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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第225回
島田荘司のデジカメ日記
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10−31(日)、福岡サイン会
翌日は、眠ったのが遅かったので、10時くらいに起きた。1階のフロントで集合してみると、A井さんはいつになくかくしゃくとしている。早く起き、すでにふくやま文学館にご挨拶に行ってきたと言う。文学館の女性たちがよほど気に入ったらしくて、館内をひと渡り見てから、城付近も散策してきたと言う。
福山駅に行き、出発の時刻まで、紅茶を飲んで目を覚ました。そうしたら文学館の女性トリオが見送りにきてくれて、聞けば目当てのビジネスホテルが満室だったから、文学館のソファで眠ったのだと言う。そういえばロボット・コンテストとやらで、福山のホテルは軒並み満室であった。これを忘れていた。そうなら、やはり昨夜は無理をしてでもホテルで眠ってもらえばよかった。
新幹線は、11時9分発の「ひかり355号」であった。これでわれわれは博多に向かう。文学館の女性たちとは、改札口のところで手を振って別れた。

新幹線の中でもW辺編集長は、「ふくやまミステリー文学新人賞」の話をしていた。どうやら昨夜だけ、話に調子を合わせたのではなさそうである。まあW辺編集長はそんないい加減な人物ではないし、A井さんも、「やりましょう、そうしたらぼくは文学館に打ち合わせに行くから」、などと言っていた。
博多には12時44分に着いた。ソマリア西鉄ホテルというものに直行してチェックインし、それから昼食のためにホテルを出て、一蘭という割合聞こえたラーメン屋で、ラーメンを食べることにした。これがなかなか凝ったラーメン屋で、昔の公衆電話コーナーとか、選挙の投票所のように、1人1人が衝立の中に入って、好みを問う解答用紙に記入してからラーメンを待つ。麺の固さ、ねぎの量、脂っこさの度合いなどである。一対一、真剣勝負のような按配で、これはなかなか自信の店のようだ。待つ間、お望みならゆで卵を食べられるようにもなっている。
味はむろんうまかった。が、やはりラーメンの好みは人それぞれであるから、一概にうんぬんはできない。おいしかったが、個人的には歴代ベスト5に入れようかというほどではなかった。福岡のラーメンはとんこつで聞こえおり、以前は来るたびに食べ、大変好きなのだが、一蘭のものは、スープはとんこつでも、意外にも麺は、舌が憶えているあの麺ではない。福岡は、どのラーメン屋に入っても麺は同じと思っていたが、ここのは違った。
サイン会場は、ジュンク堂書店福岡店で、これは福岡の繁華街、中央区天神にある。このあたりも、以前はよく歩いた。ここには秋好さんが収監されている福岡拘置所があり、確定前にはたびたびここに面会に来たし、レンタカーを借りて飯塚の現場に行くことも何度もやった。確定してしまってからは、秋好さんに面会はできなくなった。だから今回もその予定はない。
ジュンク堂の入ったビルの控え室で、西日本新聞のインタヴューを受ける。この記者氏は非常に熱心で、好意的でもあり、話しているのは楽しかった。新聞記者というより、出版社の編集者のようであった。

ここでもサイン会は4時からスタートする。1階の会場に降りていくと、ここにも大勢の人が並んで列を作り、待っていてくれた。当事者としては、本当に恥ずかしくないだけの数読者が来てくれているのか、現場に行くまで不安なものだ。列を見ると、本当にほっとするし嬉しい。よし頑張るぞという気分になれる。
ただここは、ライトの真下になっているらしくてちょっと熱く、汗をかいた。また通路にかかっており、買い物客たちに割合観られて、こっちでも汗をかいた。
サインをスタートしてしばらく経ったら、千日紅さんが現れて、福山以来の再会ができた。千日紅さんはここが地元だから、足を運んでくださるのは福山の時よりは楽であったろう。彼女は非常に若々しく、楽しそうであった。ひと通り終え頃に、並んでいる人の中で親しくなったという人ともう一度戻ってきて、写真におさまって欲しいと言われたりした。
福岡ではユニークな人が多くて、賢くなるように頭に触って欲しいと言われたり、ちょっと抱き合ったり、そうかと思うと、男女ともにとても高度な会話をする人がいた。
以前秋好さんの支援活動を手伝ってくれていた、福岡在住の女性が来てくれていて、その思いがけなさに驚いた。以前、第一次再審請求の手続きで福岡に来て、ここからレンタカーで飯塚市の地裁に行って、これを提出した。そうしたら、驚いたことにテレビカメラが来ていて、弁護士を先頭にわれわれが書面の入った風呂敷包みをさげ、てくてく歩いて地裁の入り口を入るまでをカメラに追われて、それがこの地方のニュースになった。その時、たまたま来ていた彼女も一緒にテレビに写り、ニュースに登場することになってびっくりしていた。多分彼女の家族も驚いたろう。
その後福岡の裁判所でかなり大々的な記者会見をしたのだが、その時も彼女は、記者団の後方でわれわれの話を聞いていた。近頃はもう手伝ってもらうことがなくなって、ちょっと疎遠になっていたのだが、思いがけずサイン会で再会ができた。あの頃彼女はまだ大学生であったと思う。コンピューターのプログラマーになったという。また何か手伝ってもらえることがあればいいと思う。
ジュンク堂に集まってくださった人の数は、当初から多かったようで、ここでは1人1人ゆっくりとした会話はできず、昨日のペースを体が憶えていたので、なんとなく手抜きをしているような、後ろめたい気分がした。しかし、ここでも非常に楽しい時間がすごせた。足を運んでくださった方々には深く感謝している。福岡は大好きな街だし、秋好さんもいる。もしも乞われるなら、また何度でも行きたい。

これで三都を巡ったわけだが、考えてみたら、ちょっとした偶然に気づく。この三つの街こそが、現在のぼくを、直接的に作ってくれた気がしているからだ。そういう街でたまたまサイン会をやって、不思議な気がするし、面白い気もする。
福山は生まれ育った街だから、あらためて言うまでもない。ここでぼくは自分の感性の基本的な部分を作った。しかしそのひとつずつを考えてみたら、ラクビーであり、野球であり、ギターであり、ロックであり、模型造りでありと、あまり作家らしいものがない。だからラグビー部の連中、またその以前に一緒に野球をやっていた連中などがぼくが作家になったと聞いたら、耳を疑い、なんとまあ軟弱な選択と思ったであろう。冷笑気分にもなったろうし、あきれたかもしれない。その頃の仲間ときたらバンカラもいいところで、ぼくが暴力団に入ったと聞く方が、まだしも驚きが少ないかもしれない。
大阪は、学生時代友達が多くいて、大学の講義をサボってはよく入り浸った。上新庄から淀川べりを何度も歩き、十三のお好み焼屋、梅田の地下街、そんなあたりをよく食べ歩いた。梅田地下街の書店に入り、清張さんや高木彬光さん、森村誠一さんの小説を買って、帰りの新幹線で読んだ。この当時も、大学ではバレーボール部に入っていたのだが、ものすごく弱くて愛想をつかし、だんだんにスポーツから離れた。そういう生活がぼくのバンカラ時代を終わりにさせ、小説好きにした。だからデヒュー作の「占星術殺人事件」では、よく知る大阪のそのあたりを舞台の一部にした。当時よく入った書店に、今自分の文庫本も並んでいるかと思うと不思議だ。あまつさえサイン会にやってくるなど、想像もしなかった。
作家になって十年もしてから、突然「秋好事件」に出遭った。冤罪というものを深く知るようになり、強い問題意識を感じて、司法について猛烈に勉強もした。これが作家としての大きな転機になったことはもう今は疑えない。その頃秋好さんはまだ最高裁上告中で、この福岡の街にはたびたび飛来し、面会し、その後飯塚に行って、共犯と考えられる人物を探し出して会ったりもした。彼女に会うために、田舎街で何日も粘った。嫌な思いも多くしたが、その量に反比例して、実りは多かった。
作家に、本物とそうでない者がいるとは思わないが、この福岡の街で、ぼくはようやく本物の作家になれた気がする。それまでもモノ書きではあったろうが、ごく狭い領域に興味が集中していて、包括的ではなかった。世間のメカニズムの深い部分は、まだよく解ってはいなかった。
この街で出遭った「秋好事件」以降、同じ刑事事件、同じ殺人事件の小説を書いても、そしてそれがたとえば御手洗のものであっても、性質ががらりと変わった。だからぼくはこの街に感謝しているし、秋好氏にも感謝している。良い結果が出せるかどうかは解らないが、ぼくは命が続く限り、この事件をあきらめることはしない。この部分冤罪事件の裏面を必ず白日のもとに晒し、事件の評価を、正しいかたちに落ち着かせてみせると決心している。
 
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