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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第270回
島田荘司のデジカメ日記
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6−26(月)、弥生美術館を訪ねる
サイン会に来てくださった学芸員の掘江あき子さんのご招待で、本郷の弥生美術館を、原書房I毛編集者と訪ねる。
弥生美術館は、東大裏の、素晴らしく風情のある場所に建ち、つたの絡んだ壁面横の路地を入っていく玄関先もまた、実によい感じである。館の建つこの場所は、かつて竹久夢二がしばしば滞在した、本郷菊富士ホテルがあった場所で、彼の最愛ともいわれる女性、笠井彦乃と逢瀬を重ねた場所でもある。だからこの美術館は、高畠華宵の作品群を中心に展示するものだが、竹久夢二の美術館も併設されている。
夢二の記念館は全国各地にあって、伊香保のものであったか、温泉地でも入った記憶がある。岡山県下にも確かある。しかし都下にあり、まとまって夢二の絵画を堪能できる館は、ここだけである。
時間がなかったから周囲を散策まではしなかったが、そぞろ歩きをするには最適の場所である。坂を下って上野の方面に向かえば、不忍池や、岩崎弥太郎記念館などもある。西条八十が、かつて名作「歌を忘れたカナリヤは」という詩を着想したのも、このあたりだったはずだ。個人的に、都下で最も心惹かれる場所のひとつだ。
数軒おいたお隣には、立原道造記念館もある。ここは、ふくやま文学館の小川さんもよく訪れると以前に聞いた。なにやら信州の高原の空気と直結したふうの、都心とは思われぬ、緑の印象が濃い一帯だ。
訪問の目的のひとつは、11月に刊行予定の「最後の一球」という小説本の、表紙に使えそうな野球の絵画はないものか、探したいという思いがあったが、そういう目的のためには、この美術館はあまり合致してはいなかった。展示絵画の制作年代が古すぎたし、作家たちは、夢二を含めて女性を相手の世界の住人と見え、スポーツに熱中したふうのバンカラたちではない。
とはいえ、そういう目的を離れれば、展示内容は素晴らしいもので、しばし時を忘れた。この訪問の後に、カメラマンの田中希美男氏との歓談を入れていなければ、閉館までゆっくりしていたかった気分で、あっという間に時がすぎた。
弥生美術館は、併設の夢二美術館も、先の立原道造記念館もそうだそうだが、弁護士の鹿野琢見氏によって開設された。これは、鹿野氏が9歳の時に出会って心動かされたという、高畠華宵作の「さらば故郷」という雑誌挿絵が忘れられず、功なり名を遂げてから、ふとしたことで華宵氏が明石の愛老園にいることを知り、手紙を出して交際を持つようになった。鹿野氏は、自宅に「華宵の間」というものを作り、華宵をたびたび東京に呼んだ。かつて一世を風靡した華宵であったが、当時はもう忘れられた存在で、そうした現状にいささかの義憤を感じた鹿野氏が、華宵の没後、私財を投じてこの華宵作品館を開いた。
そういうことなので、この館の中心展示は高畠華宵である。そうしたいきさつを掘江さんから聞きながら華宵の作品群を鑑賞して廻っていると、画風にかすかな見覚えがある。どこで観たのであったかはもう思い出せないが、おそらくは少年雑誌の類だったのであろう。しかし、彼の経歴を見れば、ぼくなどが生まれた頃にはすでに最盛期をすぎている。ましてこちらの少年時代には、ほとんど引退したも同然のようであったらしいが、それでも何故なのか、絵に記憶がある。
華宵という人は、実にミステリアスな人物で、明治27年に愛媛県で生まれ、大正期に爆発的な人気を誇ったということだが、女性には興味が持てない人で、生涯独身であった。しかし書いている絵は、華やかに化粧をした女性の姿が大半で、「さらば故郷」でふるさとを後にしていく少年の容姿さえ、頬や唇にかすかに紅をさした、女性の姿に見える。ところが私生活においては、彼は夢二などとは違って、女性の影はいっさいなかった。
これらの美人画は、では時代や、出版社に強制されたものかと思えば、そういうことでもなくて、美しいものならば、女性も男性もなかったのだという。そして今、彼の美人画は、ウエストがあまり細くなく、あきらか顔立ちのよい男の女装姿だということがひそかに言われて、そのアブノーマルな気配が人気を呼んでいるという。言われてみれば、確かにそのような気配がある。かつてA井さんとよく新宿のニューハーフ・クラブに行ったが、あの世界に通じる怪しい気配がある。
訪ねたこの日は、松本かつぢ展というものも、別にやっていた。この人は、キャラクターグッズの元祖のような人で、戦後になると、プラスティックのカップや、赤ちゃん用のバスタブに、さかんに彼の絵が印刷されて売られた。
そうしたグッズを眺めていれば、印刷されたこうした絵には記憶がある。華宵氏のものよりも、こちらの方がより記憶がある。最初期の少女画の顔は、これは女性誌専用に描かれたものだそうだから、まったく見た記憶がない。この人は、一線にいた時期が長いせいもあり、絵がずいぶん変化した人で、戦後の、グッズ用キャラクターになった、イラストふうの絵の方にのみ記憶がある。
夢二の美術館も観た。これはもうよく知っている画風だから、なじみがある。つき合った女性の何人かの顔写真も公開されており、これに作家的興味は湧く。ただ、不思議なことだが、彼女たちは夢二が描く例の美人画には、あまり顔が似ていない。これがまた不可解な事実で、夢二はモデルがないと描けぬということを周囲に言い、それで女性を紹介されて恋仲になったりしているのだが、ぼくが知る限りは、それらどの女性も、あの夢二画ふうの顔はしていない。まあそう言われれば少し似ているかな、という程度。そうなら、どうしてモデルがいないと描けない、などと言ったのであろう。
夢二という人、女の体が目の前に欲しかったのかもしれない。和服が似合うふうの、柳腰の体が眼前にあれば、これは描く気になる。この感じは何となく解る。人体の塊り感は、どんなに痩せ、植物的な人のものであっても生々しく、必ずそれなりの迫力をかもす。この生々しさが、画家の背中を押す。どんなにイマジネーションの力がある人でも、本物にはかなわない。
しかし、顔は要らなかったのであろうか。すでに理想の顔が脳裏にあり、それを描けばこと足りた。そうなら、彼の女性遍歴というものは、いったい何であったのか、満足がないからつい遍歴し、その欠落、渇望のエネルギーゆえに絵筆も走った──、そういうことか。理解は及ぶが、ただ堀江さんは、私は夢二さんの女性遍歴を聞くと怒ってしまいます、などと言っていた。

それで美術館は辞し、タクシーを停めて銀座に出て、ライオン・ビヤホールでカメラマンの田中氏と会った。生ビールを一杯やろうと、メイルでは何度か言いかわしながら、これまで延び延びになっていたのだ。
田中氏は、店の前の舗道に立ち、われわれを待っていてくれていたのだが、獅子座らしく、相変わらず明るい。またこの人は、ぼくよりひとつ歳が上のはずなのだが、全然老けない。よいことである。あんまり爺さんになったような人間とは、酒を飲みたくない。
大ホールのテーブルにつき、「名車交遊録」のルボラン連載時代、終始世話をしてくれた衛藤編集者の消息は解ったかと問うと、いやぁ全然解らない、と言った。ただ当時の清水編集長が、自分が島田さんに会ったと言ったら、すごーくうらやましがって、会いたいなーと言っていた、などと言ってくれた。清水さんはとても人柄のよい人だったから、ぼくも会いたいと思っている。是非近く会おうという話にする。
ライオンは、戦前からあるビヤホールで、米軍占領時代は、2階は確か将校クラブになり、1階のここも米兵しか入れなかった。正面突き当りの壁、上部には、タイルで作ったミレーふうの壁画がある。これもこの創立者の心意気で、欧州に視察に行って戻り、一念発起してあのモザイクを職人に作らせた。当時は大いに話題になり、これほどに本格的なものは、日本全国、ここにしかなかった。しかし今観れば、それももう黒ずみ、古色蒼然たる気配になった。そんな薀蓄を語りながら生ビールのジョッキを重ねていたら、だんだんに気分がよくなって、また一緒に「続・名車交遊録」をやりたいな、という話になった。
もしもやるなら、今ならいわゆるエンスー好みのフェラーリだの、アストンマーティンだのばかりではなくて、いやむろんそれもあっていいが、慶応の清水教授の作ったEV8輪車だの、トヨタのハイブリッド・プリウスだののハイテク日本車、現在中国が作っているはずの怪しげなハイブリッド車だのも含んで、代替燃料も視野に入れた、未来車社会も論じるような本にしたい、と言ったら、いいなと彼も言ってくれた。
かつての彼は、そんなものは自動車とは思っていなかったが、彼も少しずつ変化しているらしい。中国産のハイブリッドなど、おそらくは北京オリンピックの閉会式まで動いていればめっけもの、というような代物であろうが、やはり興味が湧く。これで中国大陸をずっとヴェトナムまで南下、というような、大陸大縦断をやろう。ついでに麺紀行をやろう、などとぼくは言った。
ラーメンというものは、中国語では「拉麺」と書く。この「拉」という文字は、「引っ張る」の意で、練って打ち、引っ張って細くして麺状にする、そういう行為を表している。そして麺というものは、小麦粉から打つもの、蕎麦から打つもの、米から打つものと、まあ3種あって、砂漠では蕎麦しか育たないから、これは文字通りの蕎麦だが、南のヴェトナムでは、米から打つものが多くなって、白いこの麺がかの国の主食である。中国産のハイブリッドを駆ってこの3種の麺の梯子をやれば、これはなかなか面白い文化論になる、ラーメンが好きなので、前からやりたいと思っているんだと言ったら、最近何度も中国に行っている彼は、是非やろうと言った。
そして最近、ドイツに何度か行って、「ユーゲントシュテール」の写真をずいぶん撮り溜めている、これを写真集にする際には、是非文章を書いて欲しい、と彼は言った。もちろんやるよとぼくは言った。そして、ガウディもまたアールヌーヴォーの範疇か? というような話になったから、そう思うと、ぼくは自説をひとくさり述べた。というような話をしていたら、あっという間に夜も更けた。楽しい宵であった。
彼とコンビで、また「続・名車交遊録」がやれたらいいと思う。しかしぼくが思うような内容のものは、なかなか乗ってくれる雑誌もないだろうから、季刊ででもやれたらと思っている。
 
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