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島田荘司のデジカメ日記
第276回
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9−5(火)、世界巨大恐竜博、2006
恐竜が好きなので、今年も幕張メッセまで、残暑の中、「世界巨大恐竜博」を観にいく。
今年のスターは、またぞろスーパーサウルスに戻っていて、昨年のエポック、地震竜「セイスモサウルス」は、会場に影もかたちもない。一時期のLAモーターショーを思い出す。いっときあれほどにEV、EVと血相変えて騒いでいたのに、ある年モーターショーに行ってみたら、無数にあったEV試作車の姿はぱったりとたち消え、常識的な代替燃料エタノール車や、ハイブリット車が並んで、EVでなければ未来車ではない、21世紀にはEVだけあればいいとばかりに叫んでいた人々が、昨日までの言動を健忘し、鹿爪らしい顔でガソリン・エンジン車を論じていた。
会場をすみからすみまで探して歩いても、セイスモサウルスのセの字もない。ひょっとしてあの新発見巨大竜も、新種プロントサウルスの骨が、実はよく知られていたアパトサウルスの骨の一部であったと解ったように、スーパーサウルスの化石の一部を、新種のものと勘違いして名をつけたのだろうか。セイスモサウルスの化石は、まだ全体の30%程度しか出ていない。
今年のエポックのひとつは、恐竜時代後期に現れた肉食竜の王者、ティラノサウルスが、幼少の時代には「羽毛恐竜」であったと判明したことだろうか。これは中国から出土したティラノサウルス幼少期の化石に、肌の輪郭に沿ってずらりと羽毛の並ぶ跡があったことから確認された。これは実のところ、なかなかの衝撃的発見で、これを踏まえて近頃作られるようになったティラノサウルスの子供時代の想像図は、まるで巨大なニワトリのように見える。成長するにつれ、この羽毛は抜け落ち、われわれがよく知るあの怪僧のようなティラノサウルスの顔になっていくらしい。
子供の頃、こんなことは全然想像もしなかった。加えてこの獰猛そうな成人竜は、肉食のくせに太ももの筋肉がやや脆弱で、ゆえにあまり足が早くなく、鈍足で獲物が追えないから、子供らに獲物を追いたててもらって、横合いからひょいと姿を現し、噛みついて仕留めていたという。「暴君・タイラント」と名づけた過去の恐竜学者は、これを聞くといささか残念がるかもしれない。獰猛な王者のイメージが、今やだんだん崩れつつあり、加えて子供の頃の姿は、なんとなくセサミストリートのビッグバードのような愛嬌を持つ。
21世紀の今、最も面白い恐竜学のステージは、文句なく中国だ。会場を埋める化石は、お隣中国から来たものが大半らしい。拙作「ネジ式ザゼツキー」で触れたが、70年代に陽が当たっていた恐竜学の発見ステージは、アメリカ大陸だった。が、今は中国大陸だ。この社会主義国の広大な原野は、化石発見レースの、まったく手つかずの戦場、それとも理想郷に思える。急いで訪れ、掘れば、世紀の大発見も可能に思える。この分野にいたら、さぞ自分も行きたかったであろう。
中国東北部の朝陽市では、恐竜の化石で現在街おこしを進めつつあるらしい。化石の発掘現場を、そのまま博物館にした展示施設が複数あり、観光客を待っている。郊外の山に分け入り、掘れば、いくらでも恐竜の化石が出るそうだ。だからもっか、乱獲の危機にも瀕している。21世紀の今、よくもこのような土地が地上に残っていたものだ。
ここで見つかった、「中華竜鳥」などという、なにやらおいしそうな名の化石は、恐竜が鳥に進化していく中途に位置する重大な化石で、羽毛恐竜としてのティラノサウルスもそうだが、今や中国で、鳥の祖先は恐竜であったことが証明され、仮説は着々と定着しつつある。
「ネジ式ザゼツキー」といえば、この作中で触れた、「ルーシー」というエチオピア出土の類人猿の、ひと揃いの完全な化石が、この会場にやって来ており、彼女と思いがけず対面がかなって満足だった。身長1mと少しと知ってはいたが、ガラス越しに対面してみると、やはり非常に小柄だ。

今回の展示のもう一方の主役は、哺乳類だ。われわれの祖先たる哺乳類は、実は恐竜とほぼ同時期に発生し、約1億5千万年もの間、もつれ合うようにして共存してきた。と書くとなにやら格好がいいが、実際は恐竜の餌にされ続け、ひたすら逃げ隠れして生き延びた。現在のところ哺乳類の最古の種は、「アバロバシレウス」というネズミのような小型哺乳類だが、これの頭部の化石は、コエロフィシスという恐竜の、糞の化石の中から出たというから少々情けない。
それからの1億5千万年というもの、恐竜は黄金期を続け、ひたすら巨大化、繁栄化の道を進むが、わが哺乳類は、次のラオレスティス、その次のキモレスティス、カンガルーのような子育て用の袋を持つシノデルフィスという有袋類の時代に入っても、いずれも体長わずかに15pくらいで、成長の跡は乏しく、まるでぱっとした存在ではなかった。
しかし体のメカニズムとしては、小さな哺乳類の方が作りが精密で、仕組みが進化していた──、と言いたいところだが、これもまた少々あやしく、両者が生きた地球は、低酸素の時代で、空気中の酸素濃度は現在の半分にすぎなかった。そのため地上の各生物、呼吸のための肺の補助器官を必要とした。哺乳類は横隔膜というサポート・システムを獲得し、肺を下方から押したり引いたりのサポートをさせたが、恐竜は気嚢という補助の空気袋を体内に獲得した。呼吸の補助器官としては、残念ながら気嚢の方が強力で効率がよく、優れていたという。この空気の袋は、鴨などの鳥類は、今も体内に複数持っている。
しかしやがて哺乳類も、遅ればせながら進んだメカニズムを持つようになり、それが妊娠時の胎盤だった。これにより哺乳類は、成長を達成したわが子を産み落とすことが可能になり、ゆっくりと繁栄の時代に入っていく。しかしこうした機能は、実のところ弱者ゆえに獲得したものともいえる。ひたすら逃げ隠れする生活だから、子供もまた、逃げ足を獲得させてから産み落とす必要があった。
胎盤は、地上の酸素がやがて往時の濃度レヴェルにまで回復したから可能になったもので、低酸素の時代には、哺乳類もまた卵を体外に産んで、外敵に怯えて見張っていなくてはならなかった。この時代の薄い酸素は、体内に子を宿し、自身と子供ふたつに酸素を供給するには量が不足した。とはいえ外敵が卵の前に現れても、母親はたいがいの場合、産んだ卵を食べられるのを防ぐことはできなかった。
現在の哺乳類は、その九割までが胎盤を持つ、いわゆる有胎盤類だが、胎盤と子供を体内に保つためには、自分と子、双方を呼吸させられるだけの濃い酸素濃度の空気と、長い妊娠期間を支えられるだけの高カロリーの食料、つまりは母親の強い体力が必要だった。これによって母親は、妊娠中も子供を外敵から守れるようになったし、一定量の生存力を身につけてのち、わが子を世に出せるようになった。
体力獲得の理由は、食料としての昆虫が多種多様な種に分化発展し、地上のいたるところにはびこって捕獲しやすくなったゆえであり、その昆虫がこれほど繁栄できたのは、植物が裸子植物から花や果実をつける被子植物に進化したためで、これの花粉や蜜が、大量の昆虫を地上に創りだしたゆえである。
一方恐竜は、花も実も食べられなかったため、まだ花が咲かない場所へ、咲かない場所へと追われていったとする説もある。そうして、恐竜の餌でしかなかった弱者、哺乳類が、恐ろしい巨大怪物たちが地上から去ったのち、思いもかけず、王者に向かって歩みだすことになる。今年の恐竜博は、こうした暴君たちの裏面で展開した、哺乳動物のささやかな生存史も教えてくれる。

ところで、以前から不思議に思うことがある。インド象、特にその子供は、前足を骨折して長く地上に横たわっていると、自分の体重で自然骨折してしまう。展覧会の主役スーパーサウルスは、全長は観光バス3台分もの長さがあり、体重は象8頭分もある。そんな図体で、一説には2百年間も寿命があったといわれる。老化したのち、睡眠等で横たわっていて骨折しなかったものか。また象8頭分もの体重があるのに、あちこちの泉やぬかるみに、頻繁に填まったりしなかったのか。この図体では、地上のいたるところに危険が口をあけていたように想像ができる。
さらには、大蛇のような異様な長い首を、たいてい水平方向に前に伸ばし、歩いたり、幹の間に挿し込んで、奥の木の葉を食べていたという。今日の感覚では、前足のあたりに高々とタワーを建て、ワイヤーで首を吊りたい感覚が来る。水平に前方に伸ばしているばかりでは、ずいぶん首や肩の筋肉が疲れただろう。このスリムな肩に、それほど強靭な筋肉が潜むようには見えない。
だからわれわれが子供の頃、大型恐竜の想像図は、たいてい長い首をキリンのように上方に立てていたものだ。ところが最近の研究では、これは間違いだという。CGによる動画も、長い首を前方、水平方向に伸ばして悠然と歩かせている。こんな姿勢で、首ははたして200年間も、力学的にも細胞学的にももったのだろうか。無数の頚骨、その強度、支える筋肉の量と強度などから計算を起こし、こうした態度が延々200年間も可能なものなのか、橋梁設計者などに意見を質してみたいものだ。
以前からぼくはこんなことを考えている。現在の地上の重力体系では、巨大恐竜はどうにもありえない生き物のように思われ、会場に並ぶ、特にスーパーサウルスの類は、何かの冗談か、神が現出した幻のように思われてくる。恐竜の一派、翼手竜たちも、滑空はできそうだが、あの翼の羽ばたきで、はたして飛美あがれたのか、いささかの疑問を持つ。
しかしこの会場に、巨大な化石は何組も実在し、幻ではないと自己主張する。この不思議に関し、ぼくは以前からある解釈が脳裏にあるのだが、それはまたいずれ、創作の中ででも語るとしようか。
 
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