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島田荘司のデジカメ日記
第22回
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島田荘司のデジカメ日記
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島田荘司のデジカメ日記
11−7(火)、ゲーテ座界隈
谷戸坂をあがりきり、港の見える丘公園前のT字路を右に曲がると、左手に「ゲーテ座」が見える。これは外国人居留地、関内が発足してまもなく、居留地68番にあった倉庫を改造して作られたアマチュア用の劇場がルーツだ。居留地の異国人たちは、軍人も含めて文化活動参加が紳士の嗜みであったため、自ら演じて仲間に観せるアマチュア劇団を作っていたが、そのため発表の場が必要となった。明治3年12月がこけら落としで、初演は「アラディン」だったそうだ。「ゲーテ」とは、かの高名な詩人作家とは無関係で、「Gaiety」、陽気、快活の語が訛ったもの。
劇場はまもなく「パブリック・ホール」と改称されるが、手狭になったので、山手のこの地に移ってきた。この時、名称をまた「ゲーテ座」に戻した。
ゲーテ座にはやがてヨーロッパの本場からも劇団が訪れるようになり、ここはいっとき、日本における演劇文化の最先端スポットともなった。とはいえ、ひたすら居留地の外国人に向けた施設であったが、噂を聞きつけ、日本の先進文化人たちも競ってここに観劇に来るようになった。坪内逍遥、北村透谷、小山内薫、芥川龍之介、大仏次郎らも観劇したことが知られている。
ゲーテ座は、日本人が西洋演劇を学ぶ最も手近な方法だったらしいが、若者たちは夜更けまで観劇して帰りの列車を逃し、かといってホテルに泊まる金もないので、付近の緑地で朝を待ったという話も聞いた。
ゲーテ座の前をすぎると外人墓地に突きあたる。ここにはもともと寺があったのだが、ペリーが来航した際、マストから落下して死んだ水兵がいて、見晴らしのよいこの寺の境内に葬ったのがはじまりといわれる。西洋風の墓石が洒落ていて、墓地の鉄柵も美しく、道をはさんで目の前にある山手十番館の外観の華麗さも加わって、みなとみらいができた今でも、ここは文句なく横浜の顔だ。ここに来なければ横浜に来た気がしない。
山手十番館前をすぎて左折すると、猫の美術館、ブリキの博物館などが並び、その先を右折した奥に、目的のクリスマス・ショップはある。木だちに埋もれたような店だから、到着するとあたりは計算した通りの薄暗さとなり、店の前に並んだクリスマスのランプたちにはとうに灯が入っている。ストロボをオフにしてデジカメを向け、シャッターを切ると、これはまことに計算通りに写ってくれた。
これほど計算通りに行くと、カメラマンとしてはまことに嬉しい。やはりデジカメは面白い。フィルムのカメラなら、とてもではないがこう手軽にはいかない。三脚も必要になるだろうし、いろいろなトライをして、使える写真はほんの1、2枚というところ。それも見た目とは遠いものになる。
この時の写真は大半「季刊03、クリスマス特集号」に発表したので、ここでは発表しなかったものを一枚だけ載せておこうか。
帰りに山手十番館の前をもう一度通ると、薄闇の中、黄ばんだ明かりがいっぱいにともっていて、建物はこれらに下から照らされていた。ストロボなしでこれもちょいと一枚、すると、こっちもあっけなく写った。機械技術の進歩はたいしたもので、これが光ファイバーの時代になればもっと便利になる。この画像はサイト用に軽くされるから、ちょっと味が薄れるかもしれない。
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