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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第234回
島田荘司のデジカメ日記
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7−12(火)、百田まどかさんと光文社で会う
護国寺の光文社まで出かけ、イラストレイターの百田まどかさんと会う。光文社の女性週刊誌「女性自身」に、もうじき「犬坊里美の冒険」というユーモアミステリーを連載することになっているのだが、これの挿し絵画家に、百田まどかさんをお願いすることにしたからだ。百田さんは、ファッション画の世界で大変売れている人で、多忙らしいのだが、この日はわざわざ護国寺まで出てきてくださるという。
「犬坊里美の冒険」は、カッパノベルス書き下ろしの前作、「龍臥亭幻想」にも登場した犬坊里美ちゃんが、いよいよ司法研修を開始し、その泣き笑い奮闘記をご報告しようという趣旨のもの。里美ちゃんは、まずは法律事務所に配属され、弁護士の実習から始めることになるのだが、研修地の第一希望を、一橋先生や石岡先生のいる横浜と書いて出しておいたものの、都会は希望者が多く、妻帯者などが優先されるので、第二希望の郷里、岡山県に配属されることになった。彼女の司法試験合格は、現在のロウスクール制度に移行する直前、旧制度の最終期にあたっていて、現在の制度になって合格がわずかに楽になったという声も聞くから、そのむずかしい時期の難関を、彼女は見事突破したことになる。たいしたものである。
岡山県では希望通り、大好きな倉敷の街にある法律事務所に首尾よく配属になるのだが、ここでの彼女は、よくある民事訴訟の問題にたずさわったりはせず、つまり彼女も周囲も、当初はそのような通例的展開を予想したのだが、里美ちゃんがやってきたその時、たまたまとんでもない刑事事件が倉敷市北の総社市でもちあがる。これはその後も土地で語り草になるような、非常に不可解な難事件であった──。とまあいうようなことなので、読者の皆さんは、大いに期待していただけたらと思っている。ユーモアものといえども手を抜くことはしないから、司法フィールドの事情や情報、有効な知識が、多少は得られるのではと思っているのだが、はたしてどうなることか。近くA井氏とともに、事件舞台の倉敷市、総社市、津山市などを取材にいく予定にしている。
最初は弁護士の実習なのだが、続いて検事、裁判官の実習となる。「女性自身」にはこの最初の弁護士修習の段階を報告する予定だが、続く検察や、裁判官の実習は、小説宝石などに連載することになりそうである。なりそうだというのは、実はこの日、光文社に行ってはじめて知ったからで、ぼくとしては百田さんに会うというだけのつもりで出かけていき、A井さんに案内されてエレヴェーターでカッパノベルス編集部のフロアにあがってみたら、週刊宝石のI上編集長、M岡副編集長だけではなく、小説宝石の編集長、ジャーロの編集長、両誌の編集者諸氏、カッパノベルスのW辺編集長、さらには光文社初の女性重役となった、かつての小説宝石担当編集者S原M子氏までがずらりと会議室に控えていたから、部屋を間違えたかと思った。
「な、な、なにごとですかこれは? 何かの会議?」と訊いたら、「弁護士研修が終わりましたら、続く検察研修は是非私どもの雑誌にご連載を……」、「その後の裁判官の研修はなにとぞウチの誌に……」、と次々に言われたからびっくりした。するとそこに、これ以上は考えられない絶妙のタイミングで、愛社精神の鑑A井氏が「こ、このようなき、き、企画ものは、ですね、やはり、つ、続けて書いていいただいた方がですね、やはりて、鉄は熱いうちに打てと申しますし……」などと言うのである。以前にうっかりビールとともにもらした当方の考えを、A井氏がさっそく社内各部署に触れ廻ったようなのであった。べろべろに酔っ払っているように見えて、案外A井氏、きちんと聞いている。さすがに副編集長である。
というわけでまあ、このようなレールががっちりと、当方の知らない場所で敷かれてしまっていたのであった。やはりこれは光文社の(A井氏の?)、巧妙な戦略の勝利というものであろうか。確かにこの一連の司法研修は、里美ちゃんにとっては大きな試練となり、人生上の一大転機になると思うので、笑えるところもけっこうあるが、非常に辛いことにも直面して、通して読んでいただけたら読みごたえはあろうかと思う。

一同退場し、続いて百田まどかさんが入ってこられ、初対面となる。ほっそりとした体つきの、非常に魅力的な女性であった。さすがにファッション誌に描いていらっしゃるだけあって、セピア系の渋いファッションも、ハイセンスに決まっている。百田さんの挿絵の入った初回と二回目の連載原稿ゲラを眺めながら、ここで少し話す。タイトルの字体などを決定するが、意図した通りに、非常に雰囲気のよい紙面になっている。百田さんの可愛く、しかもアートとしての強い絵が、大きく効果をあげている。さらに百田さんは、バッグからご自身の画集を出し、われわれに1冊ずつプレゼントしてくださった。これは貴重なものをいただいた。そこでみな、続いて今度はこの画集の作品群に見入ることになった。
これは見事なイラスト集で、女性たちが描かれた画集なのだが、すべて「ひと筆描き」である。背景はというと、たいてい紙の地肌、「白」のままで見えている。ページを繰っていき、次々に女性の顔に見入っているうち、ひょっとして? と思いついたことがあり、「これは鉛筆等での下描きは……?」と尋ねてみたら、予想した通り、「まったくしません」とのことであった。真白い紙に、絵の具や墨を含ませた絵筆をいきなり降ろし、刀剣のように、大胆にぐいと振るう。このような男性的な、それとも侍的な絵画の技法が、東洋には古来から伝統的にあるが、21世紀の今、百田さんのような、それもファッション画の世界の人にそれが受け継がれているのだなと知って、なにやら感慨が来た。
子供の頃、神社仏閣の縁日などで、墨をたっぷり含ませた大筆で、ぐぐぐ──、とひと筆で龍を描いて観せるような人がいた。所要時間ほんの十数秒、しかし鱗のきわだちなど人間わざとも思われず、子供心に大いに感心したものだった。百田さんの絵は、そういう東洋的なシンプル感覚、咲いて散る、桜のごとき短時間発想の、明らかな延長上にある。広重の描く人物なども、まあそうではないか。西洋の画法は、一枚の作に何年もかけたりするが、日本や中国のものは、水墨画などは典型だが、色彩画であっても、あまり時間をかけて描くということをしない。筆の描線に都度現れる微妙な表情を決して見逃さず、重視する。ゆえに縁日の職人芸のようなものにも発展しやすかった。
だがジャズがそうだが、その日、その時の感覚が、刹那に絵にこもる、これも一方の芸術である。これはこちらの勝手な想像だが、百田さんのこの画集は、だから書道家の作品のようなもので、描けば常に一定基準を満たし(観客たるわれわれの目からはそうであるが)、画家は必ず満足する、というような性質のものではなくて、幾枚も描いたもののうち、選ばれた作の群れなのであろう。捨てられた作も多いのではないか。
当初不本意でも、筆を加えて修正、ということがたぶんきかない。最初の数秒で、出来不出来は決まってしまうのではないか。筆の勢いが創る墨のにじみ、かすれ、そしてたまたまのようにして現れる女性の顔つきや、体の表情。しずくが落ちそうなほどに絵の具をたっぷり筆に含ませた時と、かすれを誘うような少量の時とでは、顔、体の表情がまるで異なる。水気の多い体質の女性が、頬や足、お腹がぽってりとするように、筆の水分量がそのまま紙の上の女の顔、体に反映する、これはスリリングな見もので、やはりこの画法の対象は、体を見せた女がよい。
百田さんの絵は、連載が決まった時、週刊誌連載となると挿絵がきわめて重要だからと、A井さんが多くの画家のサンプルを持ってきて観せてくれた。それらの中には、高名な画家の作品が多くあったが、一見してぼくは、すぐにこの人しかないと思い、百田さんを選んだ。作中の犬坊里美ちゃんという人は、まだ若く、体つきは痩せていて、そう肉感的な体型の人ではないのだが、百田さんの、音楽で言えばジャズ的、即興演奏的、ハプニング的な描画稜線に強く心惹かれた。しかも、同時に現れてくる鹿つめらしくなさ、ユーモラスな感覚も、今回の作にぴたりだと感じた。

それから社の近くにある寿司屋「浜奈加」の小あがりに、A井氏、カッパノベルスのW辺編集長、女性自身のI上編集長らとともに移動して、ここでビールをやり、寿司をつまみながら、さらに百田さんのお話を聞く。出身地は九州福岡で、三筑中学というところを……、と彼女が言ったら、A井氏が悲鳴をあげた。A井氏と同じ中学、年齢もどうやら同じらしいのであった。まことに奇遇である。
ひと筆描きの際の速度などに大変興味があったから、1度制作風景を拝見したいものですね、と言ってみたら、「それだけは歓迎できないんです」と、やんわり断られた。思うに百田さんのお仕事は、鳥に変身し、生身を晒して華麗な生地を織る、あの夕鶴のような作業現場なのであろう。
うかがえば百田さんは、イラストレイターの山藤章二さんが、かつて「週刊朝日」で連載されていた、「似顔絵塾」のご出身なのだそうだ。以前ぼくもこの週刊誌で自動車の記事など書くことがあり、山藤さんとも付近の喫茶店で紹介され、ちらとお会いしたことがある。山藤さんのようなお仕事、文章の感覚は好みだったから、ページはよく憶えている。似顔絵塾もおぼろに記憶がある。熟生の習作が載っていたのもわずかに記憶にあるが、各作品小さかったから、ちょっと百田さんの作は記憶にない。そうかあの中に百田さんの絵もあったのか、と思う。
現在百田さんは、絵の制作の合間に、フットサルを楽しむスポーツウーマンでもある。語り方にも、体育会系の人らしいさっぱり感、きっぱり感があり、彼女の贅肉のない若い体つきは、こういうスポーツからも作られるものなのかと心得た。フットサルは、小型のサッカーのようなものだろうから、半端な体力では通用すまい。本格的なスポーツにうち興じ、さっとシャワーを浴びて描かれる絵画が、このようなさらりとしたひと筆描きというのも、いっときの全力疾走、一発ゴール狙い、といった彼女の日常を語り、反映しているように思われて、頷ける心地がした。
 
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