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島田荘司のデジカメ日記
第28回
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島田荘司のデジカメ日記
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12−2(土) T橋さんからTシャツ。
T橋さんより、待っていた「季刊online」Tシャツが到着。実によい感じで嬉しい。「Lサイズ」と「150」の2サイズのみ。後者は、要するにエクストラ・スモールで、細身の女性用らしい。Lを着てみると、なかなか着心地もよい。Tシャツの着心地などみな同じだが、自分の顔が入ったシャツの着心地という意味だ。これははじめてなので、少々気恥ずかしい。
しかし、着てしばらくたてばまったく気にならなくなる。この心理を、以下でちょっと説明してみようか。ダウンタウンLAの医院に何度か健康診断に行き、初老の日本人医者と知り合いになった。何をしているのかと問われるので、作家だと言い、お世話になったので次に会った際に拙著をあげた。すると彼は驚いて、島田荘司という文字はよく目にする、女房がよく読んでましたよ、ああ君だったのですか、と言った。
作家志望の無名青年だった頃、多少なりとも世に名前が通ったら、いったいどんなことが起こるのだろうと想像していた。気軽に街に買い物にもいけなくなるんだろうかと思ったが、全然そういうことではなかった。それは俳優さんなどの話で、作家の場合、世に通るのは要するに著者名としての「字面」だけなのである。ぼく当人はというと、そういう記号とはまるきり別個の存在で、目の前でサイン会でもやってあげない限り、みなが両者を結びつけることはない。「島田荘司」という抽象概念が勝手に世間を歩いていって、肉体付きの当人は取り残され、たまに必要になってあれはぼくですと言うとみな驚く。その様子はというと、まったくよけいなことを言ってくれるという気配でしかなくて、だからもう言うのはやめた。この街ではぼくは、日本で相手にされなくなったミュージシアンか何かだと思われている。そういうことが何度かあったから、Tシャツに自分の名前や顔があっても、これは自分だとは全然思えなくなった。
ともかく、さっそくスター・ファラフェルに行ってランチをしながら、店のスタッフに「季刊online」Tシャツを大盤振る舞い、3人ともに大きな男なので当然Lサイズ、150などはきっと体に入りもしないう。だからLサイズはたちまち品薄になってしまうが、みな一様にデザインが格好いい、着心地がよいと言う。
エジプト人のハニーは、背は高くないのだが胸板きわめて厚く、胴周りも太い。あとの2人、メキシコ人のエドワルドとチュニジアから来たターリックは背が高い。だからLがちょうどいい。
ハニーが作ってくれたにぎり寿司を食べていると、ターリックが、今自分が働いている隣りのクシユウから、珍しい鮨の巻ものを持ってきてくれた。これは変わっていて、天ぷらをしゃりで巻き、海苔の代わりにキュウリの薄皮で周りを包んである。アメリカはクリエイションの国だから、創造性を何より重んじる。十年一日の量産職人芸だけでは通用しないらしい。
彼もまたぼくが作家だと知らないから、どうやって自分の写真使って、このTシャツ作ったの? と問う。出版社が作ってくれたんだよと言って説明しかけたが、面倒くさいから東京にはこういうTシャツ作ってくれる会社があるんだよと言っておいた。
ターリックは、チュニジア時代はサッカーに命を賭けていて、プロ級の腕前になった。LAには「ギャラクシー」という有名なセミプロのサッカー・ティームがあるらしいのだが、この街に来た時そこのテストを受けたら、来たいなら入っていいよと言われた。でも最初に金がかかり、この金は自分で用意しなくてはならないと言うからあきらめた。でもハニーに言わせると、今彼は女の子と遊ぶのが面白いらしいから駄目だよとなる。顔だちがいいから、彼は女の子にモテるのだ。
しかしそういうハニーも、考えてみればずいぶんと波乱の人生をたどってここにいる。エジプトでの彼は秘密警察官だった。カイロでの彼は、言ってみれば江戸時代の侍のようなもので、ぼくをピラミッドに案内しながら、ポリスマンと出会えばぽんぽんと気安く肩を叩き、胸を張って話していた。観光地の施設はどうやらすべてフリーパス、列車代も、映画館に入るのも無料、時には買い物をしても金を取られないというような身分だったらしい。そして十年以内なら、つまり今ならまだまたもとの職種に戻れるという。しかし、戻る気なんかさらさらないと彼は言う。
凶悪なイスラム原理主義者たちと何度も市街戦をやり、一度はふくら脛、一度は横腹を撃たれた。後者は郊外の彼らのアジトを襲って銃撃戦になった際で、防弾チョッキは着ていたのだが、脇のすきまから弾が入り、これが肺と腎臓のちょうど間を抜けたので大事にいたらなかった。病院も近くにないような田舎だったから、救急車が来るまでに1時間もかかり、意識朦朧で待っていたその地獄の時間のうちに、この仕事を辞める決心をした。そして東京でしばらくシェフをやっていたが、今はLAで寿司を作っている。
彼はカイロの日本人の道場で空手を習っていた。だから日本人には昔からよくなじんでいたらしいが、ぼくと友達になり、東京に行き、今LAに来たら隣の店には日本人が大勢いた。よほど日本人と縁がある。たぶん前世は日本人だったに違いない。しかしカイロ大学を出て、射撃の腕がティーム一で、仲間を代表してワシントンのCIAに出張して銃撃の特別訓練まで受けた男が、レストランで寿司を握っているのはなんだか妙な眺めだ。
そういえば以前、武装したギャング・グループがこの店に押し入ってきたら、銃があれば君なら防げるかと訊いてみたことがある。ピストルでは駄目だと彼は即座に言った。自動小銃があれば、ブルルルルとやれるから何とかなる、でももうぼくはさっさと逃げますと言う。実戦とはそんなものなのだろうと思う。何度も修羅場を潜ってきた男の言は説得力がある。
エドワルドは、メキシコで食いつめてLAに流れてきた。人相はあまりよくないが、真面目で信頼できる男だ。ハニーやターリックは独身だが、彼はメキシコに妻子を残してきている。時々妻子が遊びにくるので、そういう時は店を休んでLAの観光案内をしている。三人三様の人生をたどって、ぼくも入れれば四様だが、ターザナで集合した。
そのあとキャロル・クロガーとも会う用事があったので、彼女にもTシャツを一枚あげ、ちょっと写真のモデルになってもらう。彼女はまことに華奢な体つきをしているので、エクストラ・スモールがぴったりである。日本人より細い。そして写すたび、白人の顔というのはやっぱりフォトジェニックだなと思う。
彼女も、半そでの縫い目のあたりを触り、日本製は仕立てがよいよいとさかんにほめてくれた。アメリカのシャツは、メキシコの安い労働力を叩いて使うので、たいてい仕立てが悪い。デジカメの画像をワード用のプリンターで印刷してプレゼントしたら、彼女はまだデジカメを持っていないので、大きくて奇麗な絵だと驚いていた。家に帰ってからまた電話してきて、お母さんも感動していたから、カメラの名前を教えて欲しいなどと言った。その写真も公開しようか。
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