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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第236回
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8−6(土)、津山ごんごまつり
A井氏の作ってくれた計画表によれば、ぼくとA井氏は、13時33分発の新幹線、「のぞみ79号」で東京駅を後にした。週刊誌、女性自身に間もなく連載開始の、「犬坊里美の冒険」の取材のため、津山、岡山、倉敷、総社を巡る、三泊4日の取材旅行に出発したのである。しかしふと思い出せば、やはり司法修習生を描いた「ひまわり」というテレビドラマが以前にあり、これは脚本家がよく勉強していて、とてもよくできたドラマだったが、松嶋奈々子さん扮する主人公の若い女性司法修習生が、確か名前を「のぞみ」といった。ちょっとした暗合である。このテレビドラマを観たことは、今回この作を構想する上で大変参考になった。
光文社がグリーン車を奮発してくれていたので、ゆったりとすいた車中で、A井さんと2人、東京駅で買い込んだ弁当を食べた。百田さんのイラスト入りですでにゲラになっている何回分かの原稿に朱を入れたりしながら、17時2分に岡山駅に着く。しかしわれわれ、まずは岡山には降りない。岡山駅のホームを移動して、そのまま17時23分発の津山線快速、「ことぶき」に乗り替えて津山に入る。岡山を散策するのは明日の予定である。A井さんは、岡山重複を避けるため、当初は姫路から姫新線で津山に入ろうとしたのだが、この線は現在通勤通学路線になっていて、土日はうまくないのだそうである。
岡山から北に向かう津山線は、しばらくすると川に沿って走りはじめる。これは旭川、地図で見ればこの川の北限は、津山にまで届いていない。津山とは文字通り山の中にある港町の意らしいが、往時には高瀬舟がさかんに行き来して、津山周辺の特産品を、海沿いの消費地に運んだ。しかしその川は吉井川で、これとは別の川になる。これはもっと東側を流れ、岡山まで下っている。
左側に多い無人駅をいくつか経由しながら、気動車は18時28分に津山着となる。この列車には里美ちゃんも乗ることになるだろう。もっとも貝繁村出身の彼女は、子供時分から何度も乗っているはずだ。津山では津山国際ホテルというものに、A井さんは宿をとってくれている。今宵の宿はそれだ。これは津山市きっての近代的な国際ホテルらしい。
駅前からタクシーに乗ってこのホテルに向かっていると、街中が祭の人出でにぎわっていた。裾をからげた、同じ柄の和服姿の男女が通りを埋め、団扇などを持ってうろうろしている。いつもは通れる駅前のメインストリートが、今日は祭で通行止めです、ちょっと遠廻りになりますよ、などと運転手氏は言った。橋を渡ってすぐ右にそれ、しばらく吉井川の土手上の道を走る。
津山は何でもある街なのだと、運転手は少し自慢するように言った。デパート、ショッピンクモール、有名な祭り、名の聞こえた城、名庭園、博物館、美術館、少し奥にはちょっとした温泉地もあり、小学校から大学、かつては音大までがあった、今はこれは移転したらしいが。こんな都市的な要素が、みんなスモールサイズになって、この街には完備、散在するらしい。加えて、拘置所まである地方都市というものは確かに珍しい。
津山という集落の性格を語っている。ここは城下町だが、このあたり一帯の文化圏の、長くキャピトルだった。よく言われる表現では山あいの小京都、それとも小型の東京のようなたたずまいである。往時には、付近一帯のお百姓さんたちが、命の洗濯にこの繁華街に出てきた。今日は特に祭でごった返す様子があり、なかなか都会的である。けれども、今はもう交通手段の発達で、人はここを素通りして岡山や姫路、鳥取や米子に出るようになったから、長としての地位は消滅した。
遠廻りなら、いっそついでに拘置所を観てみたいと思い、津山拘置所の位置は解るかと尋ねたら、運転手氏は知っていると言う。ではと、まずはそこに行ってもらうことにする。津山国際ホテルからは近いかと訊いたら、遠いという。小説中では、里美ちゃんはこの街にしばらく滞在し、津山の拘置所に日参する段取りになるから、それでは彼女の根城が津山国際ホテルではまずい。拘置所の近くにビジネス・ホテルの類はないかと尋ねたら、それなら雅城閣だろうなあと彼は言った。衆楽園という名所のそばだという。では拘置所の後、そこにも廻って、ちょっと観せて欲しいと頼んだ。
拘置所は丘の上にあった。狭い舗装路をタクシーはぐんぐんあがって、畑に沿った狭い舗装路で停まった。見渡せばあたりには何もなく、前方、道の行く先は行き止まりになっている。竹藪が少々あり、手前にはトタン覆いの傾いた小屋があって、しかし畑には耕す人の姿もない。畑の向こうには下界の町並みがわずかに覗き、これは津山市の北部にあたる。南側を見ると、そこにひっそりと拘置所があった。
車を降りてみると、あたりには人っ子一人いず、拘置所の門の内もひっそりとしている。かつてさんざん通った東京や福岡の拘置所と較べたら、まるで印象が違う。あれらは双方ともに街中にあったが、これは街はずれ、人里を離れた丘の上だ。道は拘置所の先で行き止まりだから、上ってくる車もない。あればそれは拘置所の関係者に違いない。
タクシーなど、むろんわれわれが乗ってきたこれが一台きりで、ここに来るまでにぼくは「犬坊里美の冒険」を何回分か書いて置いてきているのだが、その中で拘置所の門前にタクシー乗り場があるようなことを書いた。しかし実際に来てみたら、そんなものはまるでない。タクシーはおろか、道が抜けられないのだから、通りかかる車もない。これはあの部分を書き直さなくてはならないなと考えた。
門扉越しに拘置所の中を覗いてみるが、ひっそりとして、人がいるふうには見えない。土曜日だからだろう。拘置所は、原則として土日の面会はない。お休みである。無人の施設のようにも見える今日は、所員たちが出勤していないのだろうか。「な、なんかこれ、大型の公衆トイレみたいですね」、とA井さんがひどいことを言った。
タクシーに戻り、丘を下って雅城閣にも行ってみた。ビジネス・ホテルと聞いたが、なかなか立派なたたずまいのホテルである。タクシーに乗ったまま門を入れば、広大な敷地がを持つ。土地がふんだんにあったのだろうか。
タクシーを降り、玄関を入ってみたら、フロント周りのロビーは狭いが、右手に応接間もあり、磨かれた巨木の根だの、大型の壷だの、あれこれ装飾品が置かれる。少し踏み込んで奥を覗いたら、大食堂になっていた。しかしこれは立派なテーブルが並ぶようなものではなくて、パイプ脚に合板が載る簡易テーブルである。高校生らしい集団がいて、群れてお茶を飲んでイいた。里美ちゃんも、ここで食事をすることになるだろう。
タクシーに戻り、隣接する衆楽園の塀に沿い、ぐるりを走ってもらってから、今夜の宿になる津山国際ホテルに入った。これはさらに立派な、本格的なホテルで、ロビーも広々とし、カーペットが敷かれて、フロント脇には本格的なレストランが付属する。チェックインしてA井さんとちょっと別れ、自分の部屋に落ち着いて、旅装を解く──、というほどの旅装もなかったが、しばらくテレビなど観て休んでから、また下のロビーでA井さんと合流し、夕食をとりに夕暮れ時の街に出た。
A井さんがフロントで、付近のお勧めレストランを聞いてきていた。「小次郎」という名の、肉料理中心の店だった。これもなかなかの奇遇だったが、「犬坊里美の冒険」には、坂出小次郎という老人が出てくる。この人は「龍臥亭事件」の頃からずっと出てくるが、岡山の人で、もとゼロ戦乗りである。今稿ではずいぶん高齢化して、「龍臥亭事件」の頃のようなかくしゃくぶりはない。今回の旅の目的として、岡山での彼の住まいを、しっかりと想定する、ということもある。
知っている人は見当がつくだろうが、坂出老人という人は、日本の撃墜王として名高い、坂井三郎氏というゼロ戦乗りをモデルにしている。この人の伝記は、子供の頃からずいぶんと読んだ気がする。ぼくの子供の頃の少年雑誌は、編集者の趣味か、それとも戦中派として持ってしまった知識の披瀝なのか、戦記ものがやたらとあって、ゼロ戦内部の特集などがよくあった。これは不必要なまでの詳しさで、エンジンのかけ方までが微細に説明されていた。だから当時のぼくは、おそらくゼロ戦にエンジンをかけることもできたのではあるまいか。ともかく夕食の店が「小次郎」というのは、出発時ののぞみといい、ちょっとした暗合である。
小次郎は座敷にあがり、小部屋で食事をさせるタイプの店で、室内の作りも趣味がよく、料理も悪くなくて、座布団にあぐらをかいて眺め渡せば、小京都津山らしい風情の、なかなかよい店であった。しばらく歩いてきて汗ばんだので、生ビールが旨くて、よく進んだ。隣の部屋の客たちが、郵政民営化の実現に、解散総選挙を匂わせる小泉首相の政治理念について、声高に談義をしていた。
一杯機嫌になって暗くなった表に出、ぶらぶら川べりまで散歩してみようという話にした。すると歩くにつれ、次第に喧騒が増して、川うえの土手に出たら、交通警官の笛や、下の河原から聞こえるスピーカーの音が一挙にうるさくなった。今津屋橋という大橋の上に出て下を見おろしたら、河原にはずらりと出店のテントが並び、河原を人が埋めていた。付近の立て看板を見ると、「新津山市合併記念。第27回、津山納涼ごんごまつり」とある。「よみがえれ、川の魂。花火200発、吉井川河岸緑地公園、小雨決行」などとうたってあり、「ごんご」とは何のことだろう、とA井氏と話した。
土手をしばらく行き、石段を見つけて河原に降りた。すると人波に合流することになる。河原の土手沿い、延々と並ぶテントの店の上には電球の入った提灯が連なって下がり、小型発電機があちこちで唸っている。遥かな彼方、橋の向こうには大きなステージが作られているふうで、司会者の声らしい大声が聞こえる。
吉井川の川面は、人波に遮られがちだし、暗いからよく見えない。人出は、ある者は川上に向かい、ある者は川下に向かってゆるゆる歩き、流れている。若い男女が多い。A井氏が、出店のひとつに首を突っ込み、「ごんごまつり」の「ごんご」とは何のことかと尋ねた。遠来の出店の主は知らなかったが、何軒が聞き込んでいるうちに解ったらしく、目を輝かせて戻ってきた。そして、「何だと思います?」と訊く。「なんと、『ごんご』というのは河童のことらしいですよ、いや、おどろいたなぁ!」と言った。
カッパノベルスの副編集長としては、はるばる訪れたかの地での不思議な暗合に、しばし驚いていた。そうなら、「ごんごまつり」とは「河童祭」である。A井氏の光文社では、「カッパ祭」という名のフェアを、しばしばやる。これは別に盆踊りをやろうというのではなく、書籍のフェアだ。ここにもまた暗合が現れ、A井氏もこの奇遇には感慨が湧いたらしい。
こんな祭にぶつかろうとは予想していなかった。これもまた、山間の水運で栄えた街らしい祭である。そういえば、小次郎からこちらに向かってくる道々、船頭町、などという看板が見えていた。あのあたり、昔、操船を生業とする人たちが住んでいたのだろうか。
音楽や、スピーカーを通した大声が聞こえるあたりに向かって歩いてみることにした。するとしばらく、川に沿って歩くことになる。提灯と、出店の明かりだけに照らされた河原、折り重なる人の影で見えにくい雑草や、石くれの足もとに気をつけながら行けば、ぼうと暗い視界に、浴衣姿の娘たちがすれ違う。彼女たちの、ある者は無表情な白い顔、またある娘は笑ってすぎる顔には現実感が淡く、ビールの酩酊感も手伝って、見知らぬ土地の夏の宵、幻想的な風情である。
特設ステージの手前に出た。やって来て解った。どうやら踊りのコンテストの表彰式をやっている。下位から上位に向け、好成績の集団の名前を呼んでは表彰状を授与していた。最近は、どこの祭に行ってもこの群舞に出会う。娘たちが集団になり、奇抜なメイクをして、はっぴ姿で踊る。以前の祭によくあったふうなゆるゆるとした踊りではなく、ロックビートに載せて全身で躍動する。早い動作に全員の動きがびたりと合えば見事で、定期的にはっと大声をかけたりする。溌剌として、なかなかいいものだ。これはそういう群舞集団のコンテストの、表彰式なのであろう。
祭の人出を離れ、同じ石段から土手にあがって、ぶらぶらと帰路についた。道沿い、商店が連なるようなあたりには、なるほど緑色をした河童の像が舗道にすわっている。津山はどうやら、カッパノベルスとは縁が深い街であった。
ちょっとお酒が飲めるスナックかミニ・クラブに寄り、女性に津山について取材してみましょうとA井さんが言い、行く道々何件かのドアを開けてみたが、祭のせいでどの店もいっぱいであり、入れなかった。何件目かであきらめ、今宵はホテルに戻っておとなしく眠ることにした。
 
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