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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第247回
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10−8(土)、廣木隆一監督と会う
ぼくがアメリカに行くよりかなり前だから、あれは10年以上も前のことになるが、映画監督の広木隆一さんが、文春刊の拙作、「夏、19歳の肖像」を映画化したいと言って、熱心アプローチしてくれていた時期がある。その頃広木監督はまだ新人で、一作もメガフォンを取ってはいなかったと思う。けれど日本の映画監督らしからぬシャイな印象、全然威張らない物腰に本物感を感じて、是非一緒にやりましょうということにしていた。何回もミーティングを重ね、ぼく自身が脚本も書いてみたりもした。けれど、結局うまく行かなかった。

当時「夏、19歳の肖像」は、映画人にはたいそう気に入られ、引き合いの話は多かった。ディレクターズ・カンパニーからも声をかけられた。
業界の大物、近藤晋さんの肝いりで、ぼくが監督をするという話もあった。この時もミーティングを重ね、前田順之介さんという人に脚本を書いてもらった。しかしこの脚本は、プロらしいよくこなれたものではあったが、原作から大きく離れてしまい、にぎやかな青春群像活劇になっていた。19歳という青春の一時期、ちょっとしたタイミングのずれから訪れる男の孤独を描きたかった自分としては、この行き方は違うような気がしていた。そしてこの時も、資金ぐりなどの具合から、実現はしなかった。以降はこっちがアメリカに行ってしまったことなどもあって、「夏、19歳」の映画化の話は立ち消えになっていた。

そこにまた最近、映像化の話が賑やかになってきた。東映、香月さんからの、「暗闇坂の人食いの木」映画化の話。安井氏、千葉氏、高田氏ラインによる吉敷シリーズTV化の話。安井氏の「透明人間の納屋」映画化の話などなどであるが、それでこれらの人たちと会って雑談をするおり、香月さんが、以前に広木さんに会ったという話をしてくれた。あれから広木隆一監督は何本も映画を撮り、その名前は、LAリトル東京のレンタル・ヴィデオ屋さんなどでも、よく目にするようになっていた。
高田氏に尋ねてみると、今彼は大したもので、あちこちの賞を総なめにして、非常に期待できる人材だという。以前につき合いがあった頃、彼の優しげな物腰と、それでいて実現への意志を感じさせる視線などから、きっと大きくなると思っていたが、実際彼は大きくなっていた。そこでLAのレンタル・ヴィデオ屋で、彼の近作「ヴァイヴレーター」と、「機関車先生」という2本を借りて観た。
「機関車先生」の方は、どこか気分が懐かしくなるような名作ふうの作りで、つんつんとがったところとか、前代未聞の展開を見せるような作風でなく、瀬戸内海の小島に、声を失った若い男の先生が赴任してきて、生徒のため、島民のため、誠心誠意奮闘するという、心温まる感動作であった。日本映画によくある、ピントのゆるい青白発色画面でなく、綺麗な色が出た、ピントがよく合った画面だった。
「機関車先生」は、いわば名作寄りのひとつの定型だろうが、「ヴァイヴレーター」の方はまったく風変わりで、トラックの運転手とコンビニで知りあった若い女性が、トラックに乗せてもらって新潟に行き、帰ってくるという、ただそれだけの話である。トラック運転手のハムによる会話とか、車窓からの雨の景色、車中の男女の過去の回想などがからんで、鑑賞後、なかなか消えない余韻を感じる佳作である。
それで、もう十年も会っていない広木監督に再会してみたくなった。ただ会いたかっただけで、「夏、19歳の肖像」の映画化について頼みたかったわけではない。もう時間も経ちすぎている。話を再燃させるのは骨だろうと考えた。ただ会って積もる話をしてみたかったのだが、もしも広木監督が、「夏、19歳」を撮りたい情熱を持続してくれているなら、もちろんおまかせしたい気でいた。
安井プロデューサーに連絡を取ってもらったら、すぐにつかまった。しかし監督は今大変多忙で、すぐにヴェトナムに行く予定になっている、その前日の8日ならば、という話になった。それで文春のI井編集者と、A俣編集者の2人にも来てもらい、渋谷の公園通りからちょっと奥まった、ハイセンスなアルコールの店で広木監督と会った。

再会した広木監督は、感動したことには、まったく人柄が変わっていなかった。もう売れた映画監督なのだから、建設会社の現場監督ふうの威圧言動を身につけているものかと心配していたが、見事なまでに変化がなかった。
「あ、どうも」と言いながら彼は、何度かぼくに繰り返して頭を下げ、「 声かけてくれて、すっげえ嬉しいです!」と言った。瞬間ぼくは、日本映画も変わりつつあるなと感じた。
広木監督は顔も変わってはいず、まったく老けてはいなかったが、頭をスキンヘッドにして、派手な色のウィンド・ブレイカーを着ていた。
乾杯し、文春の2人と、安井プロデューサーを紹介した。それから話がはずんで、「機関車先生」や、「ヴァイヴレーター」制作時の苦労話も聞いた。ヴァイヴレーターの主演女優は、妖女のごとき、ものすごい精神世界を持っている才能だ、と彼は言っていた。
「夏、19歳の肖像」の話をためしに出してみると、
「あ、やりたいですよ」、と彼は即座に言ってくれたから、驚き、嬉しかった。
それでしばらくその話をした。今旬の男女というなら、役者はこの人とこの人だろう、と彼は有名俳優の名前をあげたのだが、日本にいないぼくは知らないので、忘れてしまった。
でもバジェット大きくなって、大変だからと彼は言い、時間はかかるけど、制作委員会作って、あの作品好きな人に集まってもらって、というのがいいと思う、と監督は言う。
こちらは全然急いでいないし、作れたら楽しいな、くらいの気分なので、まったくのんびりでいいですよ、と言っておいた。
それからビールを飲んで話すうち、大林宣彦さんみたいに、フィルム持って全国を廻り、田舎の小劇場とか、公民館などで上映して廻るのもいいなぁ、という話になった。これはかつて椎名誠さんなどもやっていた。彼はそうやって全国を廻りながら自作の映画を上映し、合間に小説も書いていた。
じゃあいっそのこと、その公民館での上演前に、2人でトークショウでもやりますか、と広木監督に言ったら、
「あ、それ、絶対いい! 島田さん来てくれたら絶対客来ますよ」、と彼は言う。

まあそうとも思えなかったが、田舎の人たちがもしも退屈していたなら、われわれ2人のトークショウでも、案外足を運んでくださるかもしれない。じゃあそれやりましょうよ、ということにした。まあ先のことだし、実現するかどうかも解らないのだからいいや、くらいに思ってのことだが、もしも実現したら、案外大変なことになるかもしれない。しかし日本の田舎各地に行けたら、取材にはなるであろう。
そうなら、みんなの手作りの映画にするのがいいのではないか、脚本も一緒に書きましょうと提案した。つまりは自信作ができたのだから、こうしてわれわれが自ら担いででも持ってきて、皆さんにお見せしたいのです、という体裁である。そうなら最低渋い傑作にしなくてはならないから、割合しんどいのではと思う。しかし広木監督は今勢いがあるから、もしも始まるなら、可能なのではとも思う。
広木監督は、全国行脚上映形式としても、賞の対象となる資格を得るためには、最低東京の館を1館だけ、2週間開けて公開しなくてはいけないのだと言った。それはよいと思う。こちらとしては、またひとつ、先の楽しみができた。お互い忙しいから、実現するかどうかは現時点ではまったく不明だが。

店長が、いきなり広木監督に挨拶にきた。彼が以前テレビの仕事を撮っていた時、この店の店長がエキストラで出ていたのだと言う。広木さんは人柄がよいので、こういうことが割合あるらしい。
往来に降り、渋谷駅に向かいながら、隣りを歩く安井さんに、「ね、広木さん、人柄いいでしょう?」と尋ねたら、それを聞きつけた広木さんが。
「ぼく、現場に入ると人変わりますから」と言った。
まあそれはそうなのであろうが、普通に話す限りでは、彼のキャラクターに変化はなかった。今、この日本で、そのことが非常に意味のあることに思え、嬉しかった。
 
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