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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第267回
島田荘司のデジカメ日記
島田荘司のデジカメ日記
6−14(水)、国立文楽劇場で、大垣教授と歓談、2
かなり以前になるが、阪大のミステリー研の学生が、面白いから先生読めと言って、「占星術殺人事件」というミステリーを大垣教授のところに持ってきた。著者の島田何がしという名前に、よもやと思いもしたが、島田という名の作家は多いので、誠之館同学年7組の、あの島田だとはまさか思わなかったと言う。ではいつ気づいたのかは聞き漏らしたが、象牙の塔にこもっている人物のことであるから、ずいぶん最近なのであろうと思う。
それからまたしても高校時代の思い出話になったのだが、教授はさすがにデータ収集の専門家らしくて、高校時代のこちらの様子や、卒業後の動きなどもよく掴んでいて、なにやら見張られていたようで気味が悪かった。卒業後、どの誠之館同窓生と同窓生とが親しいつき合いがあったとか、それはぼくの場合は秋田という人物なのだが、この人にぼくが、いたずらで描いたストーリー漫画を見せたことまで知っていた。そして教授によれば、ぼくの7組はいいが、藤田君は3年時3組ではなく、2組で、担任教師も小野さんではないという。藤田君の記憶も違った。
教授は、「俺が一番まともな生き方をしたてきたよな」と言ったが、藤田氏もぼくもその正反対、アウトローもいいところで、そうした人間の場合は、高校在学時代の記憶などすっかり消えるものらしい。先年、講演のために郷里に戻ったが、「囲む会」とやらに無理に出席させられ、集まってくれた同窓生を見たら、こちらが顔を憶えている人の数は片手で数えられるほどしかおらず、見たこともないような人間に目の前に立たれるたび、名前が全然口から出ず、きわめてばつの悪い思いをした。まるで難問奇門が連続するクイズのごときもので、それはむろんみなの風貌が変わっていたということもあるのだが、早い話、こちらがよほど自分の高校時代に興味がなかったということでもある。そう思い知って、われながら唖然とした。
今の誠之館の卒業生はどうかと津駒太夫氏が尋ねていたが、今はあんまり来ないんだよな、と教授は言っていた。学区制になったとかで、いわゆる進学率、生徒の受験能力ははずいぶん落ちているらしい。大垣教授の頃は、ということはぼくも含めた学年だが、10人以上も阪大に入ったというから、ずいぶん学力は高かったらしい。妹夫婦の息子は全校1、2の成績だったらしいが、それでも慶応だったのだから、当時とは隔世の観があるのだろう。ぼくなどはあまりぴんと来ないのだが、先輩たちは、幕末の名君阿部正弘公が、開国後に予想される難関を乗り切らんと、東大とともに開校した高校なのだから、それにしては現状はあまりにふがいない、と憤慨していると聞く。それもおそらく、こうしたあたりなのであろう。誠之館は、藩校としては名門だから、先輩たちのこうした誇り意識は強い。
校内マラソンの話になり、当時ぼくは勉強などまるで眼中になく、スポーツに命をかけていたから、この時も絶対に10位以内に入ってやると固く決意したものだった。そのためには、スタート直後、ペース配分もくそもなく、後先考えずに全力疾走で頭まで飛び出す必要があった。そうしないと、なにしろベビーブーマー400人の巨大団子の中、後でじわじわ抜いていくなどというような、格好のいいことができるものではない。とにかく何がなんでも先頭グループに入って、後はひたすら逃げるのみである。走りながら体が回復しなければ、それはもう、ぶっ倒れるまでのことであった。
というわけで、先頭集団に入ったら、後は息も絶え絶えで12kmほどを逃げまくってのゴール時、前にほとんど人間がいなかったから、やったぞ見事10位に入った、と思ったら、なんのことはなく12位かそこらで、その晩は悔しくて眠れなかった。
ところがこの時、藤田氏は2位だったという。それを聞いてようやくこの時、藤田氏のことを明瞭に思い出した。小柄だが、えらくマラソンの早い男がいて、悔しく思っていた。それが彼であった。彼氏は剣道部だったのだが、ゴール後もちょっと休んだだけで道場に行き、仲間と稽古をしたという。
長距離というものは、本当に向いているやつは向いていて、心臓の強さと運動能力、体の大きさ等のバランスが完全なのであろう。加えてこういう人は疲労回復の能力が高い。これは大変重要なことで、走りながら疲労を消す能力がなくては、スタート後のダッシュで燃え尽き、後はもう走れなくなる。ディープインパクトという名馬が世の中にいるが、この馬が速いのはその驚異的な疲労回復力のゆえで、走りながら他の馬の3分の1程度の時間で回復するのだと聞いたことがある。
とそんな話をしていたら、大垣教授が、お二人は上の方を走っていたらしいが、自分は心臓が弱いんだと中学時代医者に言われ、自分でもそう思っていて、だからてっきりマラソン大会などは休んでいいものと思っていた。そうしたら、おまえは心臓なんぞ悪くないと校医に決めつけられ、強制的に走らされた。だから自分は一番どんじりの集団にいて、みなでわっしょいわっしょいと言いながら走った。こういう楽しさは、君らは解らんだろうなと言った。体が弱いと思っていたものだから、完走できた時の喜びは格別のものだったそうだ。まあそういう感じも、それは解る。
ぼくの高校時代は、教師にどう説得されようとも勉強が格好いいことに思えず、スポーツをやり、音楽をやり、絵を描いていた。だから当然日々は猛烈な多忙ぶりで、勉強している時間などあろうはずもない。ところが大学を出て、もう勉強しなくてもいいとなったら、がぜん、猛然と勉強する気になった。
考えてみれば、ぼくもまた、津駒太夫氏と大差がないくらいのひねくれ者で、「まともな生き方してきた」大垣教授と3人で並べば、よくもまあこうも両極端の人間たちが、本日は集まったものと思う。
先述の福山での囲む会に来てくれた女子生徒に、「島田君、体育大に行くのかと思った」と言われてかなり驚いたが、まあ確かに、周囲からはそのように見えていたであろう。
と、そんな話をだらだらしていたら、ではそろそろ文楽世界の内部をお見せしよう、という津駒太夫氏の発言になった。(続く)
 
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