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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第283回
島田荘司のデジカメ日記
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9−29(金)、後楽園ドーム博物館
この日は、原書房I毛さんと、水道橋後楽園ドームの、野球体育博物館に行く予定になっていた。しかし突然A井さんが割り込んできて、表紙の絵を決めて欲しいという。それで水道橋駅前で、I毛さんだけでなく光文社のA井さんとも落ち合い、I毛さんにはしばらく横で待っていてもらって、駅前のドトールコーヒーで、「犬坊里美の冒険」の、表紙のデザインを決定する。
以前に、百田まどかさんが表紙用にと描いてくださった5点のカラー絵の中から、1点を選んだことはお伝えした。その絵に、デザイナーの泉沢光雄さんが、背景に4種の絵や写真を組み合わせた作品を4点を作って下さっていて、この日、その4点の中から、また1点のデザインを選ぶことになっていた。時間がないからA井さんも割り込んできたのだが、こちらもこの後が詰まっているから、あわただしく五分間で選んだ。
このようにしたいきさつを言うと、百田さんの絵を1点選んだのだが、絵には背景が何も描かれてなく、真っ白だ。どうしましょうかとA井さんが問うので、では時間もないことなので、写真を組み合わせてみますか、とぼくが言った。まどかさんの絵はシンプルなので、かえって写真とよく溶け合う。写実的な絵だと、逆にうまくいかない。
たとえばどんな写真でしょうとA井さんが問うので、六法全書の表紙の写真とか、総社の田園風景とか五重塔の写真。法廷の写真とか、京友禅の反物──、などなど、思いつくままを口にしたら、そばでA井さんがせっせとこれをメモして、デザイナーの奥沢さんに渡したらしい。そうしたら彼が、まったくその通りの写真見つけてくれ、合成して絵柄を起こしてくれていた。奥澤さんは、非常に生真面目なデザイナーで、この日A井さんは、急遽あがったそのカラーコピー4点を持って、水道橋の駅前に駈けつけていた。
これなどが、わが編集部の多数派が推すところです、とA井さんが示す作例は、寒色系でぼくはあまり気に入らなかった。
「A井さん、これはもう、これしかないですよ」、とぼくは、京友禅の絵柄を背景に敷いた、暖色系の1点を即座に摘みあげ、自信を持って彼に示した。そして、もうこれで行ってもらうことにした。
今回の表紙の制作はちょっと異例で、こうした経験はあまり記憶がない。百田さんの絵を使うことに、当初編集部は難色を示した。これを押し切って彼女に描いてもらった5点のうち、ぼくが選んだ絵は編集部の意見とは違っていた。さらにまた、この日選んだ京友禅背景のサンプルが、編集部の意見とは全然違ったらしい。
今回、最初から最後までぼくの選択は編集部の意見とは食い違い、なんだか1人でここまで突っ走ってきたような感じだが、自分は周囲と協調性がないタイプではないから(ひょっとして、本人がそう思っているだけなのであろうか?)、こうしたことはあまり記憶がない。
しかし、自分としては大変納得のいく、楽しくて可愛い表紙ができあがった。中身とぴったりマッチしたから、気分はなかなかよかった。もらったその色校一枚を持って、A井さんとは別れ、I毛さんと2人で後楽園ドームに急ぐ。

ドームが見えてきたら、表に出てくださっていた久岡公一郎氏と、道で落ち合った。部下の佐藤祐一氏をともなっていた。待ちくたびれていたふうで、遅れてしまった侘びを言う。本日は、電車内で急病人が出たとかで、飯田橋駅で総武線がしばらく動かなかった。そこにA井さんまでが割り込んできたものだから、東京ドームに来るのが約束の時間よりずい分と遅れてしまった。I毛さんたちが、携帯で連絡はしてくれていたはずだが、非常に心苦しかった。
この日、後楽園ドームに付属した、野球体育博物館を訪れるという目的で、われわれはここまでやってきていた。来訪の目的は、原書房で11月に刊行する「最後の一球」の、これも表紙のことなのだが、これに使えそうな投手の絵を探しにきたのだ。
久岡氏とのつき合いは、八重洲ブックセンターでのサイン会から始まった。この日、久岡氏が来てくれて、是非一度、後楽園球場の博物館においでくださいませんかと誘ってくれた。その時すでに「最後の一球」の表紙の絵を探しに入っていたから、それは渡りに船だと応え、行くと即座に言った。けれどなかなかこちらの時間がなくて果たさず、この日になったといういきさつだ。
こっちが遅れてしまったから、博物館はもう閉館の時刻になっている。招じられるまま応接間に入ったら、関連の別会社のもう1人の佐藤さん、宏氏を紹介された。学芸員の女性も紹介されて、みなでしばらく話した。しかし残念なことには、写真ならば歴代スーパースターのものが山のようにあるが、絵画はないのだという。写真では、使用すれば肖像権が発生するし、また表紙に載せれば、写真の選手の伝記かと思われる。ちょっと使えない。
応接間には、スタルヒンなど伝説のスター選手たちのサインボールが、壁際の棚にびっしりと並んでいる。今自分がすわっている革張りのソファは、かつて現役時代の王、長島もすわったものらしい。光栄である。
久岡氏は、さっき表紙のデザインを決定した、犬坊里美ちゃんの故郷の出身である。貝繁村ということにしてあるが、これは比婆郡東城町という、実在の町をモデルにしている。ここには親戚があり、子供の頃から何度も訪れているから、割合土地勘があるのだ。だから、もうひと昔前のことになったが、里美ちゃん初登場の「龍臥亭事件」に出演した神主親子は、実在の人であり、ついでに言うと現中日の谷繁捕手もこの山間の小町の出身で、この神主氏の友人である。
久岡氏の話では、10年ばかり昔のある日のこと、佐藤宏氏が久岡氏に向かって拙著「龍臥亭事件」を差し出しながら、「おい、この小説に出てくる町、おまえの出身地じゃないのか?」と訊いた。それでその本を借りて読んでみたら、確かに間違いない、これは東城町だ、皆楽座にロマンまで出てくる。大いに驚き、以来久岡氏は、ずっと欠かさず、拙作を読んでくださっているという。南雲堂刊行の「パロサイ」まで読んでくださっていた。そういえばこれには、氷川透氏の野球の小編があって、あれは嬉しかったと言う。

それから久岡氏の案内で、順路に沿って野球博物館をずっと観て廻った。金田賢一さんのお父さん、正一氏の大型写真もフロアに立っている。これは金田さんと一緒にきたかった。王さんのユニフォーム、イチロー選手のスパイク・シューズも、ガラスケースにおさまって、陳列されている。現在彼がアメリカで使用しているスパイクと、まったく同じものらしい。近寄ってよく観たら、靴底に無数の穴があいて、貼られたメッシュが覗く。極限まで軽量化がはかられている。学芸員氏の話では、手に持ってみると、あれ? というくらいに軽いのだそうだ。なるほど、羽根のように軽いシューズで、あれだけの盗塁数をものにしているわけだ。
ホームラン王の王選手は、かつて荒川コーチと2人、日夜一本足打法の完成に打ち込んだが、そのおり、本物の日本刀をうち振って、藁束を斬ったというのは有名な話だ。あの時代、ぼくは野球が大好きだったので、そうしたエピソードもよく心得ている。その時王選手が使った日本刀が、これもガラスケースに入っていた。
ぼくが目黒区にいて、東根小学校に通っていた時代、友人の家でよく遊んだ懐かしい野球盤も、ガラスケースの中にあった。これはピッチャーズマウンドの下に磁石があって、レヴァーでこれを動かすことで、カーヴやシュートが投げられた。正確には投げたわけではなくて、転がしたのだが。
野球盤は、まったくあの時のものと同一機種だった。いっとき熱中したから、内野の緑色や、スコアボードのデザインに、確かに覚えがある。しかしたまたまの同一機種というより、あの頃はこういうゲーム盤、これが一種類だったのかもしれない。こういうものは、学芸員氏が個人的に集めたのだという。
テレビでよく観る、名選手のパネルが壁を埋めた野球殿堂の部屋も観た。思わず長島選手のものを探す。小学校時代は、野球盤で遊び、長島選手の家にサインをもらいに行き、近所の駒沢公園で野球をした。熟には行ったが、あまり勉強をしたという記憶はない。まったく野球漬けの日々だった。
今の子供には、もうあんなことはできないだろう。本格的に野球ができる空き地もなければ、プロ野球選手の住所も公開されてはいない。ぼくらの頃は、天下の長島茂雄さんでさえ、わが町内の有名人、くらいの感覚だった。その長島さんが脳梗塞で倒れ、王さんは胃癌で胃の全面摘出となった。あの頃、そんな日が来ようとは夢にも考えもしなかった。英雄は、不老不死と思っていた。2人とも、早く元気になって欲しいものだ。
絵がないということ、そしてもう時刻が遅いから、見学はそれできりあげ、近くの和風レストランの個室に案内されて、5人で会食をする。そこで、久岡公一郎氏のユニークなこれまでを聞いた。

久岡氏は、昭和39年4月1日の生まれである。現在は、後楽園ドーム関連事業本部の部長代理をしている。
出身地は、先に述べた通りで、里美ちゃんのふるさと広島県比婆郡東城町──今は隣りの庄原市に併合されてしまったそうだが──ここの館町という地区だそうだ。ここはよく知らないが、近くにこんぴらさん、通称世直し神社というものがあり、この神社のある山にはかつてお城があって、城下には藩士の館が連なった一帯があった。それが館町の名の由来だという。
中学までこの町にいたが、高校から、スパルタ教育で有名な、岡山の岡山白陵高校というところの寮に入った。ところが、ここの厳しい教育方針に疑問を感じて教師とぶつかり、3年時に退学となった。しかし成績は悪くなかったから、大学には進みたいと思い、しかしそうなると、高校卒業の資格を個人的に獲らなくてはならなくなって、大検受検に広島に走ったりして、ずいぶん焦らされたという。今は笑って話せるし、信念を通したことに後悔はない。
横浜国大経済学部に進学、大学では社会経済史、いわゆる宗教社会学のゼミに入って、マックス・ウェーバーの著書など用いて古代ユダヤ教や、プロテンスタントなどを研究した。そして、こうした宗教やその信徒たちが、いかに欧米の社会や経済の発展に貢献したか、といったテーマを追及した。
経済学部らしい内容は、社会に出てからやればよいと考えて、いかにも象牙の塔らしいテーマをあえて選んだ。こうした反逆の徒としての態度は、大学に入ってからも続けた。そんな学生時代であったから、拙作の「魔神の遊戯」や、「エデンの命題」などを特に興味深く読んだ。「魔神の遊戯」では、宗教の問題とは別に、小骨がずっと喉に引っかかったような気分を感じて、結末にいたって大いに驚かされた。「エデンの命題」のユニークな解釈には、また別の意味でうならされたという。
拙作ではほかに、むろん「龍臥亭事件」や「龍臥亭幻想」が、出身地が出てくるということもあるが好きで、印象深い。皆楽座の登場、竹屋饅頭の出現などには大喜びした。これらふたつとも、いわば東城の名物だ。
東城以外でも、大学時代をすごした横浜や、自分の好きだった場所が不思議に現れてきて、なんだか縁を感じていた。神楽坂や飯田橋などの後楽園付近、とりわけ「セントニコラスのダイヤモンドの靴」では、御手洗さんと石岡君、そして美紀ちゃんが後楽園に遊びに来てくれ、嬉しくて涙ぐんでしまったという。
ほかにも好きな作品はたくさんあり、ついつい本気になって感情移入してしまう。どれが一番好きかと問われると本当に困るのだけれど、強いてお答えするなら、やはり「異邦の騎士」、そして「涙流れるままに」だそうだ。石岡や吉敷、そして通子など、ぼくの描く人物の人間性が、とても好きなのだと言ってくださって、嬉しかった。
久岡氏は、勉強が好きな人らしく、大学卒業後、多くの資格を取得した。後楽園の仕事以外にも、中小企業診断士と、証券アナリストの資格を取得している。特に中小企業診断士は、専門学校で受験指導の副業を行っていた。その一環で、「経済学・経済政策」という科目のテキストを書き、東京校を中心に講義などを行っていたというまでの専門家だ。東京ドーム関連事業部の仕事は、このところ経営計画やグループ会社の統括業務など、戦略関係の仕事が多い。しかし現在は、バブル期の負の遺産の整理も多くなってきて、かなり大変だと笑う。
彼の後楽園関連の話では、新東京タワー誘致の話が面白かった。昭和33年完成の東京タワーが、もう耐用年数切れが迫り、新東京タワーの建設が公的にアナウカスされている。都下の各地が誘致に乗り出し、後楽園も頑張って、一時かなりよいところまでこぎつけていた。もしもここに立つことになっていれば、現在目の前にあるドーム高層ホテルの、4倍もの高さの塔が、この地にそびえることになった。実現すれば面白かった。しかし、結局よそに取られてしまった。

あいあいとした会食を終え、表に出てみれば、雨上がりの湿った夜空にドームホテルがそびえている。40数階のこれの四倍とは、いったいどれほどのものだったかと想像しようとしたが、見上げればドームホテルの最上階も靄に霞むのに、到底見当がつかない。たった今は、SF的な高さに思える。
王、長島の活躍に熱狂していた子供時代、手塚治虫にも憧れていた。東根小から進んだ目黒区の十中時代、数学の教師が手塚さんの友人で、1度だけ手塚さんに会え、質問を許されたことがある。大勢の先輩たちと一緒だったのだが、アトムやゼロマン、りぼんの騎士などの顔を、黒板に留めた模造紙にすらすらと描いてくれるのを観たのち、質問が自分の番になったので、「これらのどれに一番愛着があるんですか?」と尋ねた。「どれにもありますよ」、と先生の答えはひと言だった。その時の手塚さんの笑い顔を、今にはっきりと憶えている。
それからしばらくの間、ずいぶん後悔した。あんな質問するんじゃなかったと思った。あんな訊き方すれば、そう応えるしかないじゃないかと思い、しばらく落ち込んだ。今ぼくが、吉敷と御手洗と里美ちゃん、どれに一番愛着ありますか、と読者に訊かれるようなものだ。順位などつけられない。どれにも愛着がある。いや、そう考えれば、あれはそれなりに、手塚さんの正直な答えだったのかもしれないな、とも思える。
ともかく、この地に立つドームホテルの4倍もの高層タワーは、もしも実現すれば、間違いなく手塚治虫的世界だ。王、長島が病に倒れることなどないと思っていたように、手塚さんの夢の世界に、現実が追いつくことなどないと当時は思っていた。
それは、手塚漫画が絵空事を描いているということでも、現実がだらしないということでもない。聖域が侵されたくないというような気分もあった。しかし思えば、ドーム球場もずいぶん手塚的構造物だ。そう思えば、巨大鉄塔もまた、あってもよいのかもしれない。
ともあれ、そんなことをあれこれ考えさせてくれた夜だった。
 
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