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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第263回
島田荘司のデジカメ日記
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6−9(木)、八重洲ブックセンター・サイン会
東京駅、八重洲口前の一軒のビルのほぼすべてが書店になっているという、そうした画期的な大型書店ができた時のことは、まだなんとなく憶えている。大学を出たばかりの頃だったか、仲間うちでかなりの話題になって、噂を聞き、中央線に乗ってやってきた。何階であったか忘れたが、美術の専門書、建築の専門書も大いに揃っていて、大変感心した記憶がある。
それから作家になり、割合世界を歩くようになったが、こんな書店は、アメリカでもヨーロッパでも、まず目にした記憶がない。ニューヨークあたりにはありそうだが、これも書物の虫、インテリ志向の日本人の、好ましい部分ゆえであろうと思う。当時は威風堂々、活字の王城に見えたものだが、ゲーム・ソフトやヴィデオ全盛の今日では、精一杯活字を死守する最後の砦のようにも見えてくる。
八重洲ブックセンターでのサイン会は、これは書店側から申し込んできてくださったのだそうである。申し込みは、以前から何度かあったのだという。知らなかった。聞けば、この大書店の経営者は、代々わが母校、福山誠之館の卒業生なのだそうである。これがまたまったく思わぬことで、今回の話を聞くまで、全然知らなかった。以前から注目していた書店なのだから、大変嬉しくもあったのだが、本日のサイン会はビジネス街で、しかも平日、勤め帰りの人たちをあてにしての夕刻7時からのスタートとなる。はたしてどのくらいの人が来てくださるものか、少々不安だった。
八重洲口そばのスクランブル交差点で信号を待っていたら、島田先生、と声をかけてくれた人がいる。見れば05年鮎川賞候補者の、鈴木一夫さんだった。候補作「菜摘ます子」を、アドヴァイスにしたがって全面改稿したので、是非また読んでくださいと言われる。それで、横にいた講談社のS村氏を紹介する。しかし講談社とは、以前よりすでにつき合いができているのだという。鈴木氏、若い印象なのだが、某企業の重役などだそうだ。
鈴木氏などとともに交差点を横切り、八重洲ブックセンターに向かっていると、正面入口のステンレスの円柱に、「島田荘司先生サイン会」と麗々しく書付が貼られているのが見えてきて、恐縮する。店頭で書店のスタッフと挨拶をかわし、導かれてエレヴェーターで控え室に向かう。部課長以下、大勢のスタッフが出迎えてくださり、大変ありがたい、気持ちのよい歓迎ぶりであった。
お茶を飲んでいっとき休憩し、さてと会場のコーナーに行ってみたら、大勢が並んでいてくださり、内心ほっとする。やはりスーツ姿の男性が多く、わが国の中心ビジネス街らしい気配がただよっている。これまでではじめて、女性の姿が少ないサイン会だった。みなさん感じがよい方たちで、この日も全然疲れることはなかった。ぼくはまことに幸運なことに、サイン会に出席して疲れたという記憶がない。だからサイン会を乞われても、嫌だなと感じることはない。本に自分と相手の名を書く程度の作業で、もしも疲れるということがあったなら、それはたぶん、精神的に何ごとかの圧迫、あるいは不快を感じるからなのであろう。横でアシストしてくださった女性店員の方も感じがよく、この日もストレスなどは微塵もなくて、読者の方との対話も楽しかった。
この日は、かつての盟友、宇山日出臣さんも何故だか並んでくださっていた。文春の菊池夏樹氏もきてくれていて、嬉しかった。東京駅前というのは、各出版社から近いからであろう。ちょっと顔を出すのもそんなに手間ではなかろう。それから、並んでくださった方たちの中に、弥生美術館の学芸員と、東京ドームの関連事業部の方がいて、お2人から、是非近いうちにうちの館にもいらしてください、お観せしたいものがあるのでと言われて、個人的にありがたく思った。
というのも今年の11月、原書房から「最後の一球」という野球の小説を出したいと考えていて、この本の表紙に使えそうな野球の絵を探していたからだ。これまでのぼくの本の装丁は、時代に先駆けるような渾身の先進アイデア、といったデザイナーのモダンな挑戦が多かったように思うから、この本に限っては、敢えて時代に逆行し、古ぼけたふうのものにしたいという考えがあったためである。弥生美術館は、古い絵画や、挿画の展示を専門にしていて、竹久夢二の美術館も併設されているという。そういうことなら、I毛編集者と一緒に、近く一度うかがいますという話にした。東京ドームの博物館は、これはこの目的のためには直接的な場所であるから、実際に近く行く予定にしていた。あんまりタイムリーなのでびっくりする。こちらも是非、近くお会いしましょうという話にする。
控え室に引き揚げたら、綾辻氏が遊びにきてくれていた。八重洲ブックセンターの社長も姿を見せてくださったから、スタッフのみなさんに、彼を紹介する。文春の文庫編集部長のM上氏も姿を見せてくださって、みなでしばし歓談する。
社長はやはり福山市の出身で、たまに帰郷もされるそうである。八重洲ブックセンター開店当時のエピソードを社長からうかがう。これほどの大型書店が、それも東京駅前にできるということは、当時の同業者にとっては大きな脅威であったらしく、先頭に筵旗(むしろばた)を押し立てての開店反対のデモをされた、あれにはまいった、という話をされた。「筵旗」という言葉は、今日でもたまに聞くが、これは江戸時代からのわが農村の伝統で、農民が、飢饉など生死の危機に瀕したような際、年貢の猶予など、お上への再考の訴えを、このようにして行った。そういう歴史があるから、維新以降も、これは自身の生死がかかった深刻な訴えなのだというアピールをしたい場合、筵を旗にして先頭に立てる、そういうアピールの方法がある。
しかし八重洲ブックセンターは、以降同業者たちとうまく折り合いながら、平和裏に今日まで発展をとげてきた。苦労が多かったとは思うが、わが出版文化をにない、今世紀もさらにさらに発展を続けていってもらいたいものと願っている。そのために協力できることがあるなら、何でも行うつもりだ。

歓談中に、綾辻氏に向かって、孤島か館ものの共作をやろうと冗談を言ってみた。これは以前から彼に言っていることだが、綾辻氏が切り拓いたゲーム志向、コード型の館本格という形式は、いうなればヴァン・ダインの流れの内にある。ヴァン・ダインこそがポー、ドイル、クリスティと継承発展を遂げてきた純本格ミステリーの、最も格好よく、しかも面白いかたちを具体的に提案した人物といえる。グリーン家や僧正は、こうした彼の提案として、了解することができる。
以降日本の作家たちは、このヴァン・ダイン流を取り込もうと願い、また憧れもしたのだったが、日本型の行儀強制や、わが殴打暴行道徳の伝統、加えて貧しさが導く人情の険しさ、威圧の応酬による涙と叫び、悲劇性の先鋭化と、これに対抗するための威張り学習の必要性、等々によって人間関係は極限的なまでにどろどろとし、ユーモアは窒息状況となり、到底ヴァン・ダイン流の余裕あるゲーム感覚を、殺人事件の小説に取り込むなど夢のまた夢、というよりもそのような発想自体、一種不道徳の所業であり、非文学、非常識のそしりを受くべき不行儀と受けとめられた。これは今、経済的にも逼迫していた畠山容疑者が為したとされる犯罪の成分を思い描いてもらえるなら、当時の日本人の道徳歪みの体質が、いくぶんかはイメージしてもらえるのではないかと思う。日本人の誰にもまだしっかりした自覚がないが、現在の日本は、無自覚のこうしたわが常識の残滓の内で喘いでおり、net世界の殺伐もまた、この日本型道徳の範疇にある。
しかし綾辻氏は、ヴァン・ダイン流を、「人物表現の記号化」という、思いもかけない非文学の手法によってたやすく実現する。これがちょうど折よく台頭したコンピューターゲームのファンや、体質がこの方向に傾いたプレイヤーまでをも取り込んで、大いに発展した。文壇は清張氏考案の認可文脈をせいぜい活用して、「彼の小説には人間がいない」と大声で揶揄したが、彼に言わせるなら、そのようにして現れる「人間」こそは、述べたようにヴァン・ダイン流本格実現の、「障害物」でしかなかった。その意味あいで、彼やその仲間たちは、自身の作風に自信を持ったろうし、排他的になりもした。
けれどもその後の綾辻氏が、ゲーム作家ではなく、小説家として発展し、文章によるストーリーテリングの才を深めていくにつれ、ゲーム感性の読者からは、やや期待の質との齟齬が出るかもしれない、そういう予想がぼくのうちにあったから、館式のものは、その素性に鑑みて舞台を英語圏に移し、英語で会話する人たちの中、英語で軽口を言い、推理を進めるという探偵たちで物語を構成したなら、以降も隆盛を続けられるはずと考えることがあった。ここで描かれる人間の質は、日本型の深刻なものとはかなり異なっていて、サロンのルールとして、湿気が抑えられている。
綾辻氏と会ったら、そうした自分の考えを思い出したので、この日、そんな冗談を言ってみた。孤島ものか館ものをわれわれで共同執筆し、この八重洲ブックセンターで机を並べてサイン会をやろう、われわれ二人の名前が並んだサインが入った本は、それなりに読者に喜ばれるよと言ったのだが、真面目な彼は全然乗ってこず、すごい奇跡でも起こったら──、などと言っていた。まあ、考えるようなものなら、別に一人で書けばよいのであって、綾辻氏との共作でなくともいいのではあるが。やはり彼は思いがけない視点や発想を持った人なので、この点に大いに魅力を感じる。
八重洲ブックセンターは全館禁煙になっているから、ヘヴィ・スモーカーの綾辻氏が辛そうにするので、近所のパブにところを移して、講談社から駈けつけてくれた文三部長のY田氏、M橋氏もまじえ会話を続けた。現在は、本格ミステリー出版の危機と考えられる。そうならこれは、出版界全体の危機ともとらえられる。だからぼくは、今から毎月出版に挑戦するつもり、そうして時間を稼いでいるうちに、第二の京極氏、綾辻氏のようなスターが出てくれたらいいと思っている、と言ったら、この話をぼくから聞くのは二度目なので、危機など全然ないと主張していた彼も、この日は仕方なく頷いていた。だから君も、なんとかたくさん書いてねと頼んだら、S村氏が頑張って彼をかばっていたが、まあ、ちょっと考えてみます、というような話にしてくれた。みんな、まるきり自覚がないが、こういう危険はあると、近頃のぼくは考えている。
それから近所の居酒屋の座敷に集合して慰労会をした。例によってSSK女性たちや、編集者たちも大勢集まってくれ、綾辻氏、柄刀氏や宇山氏、先の鈴木氏も参加してくれて、みなで楽しく盛りあがった。
 
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