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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第232回
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7−2(土)、講談社アトリウムと桜子作品
映画の「暗闇坂の人食いの木」が実現すれば、美術をやってくださると約束している美術監督の部谷京子さんが、ご紹介した桜子さんの作品をたいそう気に入ってくださり、石塚桜子のヴィデオ作品を作りたいと言いだした。部谷さんは武蔵野美大の出身だから、完璧な美術畑、ぼくのように物書きにドロップアウトしたような不真面目さはなくて、今も純粋に美術ととも仕事をし、日々を生きてきた。そういう彼女が、桜子作品を観て激しく共振共鳴し、これはまれな逸材だと、自信をもって評価するにいたった。この気持ちは自分のことを考えてよく解るし、大変嬉しくも思っている。
部谷さんは、7日にご自身が内装デザインを担当した、赤坂、乃木坂のコレドというレストラン・バーで、経営者も懇意なものだから、石塚桜子展を開催したいと考えた。そこにはヴィデオの大スクリーンもあるので、ヴィデオ作品も作り、会場で常時流しておくようにしたい、それでヴィデオ作品の制作という展開になった。監督は、高橋氏という部谷さんの懇意の人である。そこで当方にもヴィデオに出演して、桜子作品に関して語って欲しいと言われた。編集や加工もあるから、2日くらいに収録しないと、7日のオープニング・パーティに間に合わないという。それで1日に帰国し、ぼくの出番は2日に収録することにした。場所はどこがよいかと問われるので、桜子さんの百号に負けない大きな空間で、できたらすべて真っ白な大空間、そのフロアに椅子をひとつきりぽつんと置いて、それにかけて話すというのはどうかというアイデアを言った。しかし部谷さんも、桜子さんも、高橋監督も、懸命に考えてくださったようだが、どうにも心当たりがない。そこで第二案はと問われることになり、ふと講談社のアトリウムを思いついた。

このところずっとニューヨークの建築に興味を持っていて、これは「摩天楼の怪人」という近作に反映したのだが、アトリウムという考え方に、このところ惹かれている。アトリウムとは何かというと、摩天楼に象徴されるような典型的、そして最先端の人工構造物に、これも人為的に加工した、いわば手なづけた自然を取り込んでしまおうという考え方である。ニューヨークの建築フィールドで言えば、IBMビル内部に、東洋ふうの竹藪を造ったあたりに端を発している。
建築史的に言えばそういうことになろうが、この考え方自体は、それよりもずっと以前から、NYの建築家たちの内部で発酵を続けてきたものである。NYの摩天楼は、斜線制限、いわゆる「ゾーニング法」のくびきの下に長くあつた。これの撤廃の端緒となったものが、ミース・ファン・デル・ローエの作、シーグラムビルてある。これのエポックは、斜線制限の規制を逃れられる、敷地1/4のみを建坪に使い、セットバックのない鋼鉄とガラスの高層直方体を造ったことにある。そして足もとに残る3/4の敷地は、「プラザ(広場)」として市民に開放された。このプラザに彫刻作品などが置かれ、石とガラスの都会に生きる市民に、しばしの憩いを供しようという考え方が育った。さらにいっそ構造体内部にも自然を抱きこみ、殺伐とした都市の民に視覚的な潤いも与えようという発想につながる。この考え方の原点にはニューヨーク万博の水晶宮、さらにはその以前のロンドン万博に現れた、同名のパビリオンの影響があるものと思われる。
これはそもそも、マンハッタンという岩の島自体の開発がそうである。無計画に開発を進めるなら、狭い島は必ず摩天楼で埋まる。緑も自然も消滅し、二度と取り戻せない。そう考えた詩人でジャーナリストのウィリアム・カレン・ブライアントが提案し、島の中央に大きく公園用地を取り、フレデリック・ロウ・オルムステッドと、カルヴァート・ヴォクスが設計して、土と木々を大量に運び込んで、セントラル・パークという巨体な人工自然を造った。ニューヨークの偉大さは、世界一の高層建築群を創ったこともだが、その足もとに世界一の大自然を創りだしたことにこそある。
マンハッタンを散策した時、残念ながらこのIBMのアトリウムは観ることができなかった。だから直接的な比較はできないが、偉大なニューヨークにさえ見当たらないような、見事なアトリウムが東京にはある。それが音羽、新講談社ビルのアトリウムである。アトリムを求めてではないから、あるいは違っているかもしれないが、居住やデスクワーク業務を主としているビル内に造るアトリウムとしてなら、ぼくはこの講談社のものほどの規模のアトリウムを、欧米、アジア、アフリカのどこにおいてもまだ観たことがない。遊園地目的というなら、ラス・ヴェガスに大きなガラスのドームがあるが、しかしあそこはジェット・コースターが走り廻っているし、上にビルがあるわけではないから、さして驚かない。
講談社のものには本当に驚いた。メイン・エントランスを入ると、受付の背後、上空に林がある。3階まで吹き抜けの大空間で、遥かな天井からはガラスを抜けた陽光が落ち、木々の間には板敷きの舗道が抜けている。アトリウムというなら、もはやこのくらいやらなくてはならない。ニューヨークの建築家が提案したアトリウムという概念の、完全な具現がここにあるなと感じた。
木々というものの多くは、生き物なのだから、実際の風や外光に当てないでいると枯れる。だからこれらの木々は、定期的に植え替えなくてはならない。壮大な無駄のようにも思えるが、さにあらずで、講談社は植木や観葉植物のリースを行う子会社を、傘下に持っているのだそうだ。だからこういう雄大なアトリウムの維持も可能になった。本格的なアトリウムの維持は、会社組織から興さなくてはならず、容易なことではない。
部谷さんに、LAからメイルでこのアトリウムを提案すると、さっそく監督とロケハンに行ってきて、非常に気に入った、ここで撮影をしましょうという返信が戻った。ついては作品も選んで欲しいというので、脳裏にあった作品を指定した。

アトリウムでと言ったのは、桜子作品が生まれてくる道筋と、このアトリウムの考え方が共通するように思ったからである。桜子作品を理解する「キー」は、彼女がしばしば述べるところの、「これらは具象です」という言葉にある、と思う。あれらの絵は、決して抽象ではない。つまり木々や顔やパイプや、もしも花を描いたとしたなら、それらの持つ本来的な外観は、写して描かれることが基本だ。しかし写生画ではないから、それらの形態や概念は、桜子の脳裏のフィルターを通過し、彼女の過去の体験や、重要となっている要素と、対決したり、時には組み合されたりして、再構成された光景としてカンヴァスに落ちてくる。するとこれは蒸留酒のようにエッセンス化して、時に原始心性としての万人共通項ではないか、桜子の絵の持つ問いかけは、これである。これは、建築家が企画したアトリウムの思想に近い。アトリウムもまた、実物材料を用いて描く具象絵画であって、抽象画ではあり得ない。それによって彼らは、おそらくは未来を問うている。
桜子作品が、狭いマンションの一室で制作されることに、ぼくはいつも驚きを覚えるのだが、やはり置いて鑑賞するならば、百号に負けない大空間が欲しいといつも思う。これは個人的な想いだが、ひとつひとつで完結を目指されている作品、たまにはひしめくようにして置かれない状態で鑑賞したい。いや、ひしめくように置かれている状態は、それはそれでまた、刺激的な眺めではあるのだが。
桜子作品のひとつを、似た経過を経て造られた人工自然の大空間にぽつねんと置いて眺めたい、そういう思いは前からあった。だから講談社のアトリウムに置いてみたい、この思いつきは、次第に興奮になってきた。この日、LAを発つまでもさして眠れていず、いささか朦朧とした頭で講談社に行ってみると、果たして、非常に綺麗な風景がそこにできあがって、こちらを待っていた。
人工林の間を行く道の突き当たりに、填め込まれたようにして、そう、その作はまさにアトリウムにきっちりと填めこまれたようにして収まり、本来ここに置かれてあるべき作品のようであった。ここでは彼女の162cm×162cmの大作「身体原子」は、まことに適度な大きさに感じられた。
桜子作品が明快に具象画であった時代は、彼女の造形大在学中であったように、ぼくは感じている。この作がそうだ。これはまことに具象画で、カンバス上に現れた、具体的な風景の理由がよく解る。解るというと少し違うが、自分の内に、自分なりの了解のストーリーをよく作ってくれる。
作品の前に椅子を置き、高橋監督に問われるまま、ぼくは自分の考えを長々語った。まあ日頃よく考えていることだから、言葉がすらすらと出て、長旅、時差ぼけ、睡眠不足といったふうに疲れが重層していたのにも関わらず、話しているのは楽しかった。
 
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