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島田荘司のデジカメ日記
第25回
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11−13(月)吉祥寺食べ物日記。タイフード日米比較。
タイフードは、ロスアンジェルスでは非常にポピュラーな食べ物だ。日本で言うと、ラーメンとか中華料理の感覚に近い。適度にエキゾチックで、ほどよく刺激があり、しかし値段が安く、どこもデリバリーを嫌わない。だからアメリカ人は、ごく気軽にタイフードを食べる。LAの北部にタイ・タウンという地域があるが、わざわざここまで行かなくても、街のあちこちに存在する。
この街では、中華料理よりむしろこちらがポピュラーかもしれない。日本食の位置はというと、先日紹介した「もんくすふーど」のようなもので、健康食という感覚がまだ続いている。いつからこうなったのかは知らないが、タイフードがLAでこういう地位を占めてしまったことは、日本人にはちょっとした驚きだ。
というのもわが国では、これは相当に先鋭的なエスニック・フードであり、アジア文化通が食する特殊なもの、といった色彩が根強いように感じるからだ。これが一般に普及し、大衆食となり、みながラーメン感覚でこれを食べるようになる、とは日本ではちょっと考えられない。日本人にとってこの食べ物は、高くはないが、文化的高級性とでもいった、特殊な位置を占めているように思う。
ひょっとするとこれは、日本民族ゆえに起こった面白い現象であるのかもしれない。日本人はなんでもプロぶる病気があるが、人と違ったことをするとたちまち攻撃される時代が長かったゆえの、これもひとつの防御法かもしれない。ともかくLAではよくタイフードを食べるので、この際吉祥寺のタイフードも試し、アメリカの味と比較してみようかと考えた。吉祥寺でタイフード屋に入ったのはたぶんはじめてである。T橋氏と打ち合わせの後、彼の知っていた東急裏のタイ田舎料理「トムヤン」という小さな店に入った。
何の変哲もない店と思って入ったが、ぼくはプロの国ニッポンの底力、いや特殊性をあまく見ていたのであった。東京のタイフードも、LAのものと大差はないであろうとたかをくくっていたのだが、これがまるきり違った。同じトム・ヤム・クム(スープ)、同じイエロー・カレー、同じタイ・アイスティーでも全然味が違う。両者はことごとく別ものなのであった。どう違うかと言うと、早い話がもうカラいのなんのって、スープを三口も飲み、カレーをひと口も口に運んだら、季刊クリスマス号のハードなスケジュールと、これにともなう睡眠不足で弱っていたぼくの胃は、たちまちしくしくと痛みだしたほどだ。日本のタイフードと較べたら、アメリカのタイフードなど、いいところタイ風お子様ランチであった。
なるほどこれが日本のタイフードか。もっと言うと、これがサムライの国の玄人気質というものか、とぼくは深く考え込むことになった。この国ではタイフードはタイ文化通のプロだけが口にする食い物であり、素人が軽々しく来てはいけなかったのだ。ぼくは自分の軽率を恥じた。ここに来るためには、体調は万全に整え、快食快眠、特に前夜はよく眠り、井の頭公園を軽くジョギングでもしてから来るべきであった。これはたぶん、茶道、華道に継いで、わが国では早晩タイフード道、言いにくいな、とでもいうものができるであろう。
何でもないものに思った店内は、よく見ると完璧な本場の香りを醸し、バンコクからレストランが一軒吉祥寺に越してきたようである。ただの素朴と見えた壁の手描きの絵も、原色を大いに用いて描かれ、見たことのない異国の飲み物、食べ物の固有名と併せて、あきらかに日本人のセンスではない。また用意された食器も、どうもタイ製の本物らしい。加えてカウンターの向こうの調理場で雑談するおばちゃんたちは、ひと言も意味が解らない本場のタイ語で、臆することなく声高に話している。
食後のタイ・アイスティーがまたひと味違う。アメリカのものは、どこのタイフード屋に行っても腰が抜けるほど甘い。もっともこれはこれで異国情緒があって、嫌ではない甘さなのだが、日本のものときたら、全然といっていいくらい甘くない。昔、「近頃甘口の酒が多いとお嘆きの諸兄……」という日本酒のCMがあったが、万事があの感覚なのである。甘い物など出したら店の沽券に関わる、素人も胃弱者も来るな、とでも言いたげな気合の風情に店内は満ち満ちている。思いっ切りの本物、日本人の舌に併せて多少のアレンジを、などという軟弱な妥協心はカケラもない。住み馴れた地もと吉祥寺が、あまりの辛さで脳がトリップし、まるきり別の場所に感じられた。
いや、これは別にくどくどと文句を言っているわけではない。これはこれで確かにおいしかった。完全なる本物の味−−、とは言っても、ぼくはまだタイに行ったことがないので軽々に断定してはいけないが、本物のタイフードを味わいたければLAなんかに来てちゃ駄目である。吉祥寺に行くべし。ただし、気合を入れて行かなくてはならない。
T橋氏と粘っていると、看板の時刻が近づき、本物のタイフードを調理してくれていたタイのおばちゃんたちは、一人また一人と店を出て、夜の吉祥寺に消えていく。これを眺めながら、はて、どこに帰っていくのであろう。彼女たちはどんなところに住んでいるのか。年配の人が多いようだが、故郷の家族はどうしているのか、ヴィサはどうなっているのであろう、などと一人考えた。
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