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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第224回
島田荘司のデジカメ日記
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10−30(土)、福山サイン会
翌日は午前11時にホテル・グランヴィア大阪をチェックアウト、新大阪を11時51分発の「ひかり359号」に乗って、一路福山に入る。福山でのサイン会開催は、自分で希望した。故郷にはまったく不義理を重ねているので、西日本のサイン会ツアーというならば、郷里を入れなくてはまずいだろうと考えたのだ。福山は、先の講演での帰郷以来になる。両親や家族もだが、あれ以来ご無沙汰の、ふくやま文学館のスタッフとも再会したかった。
列車内で昼食をとり、福山には13時ちょうどに着いた。タクシーでスリープイン福山というビジネスホテルにチェックインする。福山市というところ、本格的なホテルはひとつしかないのだが、この日市内でちょうど大々的なロボット・コンテストがあるとかで、このホテルはすべて満室であった。それでやむなくビジネスホテルに宿を取ったのであるが、しかしここも小綺麗で、悪くなかった。
ホテルで少し休んで、サイン会会場の廣文館書店が入る、福山ロッツというモールに向かう。これは駅前の大変よい場所にあったが、ぼくが大学時代、つまり福山に定期的に帰郷していた頃までは、存在していなかった。以前ここに何があったかなと考えてみたが、全然思い出せなかった。
カッパノベルスの編集長W辺氏も追いかけてきてくれ、ここで合流する。書店脇を素通りして奥の会議室にまずは入り、ここで中国新聞のインタヴューを受ける。福山の思い出とか、本格ミステリーとは何であるのか、その将来への展望、そして「季刊04」にも書いたが、鞆の埋め立て問題などについてしばらく語る。ここで熱弁をふるっていたら、少々喉が疲れた。

サイン会は4時からの予定であったから、5分前くらいに腰をあげ、廣文館書店に向けて通路を行く。道々、横を歩いていたA井氏が、ここは地方で、昨日ほどの人出はありませんから、テーブルの前に椅子を出してます。みなさんにかけてもらって、一人一人歓談してもらうくらいのお時間がありますから、のんびりやってくださいと言う。了解し、頷く。
会場のスペース前には父親の姿が見えたので、寄っていって握手をする。そしたら父親は笑い、早く行けと言った。
スペースに上がっていって椅子にかけると、なるほど白布のかかったテーブルの前に、スツールがぽつんと置かれている。並んでくれている人の列は見えたが、どのくらいの長さなのかは先が陰になっているので解らない。まあ地方都市のことで、人は少ないのであろうと思い、最初の人にすわってもらい、サインしてからしばらく世間話などした。
福山という街に特有のあくを感じるかと思ったら、それが全然ない。東京や大阪でのありようと同じである。訊いてみたら、福山市の人は意外に少ない。福山のかなり北方の街の人とか、四国とか九州、神戸の人などが多い。「九州には明日行くんですよ」と言ったら、「こちらに親戚があったので」、といった返事が戻った。高校時代の友人とか、中学時代の友人が来るかと思ったら、これがほとんどいない。それどころか福山以外の人が多い。まあそういうものなのであろう。それでというわけでもないが、会話はよく弾んだ。
まるで地方の診療所にやってきた、占い師かバイト医学生のようであった。 小一時間も延々と面談を続けていたら、横のA井さんが、「なんか人が増えてます、ちょっと急いでください」、と小声で耳打ちする。しかしそんなことを後で言われても、前方の人にはすわってもらってゆっくり話し、後の人は立ってもらって急ぎ目に、ということはできない。そのままのペースで会話を続けていった。
見たら、フロアに母親の姿もしばらく見えていた。以前に島田荘司展でお世話になった、ふくやま文学館の美人2人組の顔も見えていたが、あんまりこちらが長いので、みんな待ちくたびれて姿を消す。前に新聞のインタヴューもあったから、喉もだいぶ疲れてきた。しかし、笑みを絶やさず頑張った。好きで読んできた作家に、生涯たぶん一度きり会えるという日、自分の番になったら「はぁ」と溜め息をつかれたら、きっととてつもなく嫌であろう。長く不快な記憶となって残るに相違なく、それが解るから、愛想のエネルギーを持続させ、懸命に頑張った。
結局A井さんの事態の読み間違いで、昨日の人出と大差はなかった。それなのに1人1人面談したものだから、最後の人が近づく頃には店内各店店じまいをはじめ、蛍の光が流れ出した。終わりの頃には、疲れのゆえもあるが、生まれてはじめてのサイン会で、勘違いして読者の1人1人とはしゃいで話し込む、人気の乏しい三流モノ書きのように自分が思われて、少々悲しくなった。長尻で、店の人たちも迷惑したであろう。「ああ今日の人たちは本当に幸せでしたねー」、とA井さんは自分の読み違いを棚に上げ、能天気に言ったが、こちらはいささか忸怩の念であった。
しかし集まってくれた人たちは、本当にいい人たちであった。遠路はるばる足を運んでもらって感激である。このことは、どんなに感謝してもし足りない。多少なりとも満足してもらえたら本当によかったのだが。この日の自分のできには、まったく自信がない。

それからまた奥の会議室に戻り、廣文館書店用に何十冊か「龍臥亭幻想」にサインをしたので、かなりへとへとになった。それからここを後にして、市内の居酒屋に行った。これは妹夫婦が馴染みにしていて、義弟の会社でもよく使っている店らしく、奥の座敷が予約してあった。鞆にあがる鯛などの新鮮な海の幸を、直送で食べさせるという定評の店らしい。行ってみたら、両親や妹夫婦、ふくやま文学館の磯貝館長や副館長、先の女性2人組に加え、女性学芸員がもう1人いて、トリオになっていた。しかしあんまりこちらが長いものだから、みな待ちくたびれてじれていた。足が下に降ろせる大卓だったが、光文社の随行スタッフも増えていたから、卓はぎっしりとなる。
とにもかくにも2日目もどうにか終了したので、乾杯して、互いの労をねぎらい、まあここは自分がと、全員の紹介をする。文学館のスタッフは、もうすでに馴染みであったから、光文社組に紹介した。両親も、妹夫婦もみなに紹介した。磯貝館長の隣にすわったのだが、もう高齢になられるのに相変わらずお元気そうで、かくしゃくたるダンディぶりである。彼は人柄もよく、信頼できる人である。母親は得意の歴史の話を始めたりして、光文社組をけっこう感心させたりしていた。
しばらくビールで乾いた喉を潤していたら、「ふくやまミステリー文学賞のことなのですが……」と磯貝館長に言われた。「ただ今鋭意頑張っております。あと1年程度待てますでしょうか」と問われる。
この話は、説明すれば長くなるのでいずれ別所に譲るが、以前より、実質上自分が1人で選考委員を勤めるミステリー新人賞の必要性を感じている。よいものをひとつ選ぶというだけでなく、日本ミステリーの向こう十年を見据え、選んだ作品を、作者とともに磨くような型破りの賞である。そういう非常識は、選者が自分が1人でないと許されない(むろん選者1人という非常識も許されがたいが)。以前に帰郷したおり、そんな話を雑談の合間に文学館のスタッフにしたら、館長が是非福山でやってみたいと言ってくれたのである。館長はそういう心意気のある人で、もと文学部の教授なのだが、ミステリーにも偏見がない。嬉しくなって館長と2人、当時の三好福山市長に掛け合いに行った。しかし手応えはというと、まったくよいものではなかった。
地方の賞は、観光賞などとも呼ばれ、既刊作品に箔付けの賞として送られ、地元のお祭りに結びつけるものが大半である。たまに新人賞があっても短編で、地元紙に掲載されるという程度になる。しかしぼくが考える賞は、複数の東京大手の出版社が、交代で出版する。これはしかるべき長たちに、一応の約束は取りつけている。また、やればここに損はさせない自信が、今ならばある。また保証として、その年出版を担当する出版社の編集長が、ぼくの言うことに得心できなければ、受賞者は出さないという約束にする。
こういう地方賞はどこにも存在せず、将来もあり得ないであろう。通常は億という予算がかかる地方の賞運営だが、出版や、通常の宣伝を出版社がやるから、福山市の負担はほんの数百万というポケットマネーでよい。とんでもなく恵まれた、それこそ百年に一度の好条件なのであるが、福山市は毛ほども乗ってはこない。というのも福山市は、文豪井伏鱒二の街という誇りがあり、ミステリーへの偏見も強いためである。だからこれはもうさまざまな方向から妨害で、千にひとつの程度の実現度の夢物語なのであるが、語っているぶんには楽しいから、割と話す。とはいえ、むろん万が一始まれば、成果をあげる絶対の自信はある。館長はまだ望みを捨てないでいてくれ、この時も、だから館長の方からもう少しやってみるので、待ってもらえるだろうかと言ってくれたのだった。
ぼくの方はむろんよい。しかしこれは流動する事態に関わることではある。ぼく自身が力を失うかもしれないし、ミステリー文学自体が勢いや、購買力を失速するかもしれない。大手の出版社内部の人脈も、移動によって受け入れ態勢が変化する。
現に、「こんな話にはお宅は乗れませんよね」と以前、期待せずにA井氏に言ったら、「いややれますよ」とえらく安請け合いするので、では大手3社で順繰りに出版という話にした。そうしたら後日A井氏、白々しく前言を翻し、「乗るとは自分は言っていません」と言いはじめた。どんなに追求しても知らぬ存ぜぬ記憶にないを繰り返し、こちらも録音していたわけではないから、仕方がない、では光文社はなしだということにしていた。すると、W辺編集長が熱意のある話し方で乗ってきて、実現のための意見を言ってくれはじめた。彼は薩摩隼人で情熱家であり、嬉しかったのだが、光文社参加はもうないものとこちらは思っているから、「そんな話では光文社も巻き込んでしまいますよ」と言ったら、「いや、うちもやれますよ」と彼は言う。
耳を疑い、そこでA井氏の顔を見ようと思って席を見たら、いない。探すと、文学館の美人学芸員、小川さんの横にべったりと張りついている。目が合ったら、「早くやりましょう島田センセ」と言うから唖然とした。ふくやま文学館にこんな美人がいるとは知らなかったので、また手のひらを返して賞をやる気になっているのである。
A井氏とはもう長いつき合いのであるが、いい加減絶交しようかと思うのはこういう時である。仕方なく小川さんに、「これがあのA井さんです、仕方がない、握手してやってください」と頼んだら、A井氏、喜色満面で握手をしながら、「早くやりましょうよ」とまた言う。「まったく言うことがコロコロ変わる男だなァ」と言ったら、「これからは手のひら返しのA井と呼んでください」と言っていた。
これを読まれている人は、ぼくが話を作っていると思われるであろう。しかしそうではない。一言一句の違いもなく、A井氏はこの通りを口にしたのである。
お開きにしたら、妹が寄ってきて、「えらく家庭的な、いい会だったよねぇ」と言った。「まあこのメンバーならいつもこんなもんだよ」と言った。A井さんとカラオケボックスなどに繰り出していたら、家族でもこんなつき合いはできないというくらいに家庭的である。ほとんど仕事をやっているという意識が彼にはない。
で思い出したが、それから福山市のカラオケボックスにも、例によって繰り込んだのであった。妹夫婦も、美人学芸員トリオも、しぶしぶであろうか、つき合ってくれた。それとも音に聞くA井さんの壊れ方を目撃し、のちに話の種にしたかったのであろうか。館長や副館長は、むろん帰宅された。
カラオケボックスは、スリープイン福山と、通りをはさんですぐ目の前であったから、けっこう朝方まで騒いでいた。妹夫婦も、相当あきれていたことと思う。作家や編集者というものは、こんなことで仕事になるのであろうかと思ったに相違ない。
お開きにした時、学芸員トリオはもう家に帰れないだろうから、自分らはひとつの部屋に眠り、ひと部屋はあなた方に提供する、とA井さんたち光文社組は熱心に言ったのだが、文学館そばのビジネスホテルに泊まるからいいといって、彼女らは帰っていった。というような具合で、サイン会ツアー2日目は朝方終了した。
 
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