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島田荘司のデジカメ日記
第251回
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3−18(土)、ヘイリー・オズメントのユダ
ぼくは「AI」や「シックスス・センス」、「ペイ・イット・フォワード」の名子役、ヘイリー・ジョエル・オズメントのファンで、これほど男の子の孤独を自然に表現できる役者はいないように思っている。特に「ペイ・イット・フォワード」の前半部分のできは素晴らしく、これは原作のアイデアもさることながら、ヘイリーの魅力に負うところが大きい。
彼の姿が画面に映ると、その純粋で繊細そうな印象に、たちまちせつなくなる。愛らしい顔立ちの上に、頭がよさそうで、内向的そうで、傷つきやすいが、しかし絶対に自分から他者に悪どい働きかけはしない、そんな印象が、姿かたちからいつも漂って、こんな子役がいたら、監督はさぞ助かるであろうといつも思う。

しかし子役で一時代を作った彼も、今や成長して大学入試の時期だ。彼は今、パサディナにあるLA有数の名門校、フリントリッジに在籍している。ロスアンジェルスの名門高校といえば、プライヴェートではポリテクニック、そのライヴァルである彼のフリントリッジがよく聞こえている。パブリックでは、かのリチャード・ニクソンが卒業したホイッティアー校、そしてトロイ校などが有名だ。あるいは他にもっとあるのかもしれないが、あまり詳しくない。とにかくこの4校が、この地でトップレヴェルであることは間違いない。
聞くところでは、ヘイリーは大変な勉強家で、この名門フリントリッジ校でも成績は常にトップレヴェル、4・0という、普段の実力テストの成績が全米トップのグループにいることはもちろん、ディーンズ・リストといって、ひと握りの校内トップの生徒が記載されて発表される優秀生徒のリストに、常に名が載っているという。スターウォーズの女優、ナタリー・ポートマンのハーヴァード大もそうだが、ヘイリーの頭がよさそうな印象は、よさそうではなくて、現実のものであるらしい。この辺がさすがにアメリカの芸能界、アメリカ人のファンで、見せかけではなく、本物なのだ。アメリカ人には、日本人のような、芸能人は見せかけだけを立派にし、実際の頭は空虚の方が秩序上安全、という分別は働かないらしい。
以下は、日本の映画ファンの人たちにとっては、一種スクープ的ニュースかもしれないが、彼はこのたび名門NYU(ニューヨーク大学)に合格し、入学をほぼ決定して、大変ハッピーだと周囲には洩らしているそうだ。
こちらの大学は、入試時の成績だけでは駄目で、4・0というトップ成績を普段コンスタントに獲り続けていないと、上位の大学には受験資格が生じない。まあこれは日本も同じなのであろうが、アメリカでは、大学の方が優秀な生徒を常に探していて、向こうからピックしてくる。このような積極性によって、名門大学は、そのクオリティと実績を維持する。大学も、もうソファにすわり込んで威張っていられる時代ではない。
それだけではなく、予算の獲得も死活問題で、私立の名門ハーヴァード大などは、年間の活動予算が一説には2兆円というとてつもない金額であると聞く。それほど潤沢ならば、確かにライヴァル校に差をつける実績もあげやすい。少し大学の話をすると、日本の東大は、世界でも16位にランクされる優秀な大学だが、国立にも関わらずのこの評価は、結局のところ1851億円という桁外れの給付金で支えられている。日本の象牙の塔は、過去金銭発想を大いに軽蔑する傾向にあったが、そろそろそれでは立ち行かなくなっている。日本政府は今この給付金削減政策を打ち出していて、東大のこの地位も危うくなっている。現実に今年、北京大に評価で抜かれた。
ともあれヘイリーの成績なら、望めばハーヴァード大でもスタンフォードでも、あるいはコロンビア大にでも行けたであろうが、彼が望む学部が、NYUにはあったということらしい。

フリントリッジは、日本で言うところのいわゆる受験校だが、タレント性の発掘要請にも、大いに力を入れている。校内に、仰天するような立派な劇場があって、定期的に演劇の発表会などが行われている。上野や渋谷あたりにある劇場と変わらず、これがやはり、日本とは大いに違うところで、日本の場合、名門大学を目指す受験生は、演技の才能などはない方が安全、PTAにも教師筋にも好感を持たれる、というところはありそうだ。こんな能力があれば異性に騒がれるから、心情平等主義(嫉妬感性重視)日本では危険だ。もう変わらなくてはならないが、少なくともわれわれの時代は完璧にそうであった。
ゆえに今でも陪審制裁判実現がむずかしく、弁舌がさわやかで、容姿言動に魅力のある弁護士はむしろ勝ちにくいとか、政治家は、演説が泥臭い方がむしろ票は集まるとかといった例の裏読み道徳、海外に出た技能優秀な日本人が、何故か赴任地のコミュニティに溶け込めないとかといった声を今でも聞く。そのように言うと、少数の例外が大いに掲げられ、猛然と反撃を食うのがここ何十年の常であったが、やはり客観的に見て、こういう傾向はありそうである。そろそろこの日本流の道徳は、点検改善してもかまわなそうに思う。この強固なわが思想性(?)が、今日世界に喧伝されているところの耐震強度偽装の世界的赤恥とか、1日80人という自殺現象に、どこかでつながっているように思う。アメリカ社会を見ていると、こうした臆病安全策を棄てても、案外秩序は大丈夫なもののようである。

フリントリッジ校で、ヘイリーも出演するミュージカル、「ジーザス・クライスト・スーパースター」があるというので、ちょっと観にいった。ティケットは10ドル、堂々と料金を取り、高校生だからといった甘えはない。オーケストラボックスに入った演奏者もプロならば、照明も音響設備も本格的なもの。女優たちも、ダンサーも、本当にこれが高校生なのか、それも成績上位の、と疑いたくなるような、立派な体形の大変な美人たちが出てくる。チャールストンの群舞など、このままラスヴェガスに行っても通用しそうで、日本でなら可愛げがない、高校生は高校生らしく、などとと校長に要求されて、その手の嘘を演じさせられそうではある。
しかも舞台は、ヘイリーを前面に出して集客してはいない。彼は脇で、キリストではなく、ユダの役である。実際パフォーマンスの出来も、他の生徒たちの方がよかったかもしれない。ヘイリー自身にも、こんなのは高校生のお遊びだから、と見下したふうの気配がいっさいなく、全力で歌い、演技をしていた。こういうところからも、彼の性格の真面目さがうかがえた。
このミュージカルのストーリーも、先述の話となかなか共通する。イエス・キリストという人物は、一説には1メートル90近い身長があり、目も覚めるようなハンサムな青年であったという。そのために大勢の女性ファンができ、処刑には嫉妬心もあずかっていた。十字架を背負わされての道行きは、大勢の女性ファンが沿道に泣いてすずなりとなり、キリストが倒れた場所などは、特にファンたちがショックを受けて騒いだので、歴史的な名所になった。
椅子を投げ飛ばして激怒するキリストというのも、敵兵が街に攻め込んできた際であったか、実際にそういう局面があったと何かで聞いたことがある。聖人に対する今日の分別から、彼のそういう人間的なところは隠されるが、「ジーザス・クライスト・スーパースター」というのは、案外聖人の実像や、当時の実態を鋭く洞察した物語かもしれず、彼は、エルヴィス・プレスリーや、いっときのビートルズのような存在であった可能性は充分にある。
ヘイリーは、歌唱も悪くなかった、充分に歌える人で、高音のシャウトも頑張ってやっていた。しかしやはり歌の人ではないから、音程の苦しいところ、早くあきらめてファルセットに逃げてしまうところはあったが、名もないクラスメイトに混じり、全身をぶつけて演技する様子は好ましくて、やはり威張り意識や、アマチュア睥睨心は全然ない人だなあ、と感心して観ていた。

けれどもユダ役というのは、これまでの彼のイメージとは大きくかけ離れている。他者を傷つけるくらいなら自らが傷つくといったこれまでの役どころでなく、いわば世紀の極悪人である。集団において日常的にふてくされ、立腹し、時に激情に身をゆだねたあげく、一人相撲のようにして死んでいく乱暴者、といった存在が、これまでのこちらの抱く彼のイメージとは大いに違っていて、なかなか抵抗感があった。
彼には申し訳ないことだが、彼は例のあのポジション以外には填まれないのかなと少し感じたし、わずかに、期待したほどのスター性が漂わなかった。周囲の演劇好きの高校生たちに埋没してしまって、完全に普通の人であった。これは文字通り彼の身長が伸びなかったこと、ちょっと太ってしまったこととも関係がありそうだ。「ET」の少年、「ホームアローン」の少年のように、彼もまた、芸能界ですごす旬を通りすぎてしまったのかな、という印象は持つ。
しかしロビーに出てきた彼には、また別種の魅力がある。一般人であることをまったく隠さず、芸能界の虚飾にはいっさい影響されず、真面目に勉学を続けた、そういう優秀生徒の好ましさが漂う。ヘイリーはここからハリウッドに出かけていき、また淡々と戻ってきた。
彼の場合、非凡な頭脳と、知的な努力が苦労でない体質がある。これもまた、誰にもはない才能だ。演技者としての時期は終えても、今後の彼は、知的な人材としての別の人生を歩みだすのであろう。
 
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