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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第286回
島田荘司のデジカメ日記
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島田荘司のデジカメ日記
10−2(月)、グランドハイアット東京でインタヴューと、藤谷氏との再会
六本木ヒルズの「グランドハイアット東京」に、15時30分に行く。以前に護国寺の「華の舞」で約束した、評論家、円堂氏のインタヴューを受けるためであった。あの時彼の隣りで寝ていたA井さんも来ていて、最終的な朱入れをした「犬坊里美の冒険」の、三校目のゲラを彼に手渡す。これでこの作は完成となる。あとは見本本待ちだ。
インタヴューは、12月5日発売の原書房のムック、「ベスト10」のためのものらしいのだが、この本は何故かぼくは、今まで1度も見たことがない。原書房のI毛さんも来ていたのだが、彼らとの約束に、A井さんが中途から割り込んだ格好になっていて、彼は非常に恐縮していた。
円堂さんが現れ、A井さんが去って、店内のテーブルでテープレコーダーを回して質問を受けた。内容は、ぼくの本格ミステリー史の個人的な把握、それらを踏まえての未来史の予測。そしてこういう理解に立った時、ぼく自身はどのような傾向の作を今書こうと考えているのか、といったもので、円堂さんはひと言ふた言水を向けるだけ、ぼくが一人で延々と喋りまくった。円堂氏は楽だったかもしれないし、鼻白んだかもしれないが、ともかくまだ陽が高いうちから喋りはじめ、壁面ガラスの向こうにそれが落ちていくのを視野に見ていた。やがて店内には灯が入り、一般のテーブル席であったから、日本の、それもショバ代が馬鹿高い六本木のことで、いつウェイターがやって来て、そろそろもう……、とプレッシャーをかけてくるか、内心気が気ではなかった。
2人もあきれたかもしれないが、よくこれだけ次々出てくるものだと、喋っている当人が一番あきれていた。このところ考えたり書いたりしている内容なので、頭の中にひと通りの構文が存在するらしく、原稿を朗読するみたいにして、それらがつるつると、果てしなく出てくるのである。こうした脳の働きはわれながら興味深く、脳科学者の茂木健一郎さんあたりにご意見をうかがいたいものである。
こっちばかりが喋っていて内心の恐縮があり、最後には円堂さんが何ごとか締めの持論を展開するものと思っていたら、円堂さん、「本日はありがとうございました」と言ったから拍子抜けし、「あ、終わっちゃったよ」と思わず言ってしまった。テープの終わりには、そんな声が入っているはずである。

今年は6月から「帝都衛星軌道」、「溺れる人魚」、「UFO大通り」、「光る鶴」、「犬坊里美の冒険」、「最後の一球」と、毎月刊行を敢行したが、まだ12月にも南雲堂から「島田荘司のミステリー教室」を出す予定であること、そして2008年には講談社BOXで、大河ノベルに挑戦する予定であることなども、これらの出版社のためにひと言だけ広告しておいた。あまりに内容こってりと喋ったので、とてもではないが、これらの本の内容についてまでをさらに言及する紙面はなかったろうし、こちらももういい加減喋り疲れていた。
インタヴューの内容は、読んでいただくのが一番だが、淡々と歴史の経緯を説明したつもりだが、1部には過激ととられそうな部分もあった。以下に少しだけそのさわりを述べると、「本格」の語は日本の作家、甲賀三郎氏が発明した日本に特有の語で、欧米にはこうした発想はない。しかし甲賀氏がこの語を作った際には、同時代のアメリカ人作家、ヴァン・ダイン氏の作風がとりたてて視野にあったと思われる。ということは、言うなればここからわが本格の歴史は始まっているのであって、「本格原理主義者」が「原点にたち帰れ」と叫んだとすれば、それはポー、ドイルではなく、ヴァン・ダインである。だからポーだのホームズだのという言説は、平成に入って以降、どこか控えられている気配があること。ホームズが後世に影響を与え、産み落としたものは、書斎型の探偵ではなくて、ワンクッションをおいたマーロゥなどであること、しかし自分は、ホームズの魅力をよく知るので、あえてホームズというふうに言うのだ、といったようなことを話した。
しかしとはいえ、フィールドにはさまざまな視点が必要なので、原理主義者の主張もぼくは認めているし、対立はしたくないと考えている。そういう考えを、この時もはっきりと述べておいた。ぼく自身、また先で「龍臥亭事件」や、「斜め屋敷」に戻る用意もある。
以下は個人的な考えだが、ヴァン・ダイン主義とでもいう作風は、今後もさらに磨かれるべきであり、その余地がある。ということは、日本においても実は未達成であると考えている。ただしこれは、原理主義者たちの思いとはまったく別種の発想、視点からで、日本のダイン流儀は、多く、「記号化」という巧みな咀嚼によって輸入と根付きを可能とし、平成新本格の幕を開いたのだが(例外がいっさいないとは言っていない)、理由はごく単純で、記号化など、ダイン氏自身は考えてもいなかったことだからだ。
ゆえに日本のダイン流は、逆説的にダインの流儀とは別物という理解も成り立ち得る。──とこうした把握や指摘もまた、わがフィールドではいささかタブー気味ではある。このように日本のフィールドは、近頃いやに窮屈になってきていて、自由なもの言いが制限されつつある。もしも選民意識の奢りがこの偏向に寄与しているならば、これは何かが壊れる前、専門領域によく現れる現象であるから、大衆が鉄槌を振りあげる前に、警鐘を鳴らす必要はある。そしてそれができる者は、あるいは、失う仲間がいないぼくだけであるのかもしれない。
問われたから、論争に関るつもりはないと断った上で、「容疑者X問題」にもひと言だけ言及した。あれにも日本型の記号発想が関与していて、ホームレスの家族親戚が考えられていない。ホームレスとともに暮らしたから解るのだが、彼らの現状には、しようもない親父や、里子に出された親類がよくからんでいた。かつて、マンションからの児童投げ落としの事件があったが、あれは自分は勝ち組とする「小説」を自己暗示するため、誰でもよい弱者をみつくろって殺して、自己の強さの補強に使った。あの時の彼も、おそらくはつらかった自身の最終勝利に、感涙にむせんだはずだ。この時彼は、つらさのあまり子供の親縁者という発想が欠落したと思うし、これもある意味無理からぬところではあるものの、「容疑者X」もまったく同じ構造を持っていて、小説自体はそうであってもいっこうかまわないが、評価する側が、投げ落とし犯と同じあやまちを思考内部に宿していることに、誰一人気づかなかった。これは天下の道徳国家日本の理由を象徴して、いかにも不気味である。そういう指摘は一応しておいた。
実際日本人は、過去から今日まで、選民たるの誇りによって信念の道徳虐めをどんどんやり、自殺をどんどんさせ、正義のために多少の冤罪者もかまわずどんどん死刑を行い、あの虚構世界でもまた、純愛の感涙のため、弱者をみつくろって殺していた。作者の想定外なのではあろうが、これもまた、よくできた警鐘である。その意味であれは、時代が産んだ小説といえる。

それから2人とは別れ、すぐ近くの料亭に行って、週刊現代の副編集長、藤谷氏と再会、座敷で一杯やって食事をした。講談社の会議室で共同記者会見をしたおり、彼もやってきてくれ、近く食事をしようという話にしていたのである。
彼はまったく老けてはいず、ともに「世紀末日本紀行」の取材をし、日本列島を北から南まで駈け巡った頃と、印象は少しも変わらない。あの時、あるイヴェントがあって、彼やフライデーの記者仲間と「世紀末日本バンド」というものを組み、ステージに出て演奏したものであったが、今また彼は、仲間とバンドをやっているのだという。時々ライヴハウスに出るから、今度タイミングが合ったら飛び入り参加でギターを弾いてくださいよと言っていた。
最近はもうギター・コードも忘れつつあるから、それは少々難儀であるが、彼が週刊現代の編集長になったら、「眩暈」に登場した藤谷英彦をフィーチャーした、御手洗ものを連載しますよ、と確約しておいた。それはまあ、2008年から9年でしょう、と藤谷氏も言うので、これで2009年の連載執筆予定も埋まった。2008年は週刊新潮である。これに大河ノベルも加わったから、考えたら気重だ。こんなところで酒を飲んではいられない。
かつて「眩暈」の時代には、藤谷英彦・漫画同人誌までが登場し、講談社内の一部には大いに話題を撒いた。当時、「ぱふ」という漫画情報誌のギャルの編集者2人に会ってインタヴューを受け、「これから藤谷氏に会うのですよ」と言ったら、「きゃーっ、行きた〜い、見た〜いっ!」とコーラスで言うので、連れていった。そうしたら彼は、全然予告もしていないのに三つ揃えのスーツで決めて待っていて、「あ、どうぞどうぞ」と彼女らに言い、感激させていた。
N雲社長を紹介した時も、社長は「ホントにいるんですねー、こんな人」と感動した。 藤谷氏の同僚もさっそく「眩暈」を読み、「藤谷英」までの活字がページの左下の隅に現れたので、「くっそー、登場したか」と思っていたが、ページを繰ったら「彦」となっていたから、「なんだ」と安心した、という感想(?)も聞いた。彼の本名は「藤谷英志」というのである。
かしこれで社内の嫉妬を受けたか、敏腕なのにフライデー編集長にはならず、今は週刊現代である。週刊宝石があったなら、A井さんも今頃は編集長であったろうが、藤谷氏も早く編集長になって欲しいと思っている。
 
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