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島田荘司のデジカメ日記
第26回
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11−23(木)サンクス・ギヴィング・デイの意味。
毎年第4木曜日は、アメリカでは「サンクス・ギヴィング・ディ」、つまり収穫感謝祭と呼ばれる祝祭日である。この日、何をするかと言うと、格別何もせず、アメリカ人はただターキー、つまり七面鳥を食べる。いや、格別何もしないというのはやはり無神論者の発想であって、彼らは日頃の収穫物、特に食物に深く感謝し、ターキーを食べる。 街のレストランに出ると、この日はいろんなレストランにターキー・ディナーがおいてあるから、嫌でも食べることになる。そして店々は早く閉まるから、まごまごしていると食いはぐれる。こちらで割とよく行くヴァイキング形式の郊外ストラン「シズラー」で、この日、ぼくもランチにターキー・ディナーを食べた。
お昼にデイナーというのは、日本人の感覚ではおかしく聞こえるかもしれない。ディナーという言葉は、「豪勢な夕食」というニュアンスで日本には伝わっているからだ。しかしこれは誤解で、ディナーとはその日で一番大きな食事のこと。だからお昼に食べてもディナーである。日本人はどこの家庭でも夕食が一番豪勢なので、そういった意味に変化したのであろう。こちらでは、夕食は毎日常に軽くすませるという家庭もたぶんある。
しかしターキーという鳥の肉の料理は、毎年思うことだがうまくない。無味乾燥で、いいとこまずい二流のハムのようである。鳥がその姿形のままで出てくるようなものではなく、ハムみたいにスライスした平たい肉が、一枚か二枚皿に載って出る。それを平らげたら、もっと欲しいとは思わない。調理の時にターキーの腹に詰めていたパンも、皿の傍らに載って出てくるが、これがまた、さしておいしいと思わない。シズラーのターキー・ディナーは、これにグリーン・ビーンズ、渇いたパン、それにジャムなどがついているからまだ食べやすいが、もっとずっと味のとっつきが悪い店もある。
どうしてこんなおいしくないものを、アメリカ人は11月の終わりになると食べるのであろうと毎年思っていたが、由来を聞いて納得した。これは言ってみれば、まずいことに意味があるのだ。以下はぼくの理解であって、あるいは間違っているのかもしれないが、アメリカの収穫感謝祭のいわれはこういうことだった。
これは1620年にメイフラワー号で、今のマサチューセッツ州のプリマスに上陸してきたイギリスの清教徒たちが、最初の収穫物を神に捧げて感謝したのが始まり。その後アメリカ全土にこの習慣が広まり、アメリカの祝祭日として固定した。何故ターキーかというと、当時のアメリカ大陸には食料がなく、最初の開拓団たちは飢えてしまって、やむなく野生の七面鳥、つまりターキーを捕獲して食べた。これがもとである。うまいまずいの問題ではなかったのだ。
だから上陸当初の苦労を忘れないため、アメリカ人は今もターキーの肉を食べることにした。うまい必要はない。というより、開拓時代の苦労を忘れるなという日頃の飽食への諫めであるから、むしろまずい方がよい。すなわち「サンクス・ギヴィング・デイ」とは、世界に共通した習慣ではなく、開拓地アメリカに独特の祝日なのであった。
「シズラー」というのは、鉄板の上で肉がじゅうじゅう焼けてはじける音のこと。しかしここの売りは肉というより食べ放題のサラダバーで、ヴァイキング形式のサラタがうまい。開拓地アメリカには、みなが好きなだけとって食べるこの方式のレストランがとても多い。狩猟の血を持つ民にとって、食料とは一定量を捕獲したらあとは増殖のために放置するものである。
一方貧しい農耕民は、働らけば働くほどよい。労働量に比例して収穫は増えていき、収入は10円でも1円でも多い方がよい。こういう民なら、このような店がどこかにオープンすれば、テーブルの下にタッパーを隠し持ち、せっせとサラダを詰めては家に持ち帰るであろうか。これはたまらんと店は値段をあげ、結果、来訪客は大半タッパー持参となる。禁止をするから大増殖。そこでますます罰則を重く。日本の近代史は要するにこの繰り返しである。こうして世界に冠たる喫煙国家、世界第二のマイカー所有国民、世界一のヘアヌード産出国は育っていった。なにやら日米の収穫感謝比較にふさわしいような空想が広がる。
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