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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第273回
島田荘司のデジカメ日記
8−6(日)、宇山日出臣氏をしのぶ。
翌8月6日の原爆投下記念日は、なんだか虚脱した気分ですごした。悲しみというよりも、なんだか気が抜けてしまって、何もする気が起こらなかった。
今となっては、宇山氏と最後に会ったのは、八重洲ブックセンターでのサイン会の日、ということになった。
サイン会の後、講談社S村氏の幹事で、近くの一の倉という居酒屋の座敷で飲み会になった。座卓の前の座布団に、あぐらをかく形式の店だった。
綾辻氏や柄刀氏も来てくれ、宇山氏は、夫人と一緒に来てくれていた。大勢いて、テーブルが離れたから、会の間、ぼくは宇山氏とは話さなかった。ふと気づくと、体調を気づかってか宇山氏が夫人と一緒に席を立ち、卓の間を歩いて出口に向かっていたので、いささかアルコールの入っていたぼくは、思わず立ちあがり、
「宇山さんがお帰りですよ、みんな拍手を!」
と大声を出した。
ぼくとしては、講談社を勇退した宇山氏の、本格ミステリーへの20年間の献身と実績に対し、感謝の拍手を送っている、というようなかたちであった。
まあ文字に書けばそういうことだが、やっている間はいつものおふざけの感覚で、別に本気の思い入れなどはなかった。彼にお世話になったみなさんは、さあ拍手をしましょうねと、そんなくらいの気分だった。どうせまたすぐに会えると思っていた。今回の帰国中はもう会えないかもしれないが、次の帰国でも、その次の帰国でも会えると考えていた。八ヶ岳の、彼の別荘マンションにも、そのうち仲間を募って行く気でいた。
ぼくが大声を出したので、みなも気づいてくれ、同調してくれて、全員の拍手になった。宇山氏は盛大になった拍手の中を、会釈をしながら下駄箱に向かって退場していった。それでぼくはちょっと軽口をたたく気になって、
「宇山さん、『帝都衛星軌道』は読んでくれたんですか?」
と声高に尋ねた。たぶん読んではいないだろうと思って訊いた。いやぁ、今夜これから、というような応えを期待していた。
だが宇山氏は、退場しながらぼくに向かって振り向き、こう言った。周りの拍手もあったし、また、ややろれつが怪しい自分の口調を吹き飛ばさんとするように、思い切った大声だった。
「読みました。足もとが揺らぐような心地がしました!」
叫ぶようにそう言ってくれた。
その真摯な応答に、ぼくはへらへらしていた気分をおさめ、真顔になって見送った。

そしてあれが、彼がぼくに対してかけてくれた、最後の言葉になった。
こういうところが、宇山氏らしかった。どんなにふざけていても、彼は心の底ではいつも真剣であり、真摯であった。いつもこちらをはっとさせるような、鋭い言葉を言った。
宇山氏は昭和19年の生まれで、だからいわば戦中派である。軍事都市としての東京が封印していた秘密に対しては、戦後派にはない感慨があったろう。信じ、安定していた東京への常識が、大きく揺らいだのだと、彼はそう言って拙作を評価してくれたのだ。
この時は、いつもながら自分は仕様もないおふざけをやっていると、そんな気分でいたが、今思えば、あれをやってよかった。こう突然逝かれるとは思ってもいなかったから、あの夜へべれけにでもなっていて、宇山氏の退席に気づかずにいたら、今頃は後悔しきりだった。ほんの偶然ながら、なんとか礼を保って別れることができた。

宇山氏のことは、この日記にもずいぶん書いている。だからもう今さら、書くこともなく思える。思い出すことはたくさんあるが、昔夏目漱石が、盟友正岡子規が逝った際に書いていた、「今は何も書けぬ」というあの気分が、なんだかよく解る。しかしぼくはあのような大文学者ではないから、ずるずる書いてしまうが、かなり以前のこと、奥さんが胃の手術で入院したのでお見舞いにいったら、中国の奥地に癌にもよく効くという妙薬があると聞いた。もしもその必要があるなら、自分は喜んで講談社を辞職し、どんな秘境にでも薬を探して分け入る、と、なんだかインディアナ・ジョーンズみたいなことを言っていた。そんな愛情豊かな彼が、奥さんよりも先に逝ってしまった。
漱石が子規について書けないというのは、たぶんこんなようなことからなのだろうと思うのだが、宇山氏とのつき合いは楽しくもあり、有意義でもあったが、どちらかというと毒舌の男で、よけいなことをちょろちょろと口走り、人の神経を逆撫でしては楽しむような悪い癖が、けっこうあった。ついでに相当重度の酔っ払いでもあったから、親しくなると、みな1か2度は絶交を考えるのではあるまいか。
まあ正直に言えば、ぼくにもそういったことが、全然なくはなかった。しかしそういう時も奥さんは横で常ににこにことしていて、いるだけでやんちゃな夫の中和剤、緩衝材になっていた。まことにユニークなキャラクターの宇山氏だから、彼にはあの奥さん以外、パートナーは考えられない。実に心の安定した立派な奥さんであったが、奥さんにとってもまた、夫は宇山氏でなくてはならない感じがあったのであろう。
何を隠そうわれわれにも、そういうことはあった。宇山氏のすごいところは数々あるが、何といってもその最大級のものは、本格のミステリーへの愛情が、仕事上の演技でもジェスチャーでもなく、まるきりの本物であったということだ。どこを切っても金太郎の顔が出る飴のように、宇山氏の体は、どこを切っても「ミステリーを愛している」という言辞が顔を出したろう。彼がミステリーについて語る時、それは決して給料のためなどではなかった。
世に有能な編集者は数あるだろうが、退社をしても現役時代の意欲や言動が、まったく変化せずに持続する人が、いったいどのくらいいるであろう。宇山氏の場合は、持続するとかしないといったレヴェルではなくて、退社をしたらますます本気になっていた。多くの有能に編集者たちは、たいてい心のどこかでこれは仕事だと考えているだろう。しかし宇山氏にそんな気配は皆無で、趣味であるとか、仕事であるとか、世間的な立場がどうであるとか、この仕事が自分に生活費をもたらすとか、欲得だの名誉だの、そういったいっさいを、まるで考えてはいなかった。
宇山氏の場合、講談社内で会っても、自宅で会っても、言動が全然変化しない。また現役であろうが退社していようが、自身が平であろうが部長であろうが、そんな俗で瑣末なわが常識に、いっさいの影響を受けることがなかった。どれほど偉くなろうが実績を積もうが、相手が60歳の重鎮作家であろうと、10代の作家志望者であろうと、彼の言葉遣いや態度は、微動も変化することはなかった。
いつなんどきでもミステリーのことを考えており、どんな書き手にどのような作品を期待するとか、本格ミステリーの行く末をこのようにして守るのだとか、そんな話をしはじめたら停まらなくなった。ミステリー小説の編集者であることは、彼にとっては生まれついての天職で、おそらく天国に行っても、新人作家の原稿を読んでいるであろう。

1日ぼうっとしていたが、夜になったら、こんなことをしている時ではないと思うようになった。
そろそろ本格ミステリー終焉の危機かと感じていたら、宇山氏が突然逝ってしまった。ぼくなどがぼんやりしていたら、宇山氏の死は、本格ミステリー終焉を象徴していた、などといったストーリーが組まれかねない。ここは自分がしっかりしなくてはいけない時だと気づいた。
毎月刊行を宣言したから、現在はゲラのラッシュだ。文庫は文庫で、そうした計画とは別に刊行するから、そのゲラも併せて押し寄せている。「帝都衛星軌道」、「溺れる人魚」、「UFO大通り」、「光る鶴」、「犬坊里美の冒険」、「最後の一球」と毎月続く刊行に、講談社、光文社、原書房が、社の垣根を越えて、3社共同で折込みチラシを作ってくれた。このチラシは、講談社の「UFO大通り」から入る。こんな対処は前代未聞のことで、みなの危機感の現われともいえるが、各社のこうした判断も、宇山氏をまじえてのライヴァル編集者たちの会合が、それなりに楽しかったから発想できたことと思う。

宇山氏が逝った今、ぼくが思っているのは、あの高杉晋作の最後の言葉だ。最新の銃を購入して平民による奇兵隊を作り、幕府軍を打ち破って維新への道を開いた彼だが、病には勝てず、夭折した。その彼が、病床から仲間に向かってこう遺言した。「ここまでやった、後は頼むぞ」と。
今のぼくは、宇山氏に同じように言われている気分がする。自分はここまでやった、後は頼むと。新人を見つけ、育て、本格ミステリーの灯を絶やさないで欲しい。また島田さん自身もさぼらず、力作を書き続けて欲しいと。
宇山氏がよく言ってくれていたお世辞に、「島田さんは新本格の旗艦として、大いに健筆をふるって欲しい」というものがある。ミステリーランド創刊の時も、「島田さんは旗艦として、先頭の第一陣に」と言った。
たった今は、このお世辞を間に受け、やろうかと思っている。人にどう言われよううが気にせず、自身は状況を引っ張っていくような旺盛な創作活動をして、同時に有能な新人を見つけ、育て、盟友宇山氏と作った新本格の灯を絶やさないこと。そしてこれとともに、宇山氏が心血を注いで作った「ミステリーランド」にも、新作を書かねばと思っている。
これからしばらくは、宇山氏の弔い合戦となる。先年、鮎川さんが亡くなった時もそう思ったが、ここに来て、頑張らなくてはならない理由に、宇山氏のことも加わった。状況に必要な人材は、もうこれ以上亡くならないで欲しいと願う。
「足もとが揺らぐような心地がした」、「島田さんは新本格の旗艦だから……」、彼には数々よい言葉をもらった。これを胸にたたんで、明日からひとつ頑張ることにする。
 
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