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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第226回
島田荘司のデジカメ日記
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11−1(月)、吉敷ものTVのプロデューサーと会う
翌日はゆっくり起きて空港に向かい、昼食をとってから13時15分発の「JAL1716便」に乗って東京に舞い戻る。そして羽田からタクシーに乗って赤坂へ。そうしたら道の具合がよすぎて早く着き、旧TBSのあった建物の向かいのコーヒーハウスに入ってお茶を飲む。
以前どこかに書いた気がするが、東京には多く放送局があるが、馴染みとなったのはこのTBSだけだ。この旧舎にTBSのAMが入っていた頃、友人がここでディレクターをやっていたから、毎週のように遊びにきた。昨日の日記からの続きで言うと、大阪に馴染んで小説好きとなり、大学を卒業してしばらくしたった頃だ。ポリドールでLPレコードを一枚作ったけれども、その少し前あたりだ。
小説は好きになったけれども、音楽はもっと好きで、エアチェックとか、音楽を自作する鬼になっており、サイマル・シンク機能付き、ティアックの4チャンネル・オープンリール・デッキを手に入れていたのだが、これを活用するには、大量の録音用テープを必要とした。こういう放送局では、一度オンエアするとそのテープはもう捨ててしまうから、タダのこれをもらいに来た。サイマル・シンクというのは、音を重ねて録音する時、再生音をずれさせないため、再生のヘッドと録音のヘッドを同じ位置にする機能のことである。
当時のTBSは、外部の人間も入館フリーパスで、大手を振って中に入れたから、仕事中の友人に会うのも、廃棄テープをもらうのも楽だった。ただ、局が1回使用のみで捨てるテープといっても、新品同様とはいかず、時間を完璧に合わせるため、テープのあちこちを切ってつなぎ、編集してあるから、あちらこちらにやたらに白いテープが貼り付いている。荒く扱うとこれがはがれるから慎重を要した。放送用のテープは、編集後のこれを、さらにコピーして仕上げたりはしない。音が劣化するからだ。友人はこのテープの編集をやっていて、編集室を見せてもらったり、番組作りの裏の事情を聞いたり、アナウンサーの林美雄さんを紹介してもらって、知り合いになったりした。
この友人のお世話で、たまにナイターの雨傘番組の台本書きの仕事を廻してもらった。雨傘番組というのは、当時後楽園に屋根がなかったから、雨が降れば巨人戦は中止となる。そうすると野球中継のワクに穴が空くから、この時に放送する主として音楽の番組を、大量に作ってストックしておく必要がある。たいして重要な番組ではないから、内容も割合自由で、放送作家もまともな人は使わず、学生に毛が生えたようなぼくなどにも、自由にホンを書かせてくれた。だからビートルズの愛蔵ブートレグを紹介したりして、関係者にはそれなりに好評であった。この頃の経験は、のちに「糸ノコとジグザグ」という短編を書く時、大変参考になった。別に当時、将来に備えて取材するという意識があったわけではない。作家になろうとは考えていたが、小説はこういう趣味とは全然別の世界と思っていた。
のちにLPを作ったら、林さんが彼の深夜番組に呼んでくれたり、この林さんは、今回の吉敷ものの脚本を書いてくれた高田純氏とは親しくて、一緒に会う機会があったりと、今思えばみんなつながっていて奇遇だ。今回の吉敷ものも、実現はTBSテレビになった。縁があったのだろうか。ただ現在のTBSは、この旧ビルの裏の、丘の上に移った。

旧社屋は、何度もの訪問で内部をすっかり心得たものだったが、新社屋に入るのははじめてだ。千葉プロデューサーと合流し、玄関に入ってみると、近頃はなかなかチェックが厳しくなっていて、来館の目的と、訪ねる部署を書き込み、バッジをもらった。これは現在の講談社と同じシステムである。
エレヴェーターに乗り、高層階のティールームに入ってみると、素晴らしいロケーションで、なんと窓から国会議事堂が正面に望めた。こんなビルははじめての経験で、旧社屋からも見えた記憶はない。丘の上の利点だ。思えば確かにここは赤坂であり、この両者は近い。地下鉄の乗り換えや、階段の登り降りなど都市機能の煩雑さが、両者を実際以上に遠く感じさせるのだ。
11月になっていたが妙に蒸し暑く、冷たい飲み物を飲んで待っていたら、局プロデューサーが現れた。非常に若く、タレントのように外観のよい若者で、「寝台特急はやぶさ1/60秒の壁」に吉敷の相棒として登場してくる、小谷刑事に風貌が似ていた。
人柄もよくて、若いから威張った感じもなく、話はあいあいと進んだ。収録したヴィデオがお蔵になってしまうのではという心配を高田氏や、隣にすわった千葉プロデューサーはしていたから話に出してみたら、まったくの杞憂のようだった。局プロの彼は、作品の出来をよいものと感じており、お蔵にするような余裕は、金銭的にも本数的にもありませんよ、という返事であった。映像化作品への評価は、原作者のぼくのものよりもよいくらいで、大いに安心した。そしてぼくが来たからではなく、すでにこの時、12月6日のオンエアを決定したと教えてくれた。どうやらわざわざ出向いてくる必要もなかった。
とにかく楽しみができた。それからしばらく歓談して、プロデューサー氏とは別れた。エレヴェーターで1階に下っていたら、箱の中で、あきらかに局の社員ではなさそうな若者たちと一緒になった。30年前、ぼくもまたこんなふうであった。しかしあの頃は来館も自由で、今のように入館チェックが厳しければ、「糸ノコとジグザグ」は存在しなかったかもしれない。光文社やTBSの入館チェックはこれでいい、アメリカもそうである。しかしいい加減さの美点というものは無数にあり、アメリカという国の魅力は、よい意味のこれがたっぷりあることであり、JR福知山線の大事故は、これの徹底欠如である。道徳というものは、単純で厳しいばかりが是ではない。
学生時代、厳しく道徳的であれば、一昨日会った妹の夫君の位置にぼくがいたろうし、そうでなくとも卒業後真面目に就職していれば、今頃どこかの広告会社にいたろう。レコードを作っている時、君はあきらかに音楽ディレクターに向いていると言われ、これを受け入れて真面目に勤めていればポリドールのディレクターだ。雨傘番組を真剣に書いていたら放送作家になったかもしれない。
しかしぼくはどれにもならなかった。約束をすっぽかしたり、他人に不誠実であったりしたことはないと思う。嘲笑はせず、威張ることもせず、これは有意識で厳しく律した。作家になってからも、仕事をさぼらなかった自信はある。しかし一面、不道徳さ、不謹慎さが今日のぼくを作ったという側面があることも確かだ。
かつて「ノーと言える日本人」が流行語になったが、あれは正確には「ノーと言わせられる日本人」と副題すべきで、何故アメリカ人がノーと言えて日本人が言えないかと言えば、日本人はアメリカ人のようにいい加減ではないから、ノーと言った日本人をきちんと虐め、見せしめを行ったからである。ただそれだけのことだ。言語構造でも、民族的なおくゆかしさの故でもない。ニューヨークの地下鉄の運転手がJR東日本に就職したら、たび重なるペナルティで給料はタダ、百回はクビになっている。
 
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