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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第254回
島田荘司のデジカメ日記
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11−4(金)、大川を遡り、酒膳一文へ
夕刻、浜松町のルノアールで講談社S村さんと会い、メフィストに一挙掲載する長編、「帝都衛星軌道」について最終打ち合わせする。この内容は、説明すると謎を支えるトリックを割ってしまうから、ここには書けない。
この作は長編だが、以前にやはりメフィストに書いた長編、「ジャングルの虫たち」と併せて、来年の前半に単行本化しようかと話し合う。両者は全然性格の異なる話だが、双方ともに東京を舞台にしており、偶然だが秋庭俊さん的な趣味が通底している。言われて、合わせたところをイメージしてみるに、なかなか悪くなさそうだ。言われてみれば、まるで一冊にするために書いたようなところがある。
しかし書いた当時、そんなことは思ってもいなかった。それは当然で、「ジャングルの虫たち」は、「占星術殺人事件」を書いた頃、前後して書いている。だから、なんともう30年も昔の作だ。ずっと原稿が行方不明で、探していたのだが、見つからずにいた。そうしたら、なんとLAで発見した。手書き原稿を放り込んでいたケースの底に見つけた。昔書いた原稿を、闇雲に放り込んで、アメリカに持ってきていたのだ。
「ジャングルの無視たち」は、読み返してみたら案外悪くなかった。よくやっていると、感心するところもあった。ただ、文章自体は下手くそで、書き直さなくてはとても活字にできたものではなかった。そうしてみれば30年昔、やたらに書き殴っては棄てていたものの中に、案外いいものが埋もれていたかもしれない。でもそういうものは、もうみんななくなった。
では「ジャングルの虫たち」は、何故存在を憶えていたのかというと、「樹海都市」というアンソロジーの設計図にタイトルを書いていたからで、だから探す気になった。S村氏によれば、講談社はもうじき創立百年の節目を迎えるそうなので、そうなれば記念出版物が相次ぐから、「樹海都市」も豪華装丁本として、そのおりに出してはどうかと言う。それもいいが、そうなるとまた刊行が延びてしまう。
「帝都衛星軌道」も、実はこの「樹海都市」に収録予定の一作で、英題を「Orbit of Tokyo」という。「ジャングルの虫たち」は「Jungle Insects」で、だから「ジャングルの虫たち」という題は、ただこれの和訳である。「帝都衛星軌道」もまあそうで、これも翻訳から構想したタイトルである。
英文タイトルを、その頭文字に着目し、ZからAに向けて逆向きに並べる設計図の、それぞれ「O」と「J」を、この2作は担っている。今回「帝都」を書いて、やっと完成一歩手前までこぎつけた。あとは「C」だけで、ここまで来たからにはもう一気呵成にと思っていたら、創立百年を待てと言う。少々辛いところだが、まあ来春「帝都衛星軌道」を、「ジャングルの虫たち」とカップリングで上梓するのなら、この余波が一段落するのも待たなくてはならないだろう。
ところでそのメフィストが、休刊することに決まった。このフィールド、通常「休刊」とはイクオール「廃刊」の意だが、メフィストの場合、決して廃刊はせず、復活の年月を公示しての休刊である。しかしそれまで、2〜3年は準備研究の期間を置く。「帝都」が載るのは、お終いからひとつ前の号だ。S村氏は、「最後の号には御手洗ものを」、と言った。そうすれば、これもやはり以前メフィスト掲載のミタライ中篇、「UFO大通り」とカップリングで来年上梓できる。まあ、こちらとしてもそうありたいとは思う。そのつもりで、しばらく頑張ってみるかと考える。

S村氏と別れ、浜松町駅に急ぐ。原書房I毛編集者、そして「摩天楼の怪人」で見事な建築CGを披露してくれた友田星児氏と合流するためである。これから3人で水上バスに乗り、浅草の酒膳一文に日本酒を飲みにいく。
何故そういう話にしたかというと、まずはむろん「摩天楼の怪人」完成の、お疲れ会ということがある。原書房と合流したのは、続いてこの「摩天楼の怪人」をメインのモチーフにして、原書房で例のミタライ・カフェ、今度は「NYカフェ特集号」をやろうと考えていて、これにおいても友田さんのCGを大いに前面に出し、展開したい。だからその打ち合わせもあった。リンコ氏がまだ東京いれば、彼女も誘いたかったところだ。
友田さんに酒の趣味を尋ねたら、日本酒が好きで、ご飯を全然食べず、突き出しだけちょんちょんとつまみながら、日本酒をちびちび飲む晩酌型が好きなのだと、おじさんみたいなことを言うから、ちょっと唖然とし、そうなら浅草言問い通りそばに、ぴったりな店があると言って、酒膳一文に行くことを決めたのだった。
今は気合が続かず、そうでもなくなったが、ここはかつて、日本中の日本酒を揃えている、というのが売りの店であった。計画をI毛編集者に提示すると、そういうことなら地下鉄で行くのは風情がない、大川を舟で向かいましょうと彼が粋なことを言いだして、それでこの日の浜松町駅前集合となった。
夕刻に集まり、竹芝桟橋に向かえば陽も没するから、ここから夜の水上バスに乗り込み、短編「ギリシアの犬」に出てきたような、隅田川橋尽くしを楽しみながら浅草に行こうという計画だ。水の都「江戸」への回帰をもくろむ東京には、こういう水上の交通が、あちこちで復活している。
タクシーで竹芝桟橋に着いてみると、計画通り、日が暮れた。竹芝桟橋は、非常に小綺麗になっている。建物を入れば構内にはカフェもあり、ハイセンスで、脱東京の雰囲気だ。ティケットを買い、改札を抜けると、陽が落ちて黒々とした東京湾の海上から、涼風がこちらに向かって吹き渡ってきた。彼方にはお台場の明かりが点々と連なり、なによりこの広々とした風情は、欧州か、アジアのリゾートのようで気分がいい。波止場には椅子やテーブルも用意されていて、腰をおろせば、客の影はごくまばらだ。狭苦しい地下鉄のホームとは違い、開放的で、旅に発つような風情だ。
船が入ってくると、これがまたフランスふうだった。実際フランス製だと思う。乗船し、まだ寒くはないから船内の席には向かわず、船尾の吹きさらしのベンチにかける。出港すると、まずは月島が、右手をゆるゆると動く。
以前に月島の項で書いたが、大正13年の理想都市計画通りにことが運べば、このビル群の向こう側には、巨大な帝都の空の玄関口ができていた。そしてこれは、さらには宇宙への玄関口にも発展したかもしれなかった。しかし21世紀の今、水上から見る月島は、まだなかなかに汚れた倉庫街だ。
「懐かしいな」、と友田氏が言った。
「ぼく新橋で育ったから、このあたり、よく父親と釣りにきましたよ」と言う。
「ずいぶん優雅ですね、お金持ちだったんですか?」と問うと、
「そんなわけないです、親父はしがない画家ですから」と言った。
まずは勝鬨橋をくぐる。続いて佃大橋。すると右側に、佃島の高層マンション群が始まる。この眺めはしばらく続き、船が隅田川に入り込んでのちも、ずっと見えている。遠ざかるにつれ、水面ほんの紙一重の位置に立ち並ぶ、のっぽの照明器具の群のように見え、林立する。
これは、大川端リヴァー・シティと言ったか。月島でも、この部分は古くから海上に出たしっかりとした地盤だから、高層マンション群が、まずはここから林立を始めたのであろう。この後方に、以前にご紹介したツイン・タワーが建つ。これは、今から大体3年後の完成予定だ。

船は永代橋、清洲橋と順にくぐりながら、ゆっくりと浅草に向かう。どの橋も大なり小なりライトアップが考えられていて、なかなか美しい眺めが続く。
「うるさいですねー、もっと静かに進んでくれたらいいのにね」、と友田氏が大声で不平を言う。
これは確かにそうで、風情はあるが、エンジン音がつや消しだ。そしてかすかに漂うディーゼル臭も、嬉しくはない。水の匂いはまるで感じない。
以前、これも「樹海都市」の一作になる「暗闇団子」という短編の中で、四方介という江戸の青年に、現在の赤坂にあたる溜池から緒牙に乗せ、
「お江戸の夜がこんなに綺麗だったなんてなぁ、今の今まで気づかなかった、いつまでもこのままでいて欲しいよなぁ、百年も千年も……」と言わせるシーンを書いた。
あの時江戸は、船頭の漕ぐ櫂の、水を掻き分ける音ばかりの静寂に沈み、もしあればだが、虫の音もよく聴こえたはずだ。かわずが飛び込む小さな水音、船べりを打つ、かすかな水音も聴こえたろう。空想すれば、それは異様に繊細で、なにやら切ないような世界である。
しかし江戸の水路には水の匂いも充ち充ちて、周囲の水草の湿った香りも嗅げたであろう。緒牙が進みごとに周囲の草も変わり、その匂いもまた変わる。思えばあれは、ずいぶん贅沢な世界だったものだ。
しかしあれから数百年後の今宵の江戸、大川水面からの眺めもまだ、充分に綺麗であった。いや、あやうく綺麗でなくなるところだったが、ここ何十年かの努力で、また江戸的な美を取り戻した。
くぐる橋は、吾妻橋で最後になる。船はこれをくぐりながら、ゆっくりと旋回する。そしてまた東京湾の方に舳先を向けて、浅草の桟橋に着岸に向かう。
「ぼく、こういう形態が一番好きなんですよね」と友田氏が、吾妻橋の下部を指差して言う。
それは縦横に入り組んだ、朱塗りの複雑なアングルの中に、ライトがいくつか入っていて、水面から見る限り、実に綺麗で、メカニックな景観だった。この感想には、ぼくも異存はなかった。
見馴れた浅草の街に上陸する。船から街に上がると、地下鉄でやってきたのと景色が違って感じられる。少し進んで横断歩道を渡り、神谷バーの前でタクシーを拾って、酒膳一文に向かう。

着いてみたら、酒膳一文は相変わらずの様子だった。外も中も、まるで江戸深川資料館の展示物のようである。石を敷いた通路を進んで、奥の座敷にあがる。まずは1万円を木銭の百文に替え、日本酒を注文、そして大川で捕れた魚を焼くといった風情の突き出しを取る。ここは、この木銭で買い物をする。
火鉢の模型ふうのものが運ばれて、中ではすでに炭がおこっている。上に網が載っていて、ここに小魚を載せて焼く。傍らには垂れと、これを塗るための筆がついている。
魚が焼けはじめると、越後寒梅の冷が届いて、われわれはこれで乾杯した。最新都市ニューヨーの仕事を終え、非常な江戸風情で、われわれは労をねぎらい合った。

昔この店に、青柳友子さん、山崎洋子さん、小杉健治さんの作家4人で来たことがある。ふいとそれを思い出した。
あの頃の青柳さんは、傍若無人、向かうところ敵なしといった風情で、小杉さんなどは終始小さくなっていた。しかし彼女は、その頃出たばかりのぼくの「奇想、天を動かす」を、ずいぶんと褒めてくださった。特に冒頭の、夜汽車のトイレの床を、蝋燭が埋めたシーンが綺麗だったと言ってくださり、恐縮した。
それから間もなく、彼女は自殺した。睡眠薬を飲んだ上、ヴィニールの袋をすっぽり頭部にかぶっていたという。それでこの近くの寺で、偲ぶ会をした。
考えてみれば、作家になって長いから、いろいろな思い出がある。小杉さんも山崎さんも、最近はあまり書いていらっしゃらない気がするが、今はどうしているのであろう。あれからもう10年以上の時間が経つ。久しぶりに、また会って見たい気がする。
 
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