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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第257回
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4−5(水)、雨の都電紀行
都電に興味がある。以前に江ノ島の鉄塔のことを書いたが、自分の内では、都電もまた長くミステリー記号だった。
どの作品であったかは忘れたが、松本清張さんの小説で、むずかしい事件にぶつかると、都電に乗ってものを考える、というくだりがあった。がたごとと無様にゆれて、思索を陶酔に引き込む-- という言い廻しを、今も憶えている。今思えばなんだか大袈裟な表現だが、当時、高校生か大学生の頃だったと思うが、なるほど、小説というのはこう書くのか、と思ったものだ。
この日、思いたって都電に乗りにいった。目的は乗ることではなくて、沿線で取材したい事柄があったのだが、雨の日に、都電をいっそ始発から終点まで乗ってみたくなった。最近「帝都衛星軌道」という小説を上梓したが、現在残っている都電「荒川線」もまた、皇居を巡る「衛星軌道」の、その北方の弧のかけら、というふうである。
もっとも、衛星軌道というのは主要幹線道路だの山手線、また地下鉄などのことで、都電というと、本来の性質上はそういうことではない。昭和36年頃の全盛期の路線図を見ると、これははたして電車なのか、都下の道路図ではないのかと思うくらい、全東京を網の目のように、文字通りnetしていた。都電は庶民の下駄であり、先のもののような、皇居の周囲を周回する、といった気分のものではもともとなかった。
それが1960年代、急速に路面電車廃止の機運が高まり、都電は次々に廃線になっていって、現在の荒川線だけが破片のように残った。これはLAなどもそうで、ダウンタウンの路上には、今も錆びた鉄路がほんの少し、往時の化石のように遺っている。廃止されたLAの路面電車は、くず鉄として日本などに輸出された。もっとも東京の場合、残った路線が、やはり衛星軌道のひとかけらと見えるのも、大正の大震災からの軍都復興の亡霊を今もひきずり、素性というものを問わず語りに吐露している。
帝都の都電は、明治36年に、八ツ山・新橋間の往復路線が開通したのが始まりである。それが上野まで伸び、それとは別に新宿・両国間ができ、市ヶ谷・飯田橋からの、それこそ皇居を一周する外濠線ができして、蜘蛛が徐々に巣を完成するようにして、帝都を路線で覆っていった。早稲田・三ノ輪間の荒川線を含む路線は、こういう過程のうちで、明治44年にできている。
今、大東京の北に残る荒川線は、全長12・21km、これを平均13km/hの速度で、50分弱で結ぶ。だいたい5〜6分間隔で運行しているが、時刻表などはあってないようなものらしい。雨の中、傘をさして、地下鉄東西線の早稲田駅から歩いていった。すると大通りの真中に、始点であり、終点でもある都電早稲田駅があった。
ホームに入れば、車両止めがあって、ここで線路は終わっている。電車が入ってきたから乗り込めば、一両のみのワンマンカーで、バスとすっかり同じ様子である。確かにこれならバスでよかろうという意見も、解らないものではない。料金は一律160円、駅間の平均距離が4〜500メートルだという隣り駅で降りても、全線乗っても同じ額である。
乗客たちはみな傘を持ち、たたんだその先端から雨水を滴らせている。だから落ちる水で床はすっかり濡れ、滑りやすい。車内には雨の匂いが充ち、女子高生たちの話すかん高い声があちこちでする。
走りだせば、意外に速度がある印象。そして今や都電は、道路を埋めて行きかう自動車の群とは競合せず、路線はほとんど隔離されていて、専用路面になっている。バスと似ていると思った電車だが、走りだしたら中央線などと同じだ。これはもう路面電車ではない。ゆくゆくはこれが、高架になったりもするのだろうか。
雨粒が大きくて、なかなかやむ気配がないから、窓のガラスを冷たい水滴が打ち、斜めに尾を引いて流れ落ちていく。温度差が生じて、ガラスはわずかに曇る。面影橋、鬼子母神前、雑司が谷、とすぎていくと、少し曇った窓外に、桃色の桜が点々と望める。川べりに満開に咲いた桜が、雨に濡れて後方に飛んでいく。
大塚駅前、庚申塚とすぎて、窓外に飛鳥山公園が見えたから、その予定はなかったのだが、思わず降りてみた。

だいぶ昔になるが、ここを舞台にして「展望塔の殺人」という短編を書いた。この公園に建っていた展望塔が、物語の発端だった。あの塔は、なんとなく乱歩的な場末感があり、小じんまりしていたが、パノラマ館だの、浅草十二階だのを連想させて、好きだった。塔のいただきの展望台は、スカイラウンジと呼ばれる喫茶室になっていて、窓際にすわってゆっくりとお茶を飲んでいると、フロアがゆっくりと旋回していて、王子駅前など、公園を中心とした360度の東京を展望できた。雨の日などは人が少ないから、なかなか気分がよくて、大東京のちょっとした穴場だった。
あの小説は、当時世を騒がせていた高島平の自殺ブームとか、小学生の自殺傾向をテーマにしたものだった。そうした当時の小学生が、今は大人になって社会の中堅にいる。自殺を考え、手前までいって思い留まった経験を深層にたたんだ小学生が、今成人して、社会機構やその制約の中で日々を暮らしているのはどんなものなのか--、そんなことを時に考える。
「展望等の殺人」の取材でこの公園に来た時も、雨だった記憶がある。だから小説の中にも雨を降らせた。思い出そうとして今「展望塔の殺人」を出して読んでみたら、吉敷と小谷を、三ノ輪橋から王子駅前まで、都電荒川線に乗せている。ワンマンカーで、バスと同じだ、などと書いているから、この時も都電に乗ったのであろう。ところが、どうしたことかまったく記憶がない。
あれはもう20年近くも昔のことなので、塔が公園のどのあたりにあったものか、園内を歩き廻っても、どうしても思い出せなかった。回転展望室を載せた塔が、老朽化して危険になったということで、取り壊されたのは知っている。が、久しぶりにやって来てみると、所在地をしのばせる何らの痕跡もない。桜の花びらが遊歩道や築山一面に散り敷いて、それが雨に濡れ、風情は充分だが、塔がなくなって、なんとなく公園が特徴を失っていた。その代わりに、SLゃ都電が敷地内に展示され、特色が演出されている。
園内をぶらぶらしていたら、北区飛鳥山博物館というものを見つけた。まだ新しいから、建って間がないのであろう。入ってみたら、なかなか充実した展示で、感心した。特に、ロボットの八代将軍と、和服の裾から尻尾を出した、美人に化けた狸が、江戸の名所、飛鳥山の由来や、眺めについて語る小劇場は、けっこう楽しめた。
ここ飛鳥山は、代々の将軍が鷹狩りに訪れていた土地のようで、風向も明媚な場所でもあったらしい。八代将軍吉宗は、この土地を王子権現社に寄進し、別当金剛寺というものに、管理をまかせた。すると土地は、江戸庶民にもやって来られる場所となり、桜の頃には民も、弁当を持って花見遊山に訪れるようになったらしい。こうして飛鳥山は、江戸の花見の名所に数えられるようになり、今日にいたっている。だから吉宗が、江戸城を出て北方のここに花見に来ているという設定で、ジオラマ小劇場のストーリーは作られていた。先年まであった展望塔も、そうした歴史経過を踏まえての発想だったのであろう。

飛鳥山公園を後にして、またプラットフォームに戻り、都電を待って乗る。三ノ輪橋方向への旅を続けた。そしてそこから三つ目の梶原で降りる。
実はこの梶原が、今日の目的地だった。ここに菓匠「明美」というお菓子屋さんがあって、「都電最中」というお菓子を作って売っている。これは、通常の饅頭型、それとも膨らんだ煎餅のようなかたちの最中とは違って、都電のかたちが模してあり、珍しい。四角柱の棒状で、口に入れやすく、食べやすい。それだけではなくて、中にギュウヒが入っていて、なかなかおいしい。ぼくはけっこうこれが好きである。
とは言っても毎週食べたいと思うほどの中毒ではないが、年に1回くらいは食べたくなる。この日、ちょっと食べたくなった。しかしこの都電最中、梶原駅前、北区堀船の「明美製菓」でしか売っていない。それでわざわざ買いにきた。
しかしどうしてこの最中をぼくが知っていたのかと言えば、これがもう解らない。「展望等の殺人」を読んだ読者が、近くにこんな面白い最中もあるんですよと言って、贈ってくれたのだったか。あるいはそうかもしれない。子供の頃、HOゲージ鉄道模型のファンだったから、外観形状も気に入って、食べてみたら味もよかったから好きになったと、そういうことだったかもしれない。
けれど雨の中、都電梶原駅のホームに降りてみたら、周囲にはそんな店舗はない。明美製菓は、梶原駅前だと聞いていた。ホームは交差点のすぐそばで、車がたくさん行きかう交差点のすぐ横を、都電の線路も踏み切りを作って横切っている。しかしホーム端の斜面を下り、交差点に立ってぐるりを見渡しても、明美製菓などない。探して雨の中、うろうろ歩いていたら、ようやく見つけた。梶原銀座商店街という、少々ありがちの名前の通りにぽつんとあって、そぼ降る雨に濡れていた。
店内はあまり広くない。ここで食べていける喫茶コーナーもなかった。ショウケースの中にはいろいろなお菓子が並んで、売っているのは最中だけではないようだ。しかし製造本舗「明美製菓」の作品は、今や都電最中が一番有名になった。最中は一両ずつ電車の絵を描いた紙の箱に入っていて、これが十両分、大きな紙の箱に詰めて売られる。この大箱は、操車場の車庫をかたどって作られており、1本では137円、車庫入りは1418円である。「厚生大臣賞受賞」、などと朱文字で書いてある。
お姉さんに聞いて見ると、週に一度、三越デパートでは売っているそうだ。わざわざ梶原まで来なくてもよいらしい。けれど今回、この最中に関してちょっと思いついたストーリーがあって、製造本舗がどんな場所にある、どんな店なのか見る必要があり、雨の中をわざわざやってきた。

最中の箱を提げ、また都電のホームまで歩いて、三ノ輪橋方向行きに乗った。そして、ここからかなり揺られた。
終点が近づいたら、民家のブロック塀そばを走る感じになって、この様子は江ノ電とも似ている。思えば都電も、江ノ電も、小説に書いた。近くリスボンの市電も書く予定でいる。リスボンの市電も、民家の軒をかすめて走る。ぼくはどうやら市電という乗り物が好きらしい。
終点三ノ輪橋に着いたら陽が落ちた。三ノ輪橋もまた、ごく小さな駅だった。黄昏時の薄闇の中に、明かりをともした都電が入ってきて、車止め手前の狭いプラットフォームに客を降ろしたら、また早稲田に向かってせかせかと戻っていく。そうした眺めはなかなかよいものだ。小さな電車が、けなげに働いているといった風情。
雨は小降りになったが、まだやまない。都電の停車場を後にし、傘をさして商店街を抜けていると、各種店舗も喫茶店も、都電に合わせたようにサイズが小さく、アメリカから戻った者には箱庭の街のようだ。都会の雨を抜けて、玩具の国に着いた。そんな街で、ぼくの都電の旅は終わった。
 
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