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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第269回
島田荘司のデジカメ日記
島田荘司のデジカメ日記
6−21(水)、トリック・トラップで、Yahooインタヴュー
吉祥寺のミステリー専門書店「Trick+Trap」で、Yahooのインタヴューを受ける。YahooのWebページに公開される作家インタヴューで、講談社の新刊、「帝都衛星軌道」についてのものだった。
てっきりYahooの社員スタッフが来るのかと思ったら、石井千湖さん、藤原理香さんという、若い女性の2人組みで、質問者はフリーのライターである藤原理香さんだった。会話を始めてみたら、通り一辺のものではなく、とても誠意的なもので、質問も深く、的確であり、こちらのこれまでの創作ポリシーまでも、よく知っていてくださっていた。加えて御手洗のものなど、知識も深く、愛情も感じられたから、これはこのインタヴューのために急いで何冊か読んだといったレヴェルではなく、あきらかに自分の意志で、以前から読んでくださっていたことが解った。
決してこちらからそう尋ねたわけではないのだが、そんな話になり、「実は島田さんの作、ずっと読んでいたんです」、とやはり言ってくださり、大変嬉しかった。だから会話は、熱心な読者さんとのもののような親密なものになって、思わずこちらも、「ではもうじき出る次の『溺れる人魚』もお送りしますよ」と言った。
非常にチャーミングな風貌の女性で、華奢な体つきをしているのたが、なんとカンフーの達人で、8月には、中国の北京と杭州で行われる国際伝統武術大会に出場するのだという。出場は去年についで2度目で、今年は種目を増やし、剣と、査拳と、太極拳で出場するのだという。出場選手は中国やアジアからだけではなく、アメリカやヨーロッパからもたくさん参加するというから、本格的な武術家らしく、これにはずいぶんびっくりした。

理香さんは、賛否両論の「帝都衛星軌道」を前後2つに割ったことについても大変褒めてくださって、あの構成にうならされたと言った。むろんインタヴューしているのだから、こちらの気分がよいことを言ってくれ、話を引き出すのが技術というものだが、それでも本当によいと感じたか否かは伝わる。それでこちらも、あの構成は2作並んだゲラを見た時、ふと思いついたのだという説明をした。
雑誌メフィストに掲載していた時は、前後編に分けてはいなかった。しかしこの物語は、6章と7章の間で6年の歳月が経過するので、前後に分けて、間に「ジャングルの虫たち」をはさむことで、読者に作中の経過時間を体感してもらえるのではないかということを、ふいに思いついた。この2編は、帝都東京が封印している秘密に、偶然にも触れた、それとも触れたと見える人物がいる点で、通底した物語である。こうすることによって、秘密に触れたと見える体験もまた接近するだろう。そうした計算が、脳裏に訪れた。
「スターウォーズ」という、あきらかにSF未来ものと見える映画の、「ずっとずっと大昔のこと……」という有名な冒頭の文句は、公開の直前にルーカス氏だかが思いついたものだと聞いた。ささやかながら「帝都」も、もう初校ゲラの朱入れの段階になって、急に思いついた。そこでS村氏にこれを提案したら、「うーん」と唸って考え込んでしまい、1週間ばかりなしのつぶてて、全然返答が戻らなかったから、「そんなに抵抗感が来るなら、これは辞めましょう」とこちらは言ったのだが、「じゃちょっと試しに、再校ゲラはそれで組んでみましょうか」、という話になり、やってみたら悪くなかったので、それで行くことになった。そのくらい、あれは現場には抵抗感のある冒険だった。
しかしS村氏も、若いだけに決して保守一方の人ではなくて、表紙のカヴァーなど、はずして広げたら縦長のポスターになるとか、さらにこれの表4からバーコードをはずし、帯を幅広にして、こちらに入れるなど、これもきわめて冒険的、型破りな仕事も提案してくれた。おかげで「帝都衛星軌道」は、相当破壊的、改革的な提案の刊行物となった。
理香さんの発言には、こちらが逆に教えられた指摘もあった。このようなことを書けば、読者はたぶん驚かれるであろうが、「帝都衛星軌道」は、ぼくとしては当初、単行本化するつもりはなかった。これは以前から何度か述べてきているが、「帝都」は、「樹海都市」というアンソロジーを作るため、ある設計図にしたがい、20年近くをかけてこつこつ書いてきている短編群のひとつで、もうこの大作アンソロジーの刊行が近いと思っていたから、A5版予定のこの本にのみ、収録しようかと考えていた。そうしたらS村氏いわく、もうすぐ講談社百周年なので、「樹海都市」は、そのおりの記念出版物として上梓してはどうか。そうならいくぶんお金もかけられるから、豪華装丁箱入本にもできる。とするなら、百周年までやや時間が空くから、この作は、2006年に出版してしまってもいいのではないか、と言ってくれた。
そういう経過だったので、こちらとしては「帝都衛星軌道」は、とても2006年の代表作、というほどのレヴェルではないと考えていた。近作で言うと、「摩天楼の怪人」とか、「ネジ式ザゼツキー」、「魔人の遊戯」のような力作の格ではないとみなしていた。しかし藤原さんによれば、これは充分に今年の代表作格の作品だという。彼女の理解によれば、確かに御手洗さんは出ないけれども、身代金15万円の誘拐ものといのは、充分に前代未聞の驚きを持っている。それに、一見ごく日常的なきっかけから始まっていくが、物語は徐々に膨らみ、巨大な背後のメカニズムを見せはじめて、ついには、時間的にも空間的にも雄大なスケールのミステリーとしてその円(物語)を閉じる、完璧に美しい数式を見たようだったと言ってくれた。
もう一度言うが、これはむろんインタヴューのテクニックではあるのだけれども、ここまで完成した言説は、お世辞ではなかなか出てこない。聞いていて、なるほどなと思い直した。、そうか数式か──、と思った。そういう考え方はこちらにはなかったが、言われてみれば、中編の「帝都」を前後ふたつに分け、「ジャングルの虫たち」を間にはさみ込む立体構成も、後編の「帝都」で同じシーンをもう1度繰り返し、裏面を露出するという構造も、幾何学的な様子はある。確かにあれは二つ折りの図面の展開図のようで、こちらの予想以上に、整頓された印象の進行が現れているのかもしれない、と考えはじめた。しかしとはいえ、そうだとしてもこれは、どこまで自分が計算できたことかはよく解らない。かなり偶然が為した手柄ではある。だがいずれにしてもそう指摘され、気分は大変よかった。もしもそれが事実ならだが、この作はずいぶんとまた、偶然に背中を押されたものと思う。
勝ち組負け組という話にもなった。最近、作家デヴューより遥かに昔、一緒にギターを弾いて騒いでいた友人からいきなりメイルをもらった。イタリアのミラノで、ファッション・デザイナーとして成功しているという。久しぶりに会おうかという話になった。聞けば彼なども一緒に、よく集まって騒いでいた仲間たちの一部は今やそうそうたるものらしく、演劇をやっていたある人物は、ソルボンヌ大の哲学科の教授になり、よくギターを弾いて歌を作っていた彼は、世界的な玩具メーカーS社のナンバー2だという。しかし、連絡が取れるのはこういう人物ばかりで、ぼくが当時、話もジョークも面白く、こいつは才能があると思っていた人物は行方が知れなくなってしまった。この歳になってくると、いわゆる世間で言うところの勝ち組、負け組という印象が露骨になってくる。
ある程度やむを得ないところではあるが、ぼく個人は無名の人であり続ける友人に再会しても、何ごとか傲慢を感じさせない自信はある。女性たちがよく言うところの「でもいいじゃない」の、「でも」をつい言ってしまうような迂闊はしない。こんなことを言うと、島田は自分を勝ち組みだと思っているからそんなことを言うのだ、と常に言われるのだが、そんなことはまるでない。(と書けば、では負け組みだとさっそくやるだろうが)そもそも自分がどっちなのかと思ってみたら、負け組だとは思わないが、勝ち組だとはさらさら思えない。勝ち組というのは、乱歩賞を獲って、推理作家協会賞を獲って、直木賞を獲って、大金持ちになって、協会の理事長をやっているような人のことで、どっちつかずのぼくなど見ても解るように、そもそもこういう分類が無理なことだし、くだらない。喋り手の思惑によって、どちらにでも言いくるめられる。この手の三文ストーリーなど、いかようにでも組めるのである。
このインタヴューで、アメリカでホームレスと暮らしたことがあると応えたから、これがまた物議をかもしそうなので、以下に少々説明すると、こちらが公園に出かけていき、一緒にベンチで寝起きしたというわけではない。友人づてで転がり込んできた男2人を泊めてやっていたら、以前に何ヶ月か公園で寝起きをしていた、と彼らが言っただけのことである。彼らの1人は礼儀正しく、もう1人はしょうがないといえばしょうがない人物であったが、それでも彼は自分も他人も楽しませようと、日々を陽気に演出して送っており、こうした点には大いに学ばされ、日本人について考えた。
また彼は長く糖尿病を患っていて、視力に障害が出るまでになっていた。メカトロニックという、インスリン自動チャージの機械を付けたいという希望を持っていて、一緒にこの機械の教育ヴィデオを観たり、製造工場について情報を聞いたり、ホームレス用の無料診療所について教えてもらったりした。これらはすべて、のちに創作の役に立った。もう1人の彼は、かつて妻子があったのだが、棄てられており、2人とも日本ふうに言えば典型的な負け組たちだった。が、彼らに悪い印象はない。ぼくは非常にラッキーなことに、ホームレスとつき合っても、死刑囚とつき合っても、苦労はさせられても、もうこりごりだと思わされたことはない。お偉方の成功者とのつき合いの方が退屈だし、続かない。こっちが傲慢になったり、上からものを言ったりしなければ、彼らも変なことはしない。どの経験もそれなりに楽しく、勉強になった。
こんなことを書いていけばきりがないが、秋好英明氏と出遭わなければ、ぼくは作家として、まことにたいしたことはなかったであろう──。と書けば早速、では今はたいしたものだと思っているのかとか、おまえなど全然たいしたことはないんだ、と来るであろうし、冤罪救済など、現実問題に踏み出さない本格系の作家は駄目だと言いたいのか、などという政治扇動の手もある。しかしこの手の日本人のセコさ、勤勉さが負け組みの恥発想を巧みに導き出し、強い道徳意識が自殺社会を作り出す。今日の日本には、そうした致命的な絶望感がある。こうしたものには出口がないので、勤勉に追及しても自己破壊に向かうだけだ。ゆえに即刻忘れるのがよい。「陽気なヤツでも聴こうよ」という、あのいい加減さが今の日本人を救う。アメリカにいると、こういうことを日々実感する。
 
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