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島田荘司のデジカメ日記
第245回
島田荘司のデジカメ日記
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1月19日、全集月報用に、宇山日出臣氏と対談
今稿は、ちょっとあわてて書いている。というのは前回、「宇山氏送別会」のくだりで、当方と新本格ムーヴメントとの関わりについて述べたが、あれを書いたのちの1月19日に宇山日出臣氏と対談をやったら、綾辻氏をはじめとする最初期の3人と当方との関わりに、記憶違いがあったことが解った。きちんと正しておきたいと思い、今急いでこれを書いている。
対談を行った理由についてまず述べておくと、この4月に刊行を予定している、「島田荘司全集、第1回配本」の、「月報」製作のためである。「月報」というのは、全集のページの間にはさむ、折込みの小冊子のことで、当初はなかった計画だが、第1回配本は記念碑的な出版物となるから、何か貴重な記録を遺そうと考え、古株の重要関係者の誰かと対談をしようと発想した。「占星術殺人事件」を含む第1回配本なら、講談社系の人がよく、そうなら、こちらの初期からの事情をよく心得てくれている、宇山日出臣氏以外には思いつけなかった。
月報は、通常は紙2枚重ねの8ページというものが常識的であるが、講談社系の新本格誕生の秘話とか、2人でこうむったさまざまな非難の思い出話、文章表現に対する当方の姿勢、レイモンド・チャンドラー論など多岐にわたり、これは相当貴重なものになったようで、考えようによっては、この対談こそが最貴重な歴史的資料ではないかとも思えてきた。そこで、特別に異例の、16ページという厚い小冊子を月報に仕立てることにした。
この対談は、録音機を抱えた南雲堂のH野編集者氏とぼくが、宮崎台の宇山邸にお邪魔して行った。この思い出話によって、新本格黎明期の当方の記憶違いが、いくつか確認できた。前稿の「宇山氏送別会」は、この不正確な記憶によって書いている部分があり、これは特にキティ・コーポレーションの人たちに対して失礼にあたると思って、急いでこの訂正の日記を書いて発表するものである。
新本格ムーヴメントの初期において、当方がさかんに新人の原稿を読んでは才能を見い出し、筆名もつけ、宇山さんに頼んで世に出したという記憶は、これは間違いではないが、最初期の3人に関しては、どうやらそうではなかった。むろんサイドから援護射撃をしたし、宇山氏と相談して推薦文を書き、綾辻氏、我孫子氏に関しては、ゼロからペンネームを発想し、つけてもいるが、この時期はまだ、ぼくは積極的に推薦に動いてはいなかった。彼らの原稿を抱えて熱心に外商したのは、キティ・コーポレーションのスタッフたちであった。このあたりを述べている部分があるから、全集刊行に先行して以下に少し、特別に公開しようと思う。

島田 そうか、綾辻君の『十角館の殺人』に関しては……、じゃあ私はまったく言いませんでしたっけ?
宇山 いや、島田さんからパーティーの席上で、「宇山さんのところに、そのうちすごい原稿が届くからよろしくね」と言われた記憶がありますね。だからあれが、それを読まれた後なんだろう……。
島田 ああそうですか。京都で『十角館』を読んだ後、宇山さんに紹介しようとか、読んでもらおうとか思った記憶はあるのですが。じゃあ、あの時私は、原稿を持って帰って、宇山さんに預けたりはしていなかった……。
宇山 していませんね。
島田 そうすると、時間的にどういう経過になっているのだろう。読んだのち、宇山さんの手に渡るまでに、かなりの間があったのでしょうか。
宇山 そうだと思います。キティから来たと思う。
島田 そうか、キティからですか。
宇山 けっこうあちこちに持ち込んでいたらしいです。角川にも持ち込んだというような噂を聞いた気がします。だからセールスした結果、売れなくて、ぼくのところに来てバンザイという。けっこうデビューまでは時間がかかったような気がします。作品が完成してから。

ということであった。その後の我孫子氏の原稿も、同じくキティ経由である。
法月氏のものは、未完成原稿を乱歩賞に投じて、二次選考まで残ったこれに宇山氏が関わり、世に出した。この時期当方は、まだそれほど積極的に動いてはいなかったようだ。
このあたりの裏話や、綾辻氏の「十角館の殺人」を読んだ京都の喫茶店の推測など、なかなか興味深い会話が展開したので、興味がおありの方は、全集の月報を読んでいただければと思う。
続いて、M物産を辞めたくだりを含む当人の証言であるが、これもひと月で退社というのは、当方の記憶違いであった。

宇山 本当に島田さんの存在がないと新本格は生まれなかったということは歴然としていますね。ちょっと年表をつくってみたのですが。
1987年に『十角館』が出て、88年に『水車館』、歌野晶午さんの『長い家』、法月綸太郎さんの『密閉教室』。89年には我孫子さんと京大の連中が全員デビューして。1991年には麻耶雄嵩さん。だからこの間にぼくが『ショートショートランド』でつき合ったベスト作家も挟んで、若い作家ですが、挟んでいますので。
こうやって見たら、毎年20代の新人を、賞も何も取らずに、島田さんの推薦文だけを頼りに出し続けた営みって、今思うととてつもないプロジェクトだったのだなと。ぼく自身、単に面白い原稿が来たから出していただけ、若い人たちとつき合うのが好きだから。それから若い人の感性の方がぼくの周りにいる人たちの会話よりもよっぽど面白いし、ぼくに刺激を与えてくれたので。彼らと本当に同世代のつもりでというか、ぼくのミステリー観に、ようやくミステリーの書き手が追いついてきたなという感触を持って、最大級のエールを贈っていたのが、島田さんとリンクすることによって実を実らせたというか。本当にこれ、新本格って、今や島田さんあたりまで新本格の作家になってしまっている。
島田 そういうふうに言われることがありますね。
宇山 ねえ。
島田 そうですね。まあ、互いに褒め合うようなのは気持ち悪いですが、さっきのチャンドラーの話ともつながるけど、宇山さんという特殊な人がいなければ、つまり宇山さんというこれだけのポジションにあるキャリアがいて、しかもその人が威張る人ではなかった、日本型の様々な手続きや分別をまったく知らなかった。
宇山 はい(笑)。
島田 これはもう本当に素晴らしいことでしたね。才能というのは、そういう出遭いで世に現れると思うんです。余計な雑念、侠雑物を身にまとわない。この国で正しく生きていれば、一定量の威圧技術を身につけてしまう。こういうちゃんとした人に原稿を見せたら、「賞、取ってこいや」って、必ずそのひと言ですよ。乱歩賞に入れておけと、そのために賞があるんだからなと。宇山さんはそういう出版人の常識を知らなかった。そういう対処の文脈さえ頭になかった。
宇山 本当にね(笑)。確かに。
島田 それが素晴らしかった。「読んでくれます?」、「はいいいですよ」。「どうでした?」、「よかったから、これ出します」、まことにシンプル。いい原稿と聞いたから読む。よい作品だったから出版する。編集者の仕事はそれなのだけれども、それをできる人がいませんでしたね。今でもいないかもしれない。そういう人だからこそ、新本格のムーヴメントは起こし得たと思う。
最初期の頃というのは、私も記憶が失われていたけれど、歌野君などは、これは私が宇山さんのところに原稿を持っていって、名前も付けて、それで世に出したのですね。
宇山 そうです。
島田 そのようなやり方に、だんだんになっていくのですね。私もたまたま巡り合わせ、居合わせたけれど、出版社のデスクについている人がもっと常識人であれば、とてもじゃないが駄目でした。私などがいくらいてもね。もしかしたら宇山さんだけでも駄目だったかもしれないが、たまたまこういう日本常識を知らない変なのが二人いて(笑)、日本の特殊で豊穣な出版事情があって、それが総合的によかった。
宇山 部長なんか、ぼくのことを赤川次郎さんなどは担当できない。非常識で、わがままで、自分の世界に閉じこもっているタイプって、一種のオタクみたいにぼくのことを見ていて、赤川次郎さんとか、いわゆる超一流の著者の担当は無理だと思っていたけれども、「やったらやれるじゃない、宇山君」となって、ちょっと見直された時期でもあったし。
島田 いや、宇山さんは本当に好き嫌いがはっきりしていて、嫌いとなったら鼻も引っかけない。だって一流商社の、名前は特に伏すけれども、某一流M物産に入って、入ったとたんに上司が気に入らないから一か月で退社したとか……。
宇山 一か月ではないです。二年弱かかりました。
島田 え、そんなにいたのですか。でも、そういう人はなかなかいないです。
宇山 そうですよね。
島田 そうですよ。
宇山 M 物産は、一応、組合員になる人はなるのだけれども、ぼくだけは入らなかった。だから1万人ぐらいいた中で、1人だけ組合員じゃないという。ぼくは辞めるつもりでいましたから。だから組合にも入らないと言ったら、それがそのまま通って。だから組合員にならないで二年間過ごしましたね。それほど自由な会社ではあった。悪くない会社だったと思いますけどね。

といったことである。M物産には2年いたそうだ。
ところで、この対談を持ったことで、当時こうむった誹謗の内容を、もう少し正確に思い出した。

島田 だがそんなのはまだいいな。名前は特に伏すけど、「島田は、こんな程度の新人を推薦するという詐欺師まがいの誤りを犯した、ゆえに彼の作品評価は、今後常に一定量の減点をされてしかるべきだ」、と宣告した硬派評論家もいたっけ。この手、当時けっこう何人もいましたね。
さらには、不買運動提案まがいのことを言いだす人もいました。まあ、いろいろとあったな。もう忘れちゃったけど、あの頃はみな、なかなか殺気だっていましたね。
宇山 本当にリングに上がって、肉体、体を張ってガードしていただいたなという思いが強いですね。

あの頃、と言ってはいるが、この殺気は、世紀が変わった今も、そう変化してはいない。詐欺師とか、犯罪者といった非難の構文、さらには罰則行使としての不買やボイコット扇動、減点主張、そういった一部の声は、その後もたびたび聞いた。最近では「パロディサイト事件」刊行の際の記憶が新しい。
ぼくは特に20世紀中、賞も獲らず、徒党も組まない、映像化も求めない。ただ良い作品を書き続けるという一点のみで勝負をしてみたい、作家はそれだけで必ずよいはず、と考えて、いわば実験的な創作活動を続けてきた。これはその手の腐敗にはいっさい関わらないという個人的な宣言でもあったわけだが、これを賢察した日本人に、「よーしでは詐欺師と言ってやろう」式の、日本人の例のカウンターパンチ型意地悪を誘導したのかもしれないと、最近では考えるようになった。
一部日本人が、何故こうも簡単に詐欺師、犯罪者と口にしたがるのかと考えたら、最近の日本が、「一億総詐欺師の時代」に入っているがゆえという気がしてきた。建築の耐震強度偽装の詐欺は、これは大量死傷につながる桁外れに罪深いものだが、日本人の道徳体質を考えた際、サラリーマンとしての控え目態度や、常識的な謙譲嗜みさえあれば、目上からのプレッシャー一過、誰しもが気軽に陥る、大量殺人的大犯罪である。そしてこれは予想した通り、姉歯さんは氷山の一角であって、業界では常識化していたことが今、着々と明るみに出はじめている。
かつて日本人は、先進各国が核燃料リサイクル計画から撤退していく中、われわれは欧米諸国とは違って技術力が高く、作業がきめ細かくて倫理意識が高いから、日本人にだけはこの難事業の実現が可能だと主張していた。ところがわが日本民族、高層ビルさえ造ってはいけない人種だということが今や露見して、もっか世界中に喧伝され続けている。
ライヴドアによる、傘下化した「投資事業組合」という公的な団体を活用した買収演劇、そして資金の本社還元という詐欺。虚偽情報の意図的流布と、株式操作という違法の常識化。天下りが禁じられている、国の根幹とも言うべき防衛施設庁の技術幹部職員が、「防衛施設技術協会」という立派な名前のトンネル会社に2年間在籍し、ほとぼりを冷ましたのちに事実上天下るという詐欺の常識化。まだまだあるはずだが、小金を動かす、利ざやの少ない市井の商いは真面目であり、日本には窃盗の類は少ないが、大金が動く国のエリートたちの輝ける大事業は、ほとんどが詐欺か、その手前すれすれではないかと思われてくる。
このように言うと、アメリカの牛肉問題はどうなのだという反論を毎度聞くことになるが、当方は較べてアメリカ人の方が人間性が上だなどと言ったことは一度もない。日本人を優秀だととらえたのち、修正可能の個所のみを口にしている。日本人の足は短いだの、短躯だのと言ったことは、ただの一度もない。
ただし、姿勢や歩き方、陽気な対人態度への改善、あるいはLow Carbに関しては、助言の用意があるのだが。日本人は日本人のみが短躯、短足だと誤解しているが、シンガポール系や中国系、韓国系のアメリカ人にも短躯、短足の人は多い。しかし彼らは態度が明るいから、よいアメリカ人たりえている。日本人の鬱型の没個性道徳は、21世紀の今、根源的にとらえ直し、組み立て直す要がある。このままでは新黄禍論も聞こえてきかねない。
ともあれ、こういうわが本物には詐欺とは言えないから、自分は詐欺には関わらない、と言っているような輩に対しては、生意気だ、目を覚まさせてやろう式の例の正義気分に、日本民族は反射的にひかれるものかもしれない。あるいはみんな詐欺師にして、平等思想的に安心したいのかもしれない。一定量の軽蔑がないと尊敬ができないという、北朝鮮型わが倒錯体質も、こういうところに顔を出すのかもしれない。

いずれにしても、この日の宇山氏との対談は、楽しかった。会話は2時間以上にも及んで、最初は鬱病の名残りで言葉がもつれていた宇山氏だが(ぼくは鬱病の手前に卒中があるのではと疑っているのだが)、話すにつれてみるみる以前の彼に戻って、得意の毒舌までが出るようになった。各種の薬を大量に呑んでいて、対談が長引くにつれてこれが次第に体から抜けていくこともあったのだろう。しかし宇山氏は、やはり日本の本格の発展について考えることが、最良の薬であることをこちらも確認した一日であった。
ずいぶんお待たせしてしまった「島田荘司全集」だが、こうしてようやく月報も作り、戸田デザインもできあがって、4月までには刊行の目処が立った。箱から引き出した際の表1、表4のコート・カヴァーのデザインも、カラー写真を用いて全集としては型破りである。全集といえば、多くグレーかアイヴォリー一色の装丁に、著者名の活字のみ、といった保守的なものを連想するが、「島田全集」は、大文学者の全集ではないから、さまざまな面で型破りになっている。中に折込む月報もまた、述べたように型破りのものなので、買わなくてもよいから、手に取って出来を見ていただけたらと思っている。
 
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