、山下先生を食事にご招待し、会食してお礼をしたいという趣旨の会なのであった。山下さんは今、ヒューザーの小嶋社長の弁護などで多忙をきわめているから、この日しか彼の予定が空いていなかった、ということらしい。
司法修習ものなら、これは実際に研修を体験した法律専門家のチェックを受けたい。山下先生なら友人だし、小説好きでもあるから、ということでお願いしたら、非常に丁寧に見てくださって、いろいろとアドウァイスをいただいた。だからぼくとしては、あの作は現役の司法修習生や、法律専門家が見ても、一応おかしくないものに仕上がっているのでは、とは思っている。ただし、後半で里美ちゃんが地裁で求釈明したり、検事に求められ、心得た真相をやむなく発言したりといった際、彼女のギャル口調に傍聴席が湧いたり、拍手が湧いたりといったことは、ぼくもそれなりに傍聴の経験は多いが、1度も見たことがない。あり得ないと言ってもよい。あれはフィクションであり、誇張である。
しかしとは言っても、傍聴人があんなことをしたら違法というわけではないし、地方の法廷で、裁判官、弁護士、検事がみんな顔見知りといったようなケースでなら、司法修習生が発言を許されるということも、絶対にないことではない。が、いずれにしてもかなり型破りな進行であるから、山下先生にモニタリングをお願いし、待っている間は冷や汗ものであった。
しかし彼は洒落が解る人なので、こういう部分については格別何も指摘されなかった。SSKのメンバーにも、もっかロゥスクールに在学中の西澤さんという人がいて、将来の協力を期待しているのだが、この人もまた「里美の冒険」の読後感想文をくれた。こういうあたりに異議の申し立てはなくて、ただ、「里美ちゃんみたいな同窓生がいたら、つき合いたいな〜」ということであった。
山下先生は、ぼくのほぼ全作品を読んでくださっているので、「光る鶴」の解説は、なんとも見事な出来であった。「死刑囚・秋好英明との書簡集」の細部からの丁寧な引用までがあって、驚いた。こうしたことは、法律問題への専門的な興味から発していることだから、通常の文芸評論家には、ちょっと真似のできない芸であろう。秋好氏も、獄中結婚の夫人を通じて、感謝の言葉を伝えてきていた。
西澤氏が言っていたが、法律専門家も、六法全書の何条に何の記述があるなどと、すっかり憶えているものではないそうだ。この関連の法令なら、2百何条かあたりだったなと、そういう感じで記憶している。だからそのあたりを開いて前後にページを繰り、見つける。これが1条目だったかな、それとも千条目だったかなと、そんなふうに皆目見当もつけられない状態だったら、これは仕事にならない。山下さんは、これならあの「書簡集」のあのあたりにあった記述と関連するなと、そんな感じで憶えていてくれたのであろう。言うまでもないが、著者のぼくなどはまるで憶えていない。
多忙の山下さんは、会食に入る段階で合流する手はずになっていたので、われわれは光文社の応接室で、まずはあれこれと仕事をする。以前に水道橋の駅前のドトールで、4点の候補から選んで決定した表紙デザインだが、タイトルの白文字版と黄色文字版、それぞれで色校が作られていた。これは白文字版の方が圧倒的によかったので、こちらで行くことを決定する。
続いて昔駈け出しの頃、雑誌小説宝石の担当編集者で、今は役員となり、発行人にまで昇っているS原M子重役や、昔「EQ」誌があった頃の担当編集者で、今は「ジャーロ」誌編集長のK村K男氏、そしてカッパノベルス編集長のK島J氏などが入ってきて、彼らと少し歓談をする。みんなずいぶん偉くなった。K島氏など、A井氏より10歳近く年下だ、A井氏もまごまごしていてはいけない。
S原女史は吉敷の生みの母、竹内衣子さんの親友で、当時は3人で会う機会が割りとあった。彼女とのことで思い出すのは、彼女はミック・ジャガーの大ファンで、たまたまぼくが「サントリー・クォータリー」というサントリーの業界紙に頼まれてエッセーを書いた直後、ミックが来日して後楽園ドームでコンサートをやった。するとS原さん、鼻息も荒くいろめきたち、「私がサントリーにかけ合って、島田さんの名前を使ってプラチナペイパーをゲットして来ましょうか」と言う。「え、それは、まあ、できることなら……」、とぼくが控えめに応じると、翌々日、たちまち彼女はせしめてきた。完売の声を聞いてもう久しい頃であったから、いったいどうやったのか未だに解らない。ともかくそれで、2人して後楽園のアリーナ席に観にいった記憶がある。歴史的なミュージシァンであるから、思えばあれはいいことをしてもらった。
衣子さんによれば、光文社は女を出世させない会社なのだそうで、そうならS原さんは文句なく出世頭である。まあこれは時代の流れなのでもあろうが、彼女は獅子座でひたすらに明るい、威張らない人だからであろうとぼくは思っている。
全集の話になった時、A井氏がすかさず、池袋のJ堂にて「自費で」購入してきたと強調しながら全集を持ってきたので、また銀ペンでサインをさせてもらう。そうして、これを胸の前に掲げてもらって記念撮影をする。
それから会議室に入り、「女性自身」の「サプリな本屋さん」のインタヴュー取材を受ける。
これを終えたらまた応接室に戻り、書店向けのカッパノベルス・キャンペーン、「ミステリー熱愛宣言!」用にと、手書きPOP50枚を作成する。これらPOPは、主として今回の物語の舞台になっている、岡山、倉敷地方一円の書店さん向けである。少し大版のカードといった程度の大きさなので、たいしたことは書けない。まあスペース的に書けても、50枚となれば大変だからやっぱり書けないが。署名して、その横に「あの犬坊里美ちゃんが、倉敷や総社で大活躍しますよ!」といった程度の、ごく簡単な紹介文だ。
終わったので、ではせっかく来たのだから、A井さんのデスクなど見せてもらえませんかと問うと、A井氏途端に笑顔が凍りつき、「え、いや、それはちょっと……」、などとしきりに抵抗していたが、強引に見せてもらう。
けれど行ってみたら、言うほどにひどくはない。デスク上、PCの左右に、印刷物や書籍がうずたかく積まれてはいるが、原書房の比ではない。しかし同僚がこぞって立ってやってきて、A井はこの背後の棚の上を、ここからここまで、ずうっと不当に占拠しているんですよ、などとみなで訴えていた。

K島氏、A井氏、それから文庫のT林氏の4人で新宿に向かい、A井氏が馴染みにしている韓国料理屋「大邱家(テグチプ)」に向かう。ここに山下先生が合流して、みなで乾杯し、会食となる。大邱家は、気のいい在日のおばちゃんがもてなしてくれる店で、A井さん、どうやら3日とあげずに日参しているらしい。
A井さんは、この日記でもたびたび紹介しているように、連日泥酔のすえ、どこででも眠ってしまうようなめちゃくちゃな生活を送っているが、それでも「健康診断はオールAです」と常日頃自慢している。たまに酒を飲みにいっても、「あ、今日はお茶で」と全然飲まない日があり、どうしたのかと問うと、そういう時は必ず健康診断の前日なのである。前日1日酒を抜いたところで大差はないと思うのだが、高校時代からの一夜漬けの癖が抜けないのだと言う。
しかしそれでも何でも「オールAです」だったのだが、ある時元気のない日があって、「血液どろどろと言われました……」と言って消沈していた。つい最近のことである。それから数日間はおとなしくしていたが、たちまち忘れたらしくて、またもと通り雄々しく泥酔をはじめた。血液どろどろは、どうやらここの焼肉の食べすぎらしい。
思うにA井さんは、ある種の依存症、それとも極度の定着症で、ある明け方に帰宅したら、「玉子焼きだ」、と脳裏に何の脈略もなく玉子焼きの3D画像が飛来した。そこで自分で作り、食べた。普通はこれで終わりだが、彼の場合は以降、帰宅のたびに毎晩、延々と玉子焼きを作って食べたのだそうだ。
玉子焼きが一段落したら、今度は「あ、焼きそばだ」とまた思ってしまう。すると次の日から二ヶ月間、また毎晩せっせと焼きそばだけを作っては食べる。ほかのものにはまるで関心が行かない。やっぱり相当変わっている。普通ではない。ということで今は、どうやら新宿・大邱家であるらしい。
会食の間も、「次の検察修習編、ひとつお早めに……」などと、みなにさりげなくプレッシャーをかけられ続ける。A井氏は、最近では携帯電話の連載サーヴィスがありましてねー、などと、カバンから資料を取り出しては、ひとしきり力説する。こっちはろくに聞いていなかったが。
編集長のK島氏、聞けば岡山大学の出身で、学生時代は倉敷に下宿していたという。驚いて詳細に尋ねれば、民家の離れの独立した建物でと、以前から里美ちゃんの下宿先として脳裏に見えていた家のイメージにぴたりである。ただしこれは二階家で、かなり立派であり、大家のすむ母屋に若い息子がいたりはしなかったらしいが。
それから敷地は狭くて、ここに離れを建ててしまったから、もう庭のスペースはほとんど残っていなかった。近くに新幹線の高架があるので、出張などで新幹線で通りかかるたび、懐かしくてじっと見降ろしてしまう、などとK島氏は言っていた。

食事を終えて玄関に出たら、雨はまだ降り続いている。雨の中、これもまたA井さんがこの頃馴染みにしている、というか定着している、「ラウンジ 櫻」に向かう。A井さんはどうしたわけか、昔からまるで猫のように、新宿の飲み屋の一軒をわが家と定めて棲みつく習性があり、以前は歌手の青年がいた何とかというカウンターの店であったが、つぶれたから今はこの櫻である。「ただいま〜」と言って、櫻のドアを開けて入る。
わが家であるから、ここに落ち着けば、もうA井さんのピッチは猛然と上がり、カラオケのマイクを胸に抱きしめ、いつものレパートリーを熱唱する。そして歌いながら、「島田センセ、誕生日おめでとうございま〜す」などと言う。言われて気がついたが、誕生日が近かったのだ。美砂ちゃんという女の子がケーキを運んでくれ、お祝いをしてくれた。
ここの女の子の1人は石川美砂ちゃんというのだが、この人から、「砂の美砂だったら、子がついた名前はワタシ、見たことないですぅ〜」と言われて、この発言をそのまま使って「帝都衛星軌道」を書いた。珍しいという美砂子を登場させたのだが、「帝都衛星軌道」を彼女にあげると何度か言いながら、連れてこられるたび、あ忘れたといつも思う。この次は、講談社のS村氏と一緒に来なくてはなるまい。
要するにA井さん、この美砂ちゃんの大ファンで、連日ここに来ているのである。A井さんは熱しやすく冷めにくい性格で、ちょっと可愛ければ誰でもすぐ好きになり、これがいつまでも続く。「センセ、今夜は櫻でいいですよね? ね?」とこちらの返事も待たずに、近頃はいつもここに決めてしまうのである。
写真を撮っていたら、この日はなんだか面白い写真が撮れた。A井さんはここに来ると、どういうつもりなのかいつもお絞りを頭に載せ、露天風呂入浴スタイルになるのだが、そういうA井さんを撮ろうとしていたら、後で美砂ちゃんが、お皿に載せたケーキを運んでいてうっかり黒いスーツの上に落としてしまい、「きゃーっ、やっちゃったー!」と言っている瞬間が偶然写ったり、泥酔の進んだA井さんが、真っ赤な顔で、「センセ、そろそろカラオケ、ぱっと、ぱっと……」などと言いながら、こっちに向かって迫ってくる貴重な表情のショットも、ものできた。
このなんとも言えない顔つきは、これまで肉眼では数限りなく見ているのだが、写真に定着できたのははじめてである。公開しようと思う。昔、高校生の頃であったか、「社長漫遊記」という東宝映画のシリーズがあり、森繁社長の取り巻き重役たちのうちに、よくこんな顔をして、「社長、今夜はぱっと一席、どこかで派手にぱっと……」、などと言いながら不気味に迫る役者がいた気がする。
盛り上がるA井さんとは無関係に、横にいたT林氏が、自分はそろそろ定年が迫るのだとしみじみ言った。知り合った頃は若かったが、彼ももうそんな歳になった。A井さんの方は「あと13年」とこの前言っていたが、T林氏はもう迫る。「でも厚生年金があるからいいですね」とぼくが言ったら、「いや、それ、もらうまでが大変で……」、とこれはA井さんも言う。
そのT林氏が、ぽつりとこんなことを言った。
「昔吉祥寺で島田さんと会っていたら、『お好み焼き食べに行こうよ』って、言われたことがあるんですよ。ああいうの、編集者は嬉しいんですよね、よく憶えてます」
ふうんと思った。こっちはまったく憶えていない。なんだか年輩の編集者が、高木彬光先生との思い出話をしているのをそばで聞くような心地がして、おかしかった。自分も、もうそんな思い出話の登場人物になったらしい。
 
デジカメ日記 バックナンバー

Copyright 2000 Hara Shobo All Rights Reserved