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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第268回
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6−14(水)、文楽の人形世界
津駒太夫氏に、大阪国立文楽劇場の楽屋を案内してもらうことになり、3人揃って応接間を出ると、手近の上がりぶちに靴を脱いで、廊下にあがった。
津駒太夫氏の先導で廊下を行けば、控室はすべて畳敷きで、ここに三々五々控える人たちはすべて和服姿か黒子衣装、江戸時代の小屋にタイムスリップしたようである。しかしこの劇場建物自体は、鉄筋造りの立派なもので、スリッパを履いて廊下を行けば、ひたひたと固そうな、安定した音がして、ホテルか病院の廊下のようだ。
廊下の中途に、大勢の人形たちがかたまって休まされている一角があり、このコーナーが見事で、思わず立ち停まってしまった。華麗な衣装をまとい、顔々は美しく仕上がっている。表情は静かで端正だが、適度にデフォルメ、それとも戯画化された雰囲気があって、この効果で、顔つきはきわめて独自的である。
戯画化というのは、たとえば文楽は江戸の芸能のはずだが、江戸期の日本人という割りには、人形たち目は一様に大きい。これは弥生系のルーツと言われる、北方ブリヤート系の顔だちではない。肌は抜けるように白いが、見つめれば南方系の表情にも見える。つまりは縄文系だ。
切れ長の目を持つ人物など1人もいず、こういう目鼻を持つ日本人は、今日の日本にもあまりいない。欧米人の考える東洋系とはだいぶ距離があり、江戸期にもいたとは思われない。しかし客席から遠望する人形芝居には、この大きな目は是非とも必要で、またこの異貌が、一方ではきわめて日本人の佇まいを感じさせるのは不思議だ。そういう意味での戯画化、いわば漫画化の感覚に近い。
韓国、中国、あるいは南方アジアなど、近隣諸国の芸能世界に分け入れば、あるいはこれに似た風貌の人形たちも存在するのかもしれないが、残念ながらそういうものはよく知らないし、一方で欧米の人形を観る機会はけっこうあるから、それらとの比較から実に東洋的に思え、それが今はもう失われたふうの独自的な美学、古の戯画感覚によって完成されているふうが、この上なく興味深い。
美しく、しかもユーモラスで、だがまとう衣装は華麗であり、この真剣な冗談感覚は、大いに心惹かれる。蔦谷重三郎のジョーク感覚にも見るように、それが江戸人の粋、それとも「茶」感性なのであろう。そうした人形たちが、表情を凍り付かせたまま廊下の一隅に、記念撮影でも待つようにして集合しているのは、なかなか異様な迫力である。各人がてんでにもの思いに沈むふうに見えるのは、彼らが動き、演技している姿を、こちらがすでに見知っているからだ。津駒太夫氏が、写真、どうぞご自由にと言ってくれるので、せいぜい撮らせてもらった。

それから廊下沿いの畳のひと部屋に、スリッパを脱いであがり込み、テレビなどでお顔に見覚えのある人形師、吉田和生さんに人形を操る際の伝統的な技能について、ひと通り講義をしてもらった。
文楽の人形は、中身がない筒状の衣装の上に顔を出しているだけで、着物の中では人形頭部の下に付いた棒を、人形師が握っている。吉田氏が頭部下の、むき出しの棒をぐいと持って立つ姿は、なにやら串刺しの団子でも持っているような風情であるが、この棒状のグリップには、水鉄砲の引き金のような突起が、あちこちに飛び出している。
人形の顔は、貝を砕いた粉で作った顔料で、白く塗られている。男の人形も、女の人形もそうだが、実際に手に取らせてもらえば、男の頭部と女の頭部とでは、まったく造りが違う。まず男の顔の方が大きく、多く歌舞伎ふうの隈取りメイクが描かれるが、女の顔は小さく、ただ白いだけだ。そして男の顔のみ、目玉がくりくりと左右に動く。さらには、太いまゆ毛があがったりさがったりする。歌舞伎の見栄きりふうの演技のためであろう。
男顔の目や眉の動きは、グリップに付いている引き金を指で引き、また離したりして行う。この引き金から、寄り合わせた頑丈な絹糸が出ており、これが中空のグリップの中を通って顔の眉や目につながっていて、動かす仕掛けになっている。頭を前方に垂れたり、ぐいと持ち上げたりの引き金も、ブリップに付いている。力をゆるめたら元に戻る復元力もつけてあるが、これは今でも鯨のヒゲの弾力を使っているそうだ。鯨のヒゲは、金属部品がほとんどなかった江戸時代のからくり仕掛けにおける、ゼンマイ代わりだった。
人形師は、これも筒状になった衣装の中に腕を通し、引き金が随所に付いたこのグリップを中で握って、人形に演技をさせる。この操作は非常に複雑で、これらを自在に使いこなし、人形に芝居をさせるには、熟達までの長い期間が要る。
一方女の人形には目と眉の動きはない。少し小ぶりに造られており、目玉はただ顔に描かれているばかりで、まったく動かない。頭の日本髪の、そのさらに上には、沢山のかんざしがきらびやかに載っている。そうなら、女の人形の方が扱いがやさしいのかと思うと、これがまったくそうではない。むしろ女の動きの方にこそ約束ごとが多く、色気を感じさせる演技はむずかしい。
女の唇は、ごくわずかに開いていて、小さな歯が少しだけ覗く。よく見たら、下唇に、なんと針が飛び出ていたからぎょっとした。女の頭部は、不用意に掴んだら指に怪我をしそうで、これは男の顔にはない危険だ。内に秘めた女性の凶暴さを表現しているのかと思ったら、そうではなくて、よよと泣きくずれる演技の際に、この針が必要になるのだと言う。
女の頭部は、何故なのか下方に肩パットが付いており、串団子状態ではないのだが、両手は頭部とは別になっている。そしてこの手は単純な動きしかできず、着物の袖を、実際にむんずと掴むなどは、ちょっとむずかしい。だからこれは、そう見せるのが人形師の腕だが、さらにむずかしいのは、泣く演技の際、この袖の先を「噛む」仕草である。口が開かないのだから、実際に歯で噛ませることなどはできない。ではどうするかというと、下唇に突き出たこの針に、素早く袖の先を「引っ掛ける」のである。すると客席からは、人形が袖の先を噛んだように見えるのだ。なるほど、よく考えられているものと思った。
そして噛み離す時は、普通にやれば袖を持ちあげて針からはずしているのがばれるから、泣いてうつむいた際に、素早くこれをやる。すると、噛んでいた口が、袖口を離したように見えるのだ。
またこの袖口は、絶対に手首まで丸見えにしてはいけない。それでは女でなくなるからで、指は終始、付け根から先の部分のみが袖から覗くように振る舞う。これが上手なのだという。
人形の動きは細部までよく考えられており、その演技は体系づけられ、整理されて、生きた本物の女性たちも、日常の立ち居振る舞いに、大いに参考とできる部分があるように感じた。

とはいえ、人形使いで最も大変なことは、そうした繊細な演技のノウハウ取得ではなく、案外単純な力仕事の部分ではあるまいか。人形浄瑠璃は、地平線が人形師の膝のあたりに来る。だから着物の中に腕を通し、頭部グリップを持った人形師が、その手をやや降ろして楽な姿勢をとったなら、それは人形がすわった姿勢になってしまう。立った演技というなら、それは人形師が両腕を真っすぐ、めいっぱい上方に伸ばした状態でいることを示す。
実際にこれをやらせてもらったら、一分もそうしていたら腕がだるくなって、降ろしたくてたまらなくなった。人形が格別重いわけでもないのに、腕を伸ばし続けた姿勢を長時間保つのは辛い。これは大変な腕力が必要な世界と知った。見た目の優雅さと裏腹に、裏方の肉体苦は並大抵でなく、これはもう、力自慢の男の世界である。
しかも人形は、一体を3人がかりで扱うから、下半身、つまり足を担当する者は終始中腰でいなくてはならず、これでみな、たいてい腰をやられるという。大変な世界で、もはや耐久スポーツ的世界ですらある。人形浄瑠璃の世界に、女性が一人も見あたらないのはそうしたゆえかと知った。
能の世界に白州正子という高名な女性がいた。彼女にしかできない姿があり、能を演じてただ一人名を成した女性だが、その彼女をして、この世界「女は駄目だ」とついに言った。男ならできるのだと言う。荒々しく足を踏みならす男の役なら、自分も演技は可能だった。だが、女ができないのだと言う。重い衣装を着て、ゆるゆると女らしく優雅に動くのは、強い足腰の男でなくて無理だったという。この逆説に強い感銘を受けたから、今に憶えている。そういう彼女の言を、その時に思い出した。

この言は、その後別室に移って三味線の奏者に会い、目の前で三味線を奏でてもらった時にこそ感じた。文楽義太夫の三味線は、芸者さんがお座敷で爪弾くような上品、優雅なものとはまるで違って、完全に打楽器だった。この奏者は若く、格別に体の大きな男であったが、そのせいではあるまい。目の前にすれば、弦が弾け飛ぶような、ほとんど暴力的なまでのバチさばきである。
バチを見せてもらえば、これがまた薄いヘラ状のものではなく、やや薄くなっているはずの先端部分でさえ、厚さが一センチ以上あり、象牙製のごつい、分厚い「物体」であった。これを振るって、叩くように三弦を打ち鳴らす。まことに男性的な荒業で、これはとても女の世界ではないかもしれない。文楽の三味線は、狭いお座敷ではなく、広い劇場いっぱいに響き渡らなくてはならないから、こうした激しい奏法も必要なのであろう。しかしそんな彼も、この道50年というような老人がポンと鳴らす、枯れた弦の響きにとてもかなわないと言う。
こうしたことは、人形師の場合にも感じた。隅に置かれている時、人形はただの物体だが、人形師が衣装に腕を通し、中で頭部のグリップを握れば、人形がゆるゆると空中をうごめくだけで、もう表情が現れ、魂が降りてきた感じがして、はっとさせられる。これは別にこちらがそう思って見るせいではない。ぼくの場合、そんなストーリーなどまったく作ることなくぼんやり眺めていて、人形の顔のぴくぴくした動きから、そういう様子に気づかされた。
長年の熟練とは、おそらくそういうものなのであろう。絶えざる強い思い入れが、無機質の物体に魂を入れる。どんなジャンルもそうなのであろうが、ものが人形なら、これはもう一目瞭然だ。

津駒太夫氏の案内で、上演中の舞台袖に入れてもらい、芝居を真横から見学させてもらった。ごく狭い家のセットの中で、黒い衣装の男たちが大勢身を寄せ合い、たった二体の人形の背後に取りついて、演技をさせている。彼らの前には低い衝立があって、その上端が地平線だ。これはそういう約束ごとになっているのだ。
ライトを浴び、人形は立ったりすわったりするが、演技者たちは終始立ったままだ。足担当のものは、終始中腰だ。俗に足で10年、左手で10年という、などとこの時津駒太夫氏が言ったのだったが、その正確な内訳、数字などはちょっと忘れてしまった。ともかく大変な熟練世界、職人技中の職人技世界だ。

この時、文楽という芸術のことが少し解った気がした。これは、異様なまでに生真面目な世界である。男の役者人形が見栄をきる時、目や眉毛が上下する必要があるとなれば、この仕掛けを人形に付け加え、動く時やすわる時、着物の下で突き出る膝が必要だとなれば、もう一人、こぶしで膝を作るそれ専用の担当者を増やし、女の役者人形が袖口を噛む必要があるとなれば、知恵を絞って下唇に針を取りつける、そんなふうにしてこの文楽世界は、少しずつ発展し、完成してきたのであろう。
大変な努力だが、どこか垢抜けない気配もある。ひとつの小さな人形を、大の男が3人がかりで操作する芸など、なかなか海外にはあるまい。背後の人間が目立ちすぎるとなれば、今度はみなが黒い衣装を着る。足担当は10年屈み込んだまま、観客の誰にも顔を見せることなく、人知れず腰を痛める。
おそらく欧米ではこういう判断にはならない。人権意識ということでもあるまいが、足用にもう一人という発想にはおそらくならず、動きの簡素化がもっと工夫されたり、人間に依存するのでなく、メカニズムの方に知恵が絞られるであろう。それが西洋流の合理主義だ。
しかし文楽は、愚鈍なまでに欠点をつぶしながら、寄ってたかって人力で、人形の動きを人間のものに近づけていった。だからこそ文楽義太夫は、どこの国にもない、他の追随を許さぬ独自の完成を見た。
廊下を戻りながら、文楽は今も発展を続けているのかと津駒太夫氏に尋ねてみた。人形操りの技術は現在も磨かれつつあり、人形自体も日々機能が改良され、今日でもなんらかの新しいメカニズムが付け加えられつつあったりするのか、そういったことに興味があった。
津駒太夫氏によれば、明治期までは、あきらかにこの江戸の芸能は磨かれ、上達、上昇していたという。しかし明治以降は、もうなんらつけ加えられたものはないと言ってよい。先人の完成した芸を、ただ踏襲しているだけだという。文楽は、先人の努力でもう大変な高みに完成してしまったから、これに追い着き、細部までを完璧に模倣しながら維持するのは、もうそれ自体が必死の困難事なのであろう。
しかし芸はそうでも、主役の人形たちはというと、もう江戸期に造られたものは一体も使っていない。すべて戦後に造られたものばかりである。確かにあれほど精密に造られている頭部とその操作棒だから、古くなれば故障も出るであろうし、糸も切れる危険があろう。もしも演技中にそんなことにでもなったら、人形師たちの絶望的な悪戦苦闘が目に浮かぶ。
大垣教授は、藤田君は先天的に声がよい、だから頑張って人間国宝になれと言っているんだ、と言った。

ではそうなったらぼくが伝記を書こう、とぼくは言った。

ロビーに出て、3人並んでソファにすわり、ぼくが女の人形を持たされて、文春本誌のグラビア、「同級生交歓」のための写真撮影をした。こうした国家文化財的な小道具があれば、グラビアにはおそらくよいであろう。
撮影がすんで、藤田氏とはそのロビーで別れ、大垣氏とは、劇場の外の歩道で別れた。そういう一日であったが、伝統芸能の舞台裏や袖を隈なく見せてもらい、大変に貴重な体験をさせてもらった。しばらく忘れていた江戸が、再びぼくを手招きしはじめたような気分がした。
 
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