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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第275回
島田荘司のデジカメ日記
9−4(月)、百田まどかさんの絵を選ぶ
女性自身の「犬坊里美の冒険」の連載も無事に終了し、ゲラも出、これへの朱入れもなんとか終わった。後は表紙のデザインを決め、本文中にはさむ挿し絵を選ぶばかりになった。そこで女性自身の全連載ペーシのコピーを抱え、わがA井N充編集者が、吉祥寺は駅前の、喫茶ルノアールへと単身乗り込んできた。この日は、表紙のデザインも、ある程度方向性を決めることになっている。
週刊誌連載、あっという間に終了したような気分がこちらにはあっが、A井さんが抱えているコピーの束を見たら、けっこうな量がある。ゲラもかなりの量があったから、こんなに書いたのだったかなと驚いたものだったが、これなら本のツカもそれなりに出そうである。
挿し絵だが、連載中は、挿し絵に提供できる紙面のスペースが、大きさもかたちも一定しない。回によって異なり、だから絵の方もまた、大きさや、縦横の比率が一定しないことになる。そこで、百田さんに新たに描き起こしていただくのがよいのでは、とA井さんは主張していたのだが、ぼくはこれには賛成しなかった。これまでの自分の体験では、新たに描いていただくより、既出作品を並べて、その中からこちらが好きになったものを選ぶ方がうまく行く。ぼくはそうした流儀を持っていた。連載中に画家が受けた、リアルタイムの刺激というものもある。後からだとこれがフラットになってしまう。
また連載中の絵に、好きになったものが多々あったから、これらを落とすのは少々嫌であった。A井さんは、割付の時に楽をしたくて、見開きページの右半分側か、左半分側に、一律機械的に入るような縦長長方形の絵を欲しがっていた。連載を通過した絵は、述べたような事情で横位置の絵があったり、正方形があったり、縦長のものがあったりとまちまちだから、そのように機械的に処理したら、余白が出たり、絵の一部を切らなくてはならなくなったり、あるいは絵に罫線を入れたりしなくてはならなくなる。なかなかに煩雑だ。
これはもう、ベテラン編集者になんとか割付を頑張っていただくほかないのでそうお願いし、ノドを跨いで入る絵があったり、上下罫線が入ったり、絵の周囲に文字が入るページも作ったりという、まちまち、変則的な構成にしてもらうよう説得して、どうにか本日の絵の選択となったのであった。

しかしこの日、ぼくは一応最初に、「これがよい」、「あとこれもよい」、などと言って選び出したのであるが、たちまちこの日は、完全にA井さんがイニシアティヴを取ったのであった。ぼくが一枚の絵を選び、彼の方に向けておいて何か言おうとすると、「あ、これはやめましょう」、とA井さんはさっさと断定する。
また別の絵を選び、「ええと、これが……」と口を開きかけると、「あ、これはちょっと……」とまた言う。
「え、どうして?」、とぼくが訊くと、「唇が厚いです」と言う。「あのね、キミ、唇が厚いのは……」と言いかけると、「ボク、ちょっと駄目なんです、唇厚いの」と言う。続いて、「あ、これいいすね、可愛い」、とか、「あっ、これ、かーわいいー、泣いてるの可愛いー」などと勝手に選ぶのである。
唇が厚いのは、ぼくは決して嫌いではない。別に厚い唇の女性の方が好みということはないのであるが、この連載中、百田さんの描く唇の厚さが、女性たちにはおしなべて好評のようであった。ずいぶん分厚いふうのものも、そう指摘すると、「あ、でもいいんじゃないですか?」と女性たちはたいてい言う。唇の厚さとは、女性たちが大いに許容するところの、女の「強い個性」の一環なのである。こういうところは、ご自身女性だから、百田さんはさすがに女性たちの感性をよく掴んでいる。かく言うぼくも、唇が厚い女性は、表情が風化しにくいと感じることがある。厚い唇には、あまりしわが似合わないのである。しわがよけて通る。
しかしA井氏、こと女性に対してはまことに一家言のある男で、他人の言うことなど馬耳東風、決して妥協ということをしない。だいたい1章に1点ずつという勘定でお願いします、などと言っていたくせに、自分の好みで2点押し込むようなこともやって、採用挿画は、あれよあれよという間に決まってしまった。A井さんとはもう長いつき合いで、飲みにいく店を決定するというような時以外、なかなかにもの静かな男なのである。格別仕事の時など、常に受身で泰然自若としている(原稿書いてくださいという時はしつこいが)。今回のような、眼光鋭く、本気の気合が感じられた、断固たる仕事ぶりを見たのは、はじめての経験であった。
ぼくとしては、里美ちゃん以外の男性陣の顔ぶれも、多少なりとも入れていいのではと思っていたのだが、「いや、里美ちゃんだけでいいです」、のきっぱりした言に気押され、結局大して口出しすることもなく、セレクトは終わってしまったのであった。
A井さん、返す刀で、作中の芹沢良もばっさりとやった。「芹沢さんてヒト、ぼくけっこう好きだったんですけどねー、結末のあれはなぁ、あれ、ホント情けないなー、ぼくはもう見捨てました」などと言った。

それから表紙のデザインの相談になったのだが、ぼくは内容の軽さに合わせ──、まあ法律関係のものだから、当人が思っているほど軽くはないかもしれないのだが──、表紙もまた百田さんの可愛い絵で、漫画ふうに迫るのがいいのでは、と言っていた。しかし編集部の声は、それはこれまでの島田センセイの作風とは大きく異なるので、ちょっと違うのでは、という意見が多いとA井さんは言う。
ふうん、とぼくは言った。まあそれが常識的、かつ安全な意見というものであろう。しかし倉敷の美観地区の写真かなんかをバックに、「犬坊里美の旅情ミステリー」、などと大書される表紙は、どうも血も肉も踊らない。では、百田さんでないとしたら、どんな装丁の案がありますかと訊くと、A井さんの方にも格別のアイデアがあるわけではない。百田さんに描いてもらって、それ見て決めますか、などと言うから、しかし描いてもらってしまって、やっぱりこれはやめます、とはもう言えないてしょうと言ったら、はあまあ、それはそうですね、と言う。ではま、編集部に戻ってもう一度みなで相談してもらって、何かよいアイデア出たらこっちに連絡してください。出なければ、表紙も百田さんに頼みましょう。その場合は、これはカラーの書き下ろしで、この絵のように、細い輪郭線で迫る里美ちゃんの顔が安全でしょう、と言っておいた。それなら保守系の頭の人たちも説得する表紙となる絶対の自信があるから、と言い、布団でうたた寝する里美ちゃんの顔を示しておいた。瞳を閉じ、うっとりと夢見ている乙女、ふうにも見えるものだ。
常識的な人は、百田さんの絵の、時にぐいと大胆な毛筆の太い線に恐れをなす。そして、これは表紙にはちょっと……、と感じるのだ。細い線で、パステル調のこれなら、みんなどこかでたいてい1度は見た体験がある。プロというものは、過去自分が何度か体験していないと、判断に自信が持てないものなのだ。こうした発想も大事だから、否定はしない。しかしぼくは、百田さんの作風の、あまり類似例がない大胆さが、大いに気に入っているのである。
 
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